「『感覚』のズレ」森下雅洋(北京語言大学)

不自由なく生活している。今はただ「中国語が喋れない中国人」だ。価値観、考え方などは、もはや留学に訪れている、または現地の大学生達のあの輝いた希望や夢に溢れているようなそれではない。考えさせられる様な文化差の壁も相当に低くなっている。「これが中国」「それが中国」と納得している節が多い。学生達から感じるあの飽くなき探求心や闘争心はどこから湧き出てくるのだろう。自国と他国を比べた時の距離感や考え方のズレそれを如何にして埋めようと、適応しようと邁進しているからなのであろうか。

この感覚がもはや欠如(消失)しているという事をこの自由行動が可能になった二か月間で思い知らされた。

二か月間で会話した2人の日本通の中国人の大人との会話が忘れがたい。1人は大学附属病院の30代の医学療法士だ。記憶が正しければ、彼は高校生からつい2020年まで日本で生活していた。腰痛が限界を迎え、文化体験として中国の病院で鍼治療を受けようと病院を訪れると、日本語が堪能な彼が色々と案内してくれた。治療中40分間、話し相手になってくれたのだが、彼はこう言う「今「日本」を勉強している彼らはやはりこの影響で、日本を訪れていない。二次元の脚色、編集された日本で知っている気になっている人が多い。現実は違う。綺麗だが汚い側面もある。中国と日本の交流や友好は長いようで、発展途上であり、始まったばかり、これから多く我々若者が対話しなければいけない、我々若者がお互いの感情を変えていくんだ。」と。

2人目は日本語学科の田先生だ。一橋大に留学された経験があり、こちらも日本語が堪能、初対面でお辞儀をしてくださり日本人かと思ったくらいだ。「この3年間で訪中日本人留学生はほぼ0になった。18年までは500人程度の留学生がいて、日本語学科の学生に日本人が5人付くという環境だった。一番の問題は今の彼らは日本人と会っても何の話題を話せばいいのか分からない。能動的に交流ができない子が多い。」と話してくれた。

彼の話は恐ろしく的を射ていたし、先生の話は切実だった。交流しなければいけない我々が、交流の手段や方法を喪失している。逆の立場の私が、この2人の言う人になっているのだろうかと危機感を持つ。この3年間で空気感というか足並みというか、この形容しがたい双方の感覚のズレはどのように解消していくべきなのか。答えを出すにはまだ経験や実行力、語彙がなさすぎる。この留学中に少しでもその環境が改善される事を願い、そして自分が行動に移せるようになれればと思う。

 

Ps.限られた時間の中、日本では食べれない、北京伝統ガチ中華を食べ漁ってます。