「日中不再戦友好碑」前で
石狩、小樽の会員ら追悼
・北海道 札幌市日中友好協会
北海道では札幌日中友好協会主催の中国人殉難者慰霊祭が9月24日、札幌から車で2時間の仁木町共同墓地・中国烈士園「日中不再戦友好碑」前で行われ、札幌ほか石狩、小樽の各日中友好協会会員ら約30人が追悼し平和を誓った。
戦時中、中国から数多くの方々が日本に強制連行された。北海道だけで58の事業所、約2万人が連行され、3000人を超える方々が亡くなった。仁木町では200人の中国人労働者が大江鉱山で働かされ終戦前後に18人が死亡した。
慰霊祭では全員で黙祷した後、大嶋薫札幌日中友好協会会長が1966年に建てられた友好碑にふれながら、慰霊祭を行うことの意義を強調した。
来賓の佐藤聖一郎仁木町長が「平和を誓い申し上げます」と弔辞を読み上げ、町内で亡くなった18人の御魂に捧げた。続いて北海道日中友好協会の坪谷久美子副会長が友好の碑の維持管理に感謝するとともに「永遠の日中友好を願います」と述べた。友好碑前には祭壇が飾られ、参列者一人ひとりが手を合わせて亡くなった方々を悼んだ。
(副会長 伊勢谷 均)
国交正常化50周年を記念し
バス旅行
・青森県日中友好協会
青森市日中友好協会(川村柳治会長)は2022年11月3日、蓮田村のよもぎ温泉で「国交正常化50周年を祝う会」を開催しました。
当日は帰国者15名を含む25名が参加、「青森登山囃し研究会」の公演もあり、登山・弘前ねぷた・青森ねぶた等の迫力ある津軽地方のお囃子で盛り上がり、初めは手拍子をとっていた方も仕舞いには跳ね出し、祭りの様な賑いとなりました=写真=。
その後、温泉で汗を流し懇親会で交流。新型コロナウイルス感染拡大の影響で会う機会が激減する中、久しぶりの再開を満喫し、記念撮影となりました=写真=。
(事務局長 古川真人)
版画・切絵展を開催
・青森県日中友好協会
青森市日中友好協会(川村柳治会長)は国交正常化50周年第二段として、中国各地の風景を題材とした版画展を2022年12月16日から18日までの3日間、青森市のアスパム2階ギャラリーで、県日中友好協会(石田憲久会長)との共催で開催しました。
展示された版画は、会員歴30年以上の蝦名敏昭さん(83)による多色刷作品12点。木々の中に赤い屋根が映える青島や、人々が行き交う天津の古文化街など、中国を訪れて印象に残った景色や街並みを鮮やかに表現したもの=写真=。
また、同じく会員の二唐征彦さんが制作した切絵作品も展示。
3日間で127名の方々が来場し、中国のどこか懐かしさを感じさせる風景を楽しんでもらいました。
(事務局長 古川真人)
石黒かほるさん
全国女性委員会委員長 退任慰労会
・秋田県日中友好協会
(公社)日中友好協会・全国女性委員会委員長として8年間リーダーシップを発揮して来られた石黒かほるさんが、6月に宇都宮市で行われた総会を最後に退任したことから、秋田県日中友好協会(猿田和三会長)は9月3日、秋田市の秋田キャッスルホテルで慰労会を開催した。
会員、賛助会員の他、日頃より当協会を支援しておられる県内外の企業や報道各社、行政の代表など71名が出席した。
発起人を代表して猿田会長が挨拶をし、石黒さんの国内外での熱心な交流活動を讃え、全国女性委員会委員長在任中は団長として2度にわたる訪中を実現し、婦女連合会や女性起業家らとの交流を通して相互理解を深めたことを述べ、日中友好協会の歴史に大きな足跡を残してくれたと語った。
また「平成29年に東京の日本青年館ホテルで開催された日中国交正常化45周年記念「日中女性フォーラム」を主催したところ、国内外から360名が参加し、実りのある国際フォーラムとなったと伺っている」と話し、さらに翌年には秋田市において「日中女性の集い」を主催し、230名の参加を得て盛大に行われたことも話題にした。
堀井啓一前秋田県日中友好協会会長は、日中間には難しい問題もあるが、このような時こそ市民レベルの交流が大事であると強調し、石黒さんの日中交流にかける意気込みには並々ならぬものがあると話した。思い出深いこととして日中女性フォーラムを拳げ、県内からの参加者が40名を超えたことにも触れ、中国大使夫人の王婉参事官が「人・物・金の交流だけでなく、心の交流こそ大事である」と述べた言葉に感銘を受けたと語った。
石黒さんは「委員長在任中には実に多くの方々にお力添えをいただきました」と感慨無量な様子でお礼の言葉を述べ「日中女性フォーラム」と「日中女性の集い」という大きな二つの事業を盛会裡に成し遂げることが出来たのは、県協会の惜しみない協力と企業各社の多大なる協賛があったからと話した。そして「一つお伝えしたいことは、全国女性委員会の方々から『秋田の皆さんの結束力は素晴らしい』と何度もお褒めを頂いたことです。そのたびに私は皆様の温かいご協力に感謝し、誇りに感じておりました」と語った。
開会に先立って行われた「わらび座友情ステージ」では、劇団わらび座の看板スターたちが郷土民謡や祭りばやしなどの演目で花を添えた。
懇親会では食事を楽しみながら和やかに歓談が弾み、4人の方々のスピーチからは石黒さんの優しいお人柄や大胆な行動力が窺われた。工藤嘉範副会長のギター演奏のもと、石黒さんの指揮で当協会のオリジナルソング「友好の翼」が合唱され、一段と盛り上がった。(公社)日中友好協会会長・丹羽宇一郎さんと秋田県出身の衆議院議員・冨樫博之さんから丁重な祝電が寄せられ披露された。
これまで一貫して「交流なくして友好なし、友好なくして平和なし」との思いを活動の指針として交流活動を繋いで来られた石黒さんの健康と更なる活躍を祈って散会した。
(理事 古谷孝男)
友好都市交流シンポで議論
西堀正司協会専務が講演
・神奈川県日中友好協会
日中平和友好条約締結から45周年を迎え、また、県と遼寧省の友好提携40周年、横浜市と上海市の友好提携50周年を迎えるなど、県内の各都市は半世紀近くにわたって中国の各都市と息の長い友好都市交流を展開してきた。そこで、神奈川県日中協会は県と共催で9月17日、会員ら50人を集め、横浜市栄区の地球市民かながわプラザで「日中友好都市交流シンポジウム」を開催した。
第1部の講演では、「中国との交流をどのように発展させるか」をテーマに、(公社)日中友好協会専務理事の西堀正司氏が青年時代からの長年にわたる豊富な交流体験をもとに、人と人の直接交流の大切さを強く訴えた。また、明治維新から154年目となることを踏まえ、前半の敗戦までの77年と戦後の77年を振り返って、平和を守って戦争をしないためには真実の情報を伝え、経済や地方の交流を増やし、「民をもって官を動かす」ことが大切であることを強調した。
後半のシンポジウムでは、上島保則副会長の司会のもと、「これからの日中友好活動をどう進めるか」をテーマに議論。横浜日中の飯田助知会長、湘南日中の上野篤志理事長、厚木日中の高橋美紗子会長、復旦大学日本研究センターの吉田浩二氏、三浦修専務理事、稲垣信青年学生部会長がそれぞれの活動を発表し、今後の活動について、歴史認識などの学習活動の重要性や、留学生等との交流、若い人の参加や行政・議会との連携など、様々な視点から複眼的議論が行われた。
(企画部長 浅沼知行)
中国人殉難烈士を慰霊
100人参列、焼香や献花
・長野県 飯田市日中友好協会
太平洋戦争末期、中国から日本に強制連行され、長野県天龍村で亡くなった中国人62人を追悼する伊那谷実行委員会主催の第15回慰霊法要が9月30日、天龍村平岡の慰霊碑前で聶佳中国大使館参事官はじめ管内市町村首長、日中友好団体、労働団体の代表ら約100人が出席してしめやかに執り行われました。
中国から多くの若者が日本に強制連行され、水力発電所工事などの労働を強制した歴史の中で、天龍村には主に中国河北省から800余人が連行され、飢えや病気、事故などにより62人もの尊い生命が失われました。1964年に天龍村平岡のダム湖前に慰霊碑が建立されほぼ5年ごとに慰霊法要が行われています。
今年は日中平和友好条約締結から45周年、長野県と中国河北省との友好県省から40周年。法要では全員で黙祷を捧げた後、聶参事官が「歴史を振り返ることは、恨みを続けるためでなく、歴史を鑑とし、未来に向かう」と追悼の辞を述べました。各界の代表による追悼の辞に続き、地元寺院住職の読経の中、参列者全員が焼香を行いました。また次代を担う天龍中学校全生徒による献花も行われました。
(事務局長 池田真理子)
中国人留学生23人に贈る
日本舞踊・浴衣イベント
・奈良県日中友好協会
中国人留学生に贈る日本舞踊・浴衣イベントが10月7日(土)、奈良市漢国神社社務所をお借りして開催されました。
同神社は境内に中国から饅頭を伝えた林浄因命を祭った林神社があります。中国駐大阪総領事館の全面的な協力のもと、奈良地域中国留学生学友会の23名(女性18名、男性5名)を対象に、浴衣の着付け、そして日本舞踊の所作を日本舞踊の師匠である、美華文輿(みはなあやよ)先生のご指導の下、和気あいあいの和やかな、かつ賑やかな雰囲気で浴衣の着付け、そして日本舞踊の決めポーズを教授頂き、一人一人写真撮影に臨みました。
また、わざわざ京都から漢服クラブの方が正式な漢服をまとい、二胡を演奏して頂きました。浴衣と漢服の織りなす、日中平和条約締結45周年にふさわしい交流事業になりました。着付け実習後、浴衣や帯、扇子をプレゼントし、和の文化を今後とも味わって頂くことにしました。私たち奈良県日本中国友好協会は、どんな環境下にあっても、こうした民間交流、老若交流を一つ一つ積み重ねて参りたいと考えています。
(事務局 塩崎義郎)