“笑いのボール”投げかけて 日中の未来を明るく照らす

2025年5月1日号 /

友好訪問プロフィール

落語家・中友会会長

林家はやしや三平さんぺいさん


1970年東京都生まれ。初代林家三平の次男で、祖父は七代目林家正蔵。中国語落語の先駆者として、2005年から中国語で「時そば」「動物園」などを披露。青島、上海、アモイ、浙江省天童寺でも公演を行い、2010年には上海「蘭心大劇院」で襲名披露公演を開催。著書に『父の背中』『林家三平 実話怪談』など。東京五輪パラ応援大使。2021年、「忘れられない中国滞在エピソード」中国大使特別賞を受賞。

2024年12月27日、中国大使館にて第7回「忘れられない中国滞在エピソード」コンクール表彰式が盛大に開催されました。多くの受賞者が心温まる体験を語るなか、明るい笑顔と共に登壇されたのが、落語家・林家三平師匠です。この日、三平師匠は「忘れられない中国滞在エピソード」友の会、通称「中友会」の会長として挨拶を行い、正式に日中友好の語り部としての新たな役割をスタートされました。

実は三平師匠と中国とのご縁は非常に深く、高校生の時に初めて訪れて以来、すでに20回以上中国を訪問されています。中国の空港に降り立ち、耳に飛び込んできた「ジーチャン(機場)」の響きに「じゃあバーサンは?」とユーモアで応じる。そんなエピソードに代表されるように、三平師匠の中国滞在はいつも笑いと温かさにあふれています。

特に印象に残っているのは、母とともに訪れた敦煌の莫高窟です。当時、距離や交通の大変さを知らずに「行ってみたい」と口にしたところ、本当に現地の方が連れて行ってくれたとのこと。歴史の重みを感じさせるその光景に、母とともに涙を流したことは、今でも心に残る思い出だと語ります。また、テレビ番組の賞品で訪れた桂林では、地元の美容院で体験した〝座ったままのシャンプー〟が話題に。頭が泡で入道雲のようになった母の姿に、親孝行ができた喜びを感じたそうです。

さらに三平師匠は、落語を中国語で披露した先駆者でもあります。文化庁の要請により、「英語以外の外国語で落語を」との依頼を受け、選んだのは中国語。「ハオチーマ?」(おいしいですか?)の一言で観客の笑いを誘い、あっという間に会場が一体となったといいます。文化や笑いのツボの違いにも直面し、「幽霊の話は中国では好まれない」などの気づきもありましたが、そうした文化的な違いも含めて、交流の醍醐味を実感したとのことです。

こうした数々の経験を経て、三平師匠が大切にしているのが「文化のキャッチボール」です。漢字という共通の文化的土台を持つ日本と中国。空海や最澄の時代から続く文化交流の歴史を踏まえ、「言葉を越えて、心を通わせる場を持つことが大切」と語ります。政治や経済の変化に左右されず、まずは人と人との出会いを大切にする――それが三平師匠の信条です。

2024年からは中友会の会長として、若い世代に日中交流の意義を伝えることを使命とし、様々な活動を企画しています。三平会長は、「文化や笑いを通して、違いを楽しみ、理解を深める。それが日中関係の未来を照らす鍵になる」と語ります。

現在、2025年(第8回)「忘れられない中国滞在エピソード」作文コンクールの作品募集が始まっています。三平会長も、「一人ひとりの物語が、国境を越えた友情の架け橋になる」と呼びかけるなど、多くの皆さんの応募を心待ちにしています。皆さんも、心に残る中国での思い出を、ぜひペンに託してみてください。

(段 躍中)