「私がいる環境」浅野亜理紗(北京大学)

留学期間中中国各地をバックパッカーとして旅した同じ班の友人と私が話していた際に彼女が、「いろんな場所を旅して、今北京にいる環境だったり北京大学の中の環境だったりを普通と捉えちゃいけないって気づいたんだよね」と言った。なぜか?それは全ての国家に存在する社会的成層の各階層における一般的な事象が、必ずしも別の階層に適応し存在するとは限らないのだ。正直、私はこの点をすっかり忘却していた。あの彼女の一言があったからこそ、今いる環境の貴重さと特殊性を再認識できた。

5月下旬に北京大学付属中学校の中学一年生を対象に言語学習に関するプレゼンを行う機会があった。また5月には私自身24歳を迎えたが、日本の中学生とも交流したことがない私が中国の中学校を訪問するのはとても緊張することだ。だが、予想以上に充てられたクラスの学生たちが活発で且つ真剣に話を聞いてくれたので、無事プレゼンを最後まで緊張しながらも楽しく話し終えられた。学校内には絶滅危惧種に指定されている生物や希少種の植物の標本があった。では、これらの私が目にした光景が中国の中国における一般的な情景であるのかと考えた時に、もちろんそうではないだろう。簡単な思考回路かもしれないが、自分がその土地に対して理解が多くない場合はそれを普通と捉えがちになるかもしれない。少なくとも私はそうだった。ワンクッションおいて、物事を関連づけるというのは予想以上に難しいことだ。

中学生との自由時間における交流の様子

北京大学付属中学校に一緒に訪問した留学生たちとの記念写真

留学に来たら、どの都市でも大学でも、自分がいる「場所」で目にした光景を「これが中国なのか。」または「これが中国人なのか。」と即座に繋合わせてはならないだろう。特に中国の都市部、そして211大学や985大学に称される中国における一流大学に身を置く予定である方にこそ、この言葉を肝に銘じていてほしいと願う。