日中友好の親善大使 “パンダ”たちの育ての親

2023年5月1日号 /

アドベンチャーワールド副園長
株式会社アワーズ取締役 獣医師・学芸員
中尾建子さん

株式会社アワーズ取締役(SDGs担当)白浜事業所長、アドベンチャーワールド副園長、獣医師・学芸員。1988年、株式会社ワールドサファリ(現:株式会社アワーズ)に入社。動物園動物の診療、飼育管理、動物園教育に携わる。1994年、世界で初めてジャイアントパンダの繁殖を目的とした「ジャイアントパンダ日中共同繁殖研究」を開始。28年にわたりジャイアントパンダの飼育管理、繁殖研究に関わり、17頭のパンダ出産・育児を見守る。2019年よりSDGs担当としてアワーズSDGs宣言やサステイナビリティ方針の策定及び活動を推進している。

 

パンダとのきっかけは?

1988年に獣医としてアドベンチャーワールド(和歌山県白浜町)に就職した私は、1993年、上司からパンダ繫殖の研究準備を依頼され、国際動物園協会の文献や上野動物園の情報を集めました。上司からも中国語の資料を渡されたので、中国語の辞書を買い、繁殖に関係する箇所を必死に勉強しました。

ワシントン条約で希少動物に指定されていたパンダですので、商業目的での輸入は認められません。当時の動物愛護団体から随分と反対される中、後に和歌山県知事となる通産省の輸入課長だった仁坂吉伸さんが、繁殖研究目的での輸入を認めてくれました。

そして1994年9月7日、北京生まれで雄の永明と、成都生まれで雌の蓉浜がやってきます。その6年前、雄の辰辰と雌の慶慶が巡回展で来た時に使った飼育スペースに、永明と蓉浜を入れました。

 

和歌山県日中友好協会の津田護事務局長(当時)の尽力が功を奏したと語り草ですね。

はい、そのご縁で永明と蓉浜も安心して預けてくれました。しかし、どちらも2歳の成長期で、餌には苦労しました。中国から同行した世話役にレシピを聞いたパンダ団子を与えても、体重が増えません。国際電話やファクシミリを駆使した成都ジャイアントパンダ繁育研究基地とのやり取りも、通信事情が悪く混乱を極めました。竹を中心とした餌に、6~7年かけて変えていきました。

1997年に蓉浜が亡くなり、2000年7月に雌の梅梅がやってきました。中国から派遣された主任さんとも議論を重ね、工夫を凝らし、交尾に向けて試行錯誤を重ねました。春にしかパンダは発情しません。その兆候を見つけるのも困難です。妊娠してもお腹が大きくなりません。交尾があっても「着床遅延」といって、直ちに妊娠するわけでもないのです。産気づく気配もわからず、昼夜を問わず緊張の連続でした。

 

17頭すべての出産に立ち会ったのですか?

いいえ、宿直からの連絡で駆け付けたこともあります。パンダの赤ちゃんは、100から200グラムで生まれます。人間の手のひらに乗るくらいちっちゃな赤ちゃんが日々成長していくのは、とても愛おしいですよ。1ヶ月もすると体重は1キロを超え、目や耳も黒い毛で覆われてパンダらしくなってきます。

2003年9月8日、永明と梅梅の間に生まれた隆浜と秋浜(どちらも雄)は双子です。野生で生まれた双子の場合、育つのは生命力の強い方の1頭だけです。アドベンチャーワールドが世界で初めて、飼育下において双子の同時育成に成功したのです。

2008年に梅梅が亡くなった後、その娘・良浜と永明との間に双子3組を含む10頭が生まれました。永明のDNAの血統は40を超え「浜家」と称されています。

今年2月、16頭のパパの永明と、双子の雌の桜浜・桃浜が成都に旅立ちました。今、アドベンチャーワールドには、良浜とその娘の結浜・彩浜・楓浜の4頭がいますので、いつでもお越しください。彼女たちの暮らしぶりは、YouTubeでもご覧いただけます。

(理事・和歌山県日中友好協会会長 中 拓哉)