2015日中友好大学生訪中団 第1陣

戦後70周年の本年、公益社団法人日本中国友好協会(以下、(公社)日中友好協会)は、中国日本友好協会(以下、中日友好協会)との協議により、日本の大学生が中国の大学生との交流をとおして相互理解を深めるために、「日中友好大学生訪中団」を組織し、2015年5月14日から5月20日までの6泊7日、南京―蘇州―上海―北京へ大学生91名(団役員を含め総勢98名)を派遣した。団員は、全国の協会に呼びかけ募集。21都道府県の39校から91名が各協会の推薦を受けて参加。小野寺喜一郎団長(当協会常務理事)、宮嶋剛秘書長(当協会総務部長)、事務局5名を加え、総勢98名(構成6班)の訪中団となった。

出発日の前日に東京にて事前研修会を実施。5月では珍しい台風直撃のニュースに心配したが、直前に温帯低気圧に変わったため、集合した東京の空は快晴だった。
東京駅近くに集合した一行はバスにて中国大使館へ。大使館内で研修会を行い、夜は大使館主催の壮行会が開かれ、程永華大使から激励の言葉が贈られた。
最初の訪問地南京では、2組に分かれ南京大学と東南大学へ。南京大学では日本語のできる外国語学部の学生達が対応。事前に1対1の組み合わせが考えられており、教室でパートナーが出迎えてくれた。双方代表挨拶、学生代表挨拶の後、パートナーになった学生と自由に交流。グループディスカッション、キャンパス見学等の後、講堂に集まり記念品の交換となった。日本側からは富士山の彫金額が、南京大学からは全員に大学のオリジナルTシャツが贈られた。東南大学でもグループディスカッションやゲーム等をして、楽しく交流を深めることができた。

南京では大学交流の他に<南京城壁保存修復協力事業20周年記念式典>(主催:中国人民対外友好協会、中日友好協会、江蘇省人民対外友好協会、(公社)日中友好協会)にも参加。これは「南京城壁の保存修復に協力し、日中両国民の心の傷をうめよう」と、1995年、故平山郁夫前会長の呼びかけにより始まった事業の20周年を祝うもので、日本と中国の世代を超えた総勢400名が参加し平和への思いを継承した。日本側大学生を代表し、名古屋大学の浅井まなさんが「日中関係の向上には私たち学生の純粋な相互理解が不可欠。それこそが日中の友好、しいては平和へとつながる近道だと考えます。」と挨拶。これを佐賀大学の範東洋彦さんが通訳した。その夜行われた祝賀会では、日中双方の大学生が司会を務め、日本側は天理大学の奥野善雅さんが名司会振りで役目を全うした。学生達は歌や踊りを披露し、会場は大いに盛り上がった。翌日は全員で蘇州大学へ。広いキャンパスに到着後、まず講堂へ。双方代表の挨拶の後、日中双方準備をしたパフォーマンスを披露。その後、1対1で、中国の学生がキャンパスを案内してくれる流れとなった。夕食は学食でパートナーと一緒に取ることとなり、貴重な体験となった。
100名の大学生が1対1の交流をする、という中国側大学の手厚い計らいは好評で、アンケートでもこの密な交流が良かった、という声が多く聞かれた。交流、行事参加の4日間が過ぎ、蘇州と上海を参観。新緑の季節でもあり、緑と水にあふれた江南地方を満喫した。
最終訪問地の北京では、半数以上が中国は初めてという団員達のために、万里の長城や故宮博物院など、名所旧跡の観光が手配された。帰国日前夜は、中日友好協会主催の歓送会が北京貴賓楼飯店で開催され、中日友好協会王秀雲副会長、朱丹副秘書長等が出席され、日本大使館からは横井理夫参事官等が出席された。双方代表挨拶、横井参事官による乾杯の発声の後は、日中双方の学生が司会を務め、すでに恒例となったパフォーマンス交換で大いに盛り上がった。また、中国滞在中に誕生日を迎えた団員のためにバースデーケーキが用意されており、全員で誕生日をお祝いした。

6泊7日という限られた時間の中だったが、団員は積極的に交流をし、また過密なスケジュールだったが大きな病人も出ず、全員が元気に帰国の途についた。日中間の交流がまだ低迷している今日だが、多くの日本人大学生が参加したということで、多くのメディアが取材。中国内で報道された。実際に会って交流することの大切さを改めて感じた7日間であった。

今回この事業にご協力いただいた、全ての方々に厚く御礼を申し上げます。

 

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