中国の日本語教育を支えて35年

2023年1月1日号 /

国際交流研究所所長
大森和夫さん

昭和15年(1940年)東京都生まれ。早稲田大学政治学科卒。朝日新聞記者(大分支局、山口支局、福岡総局、大阪・社会部、政治部、編集委員など)を経て、平成元年(1989年)1月、退社。

国際交流研究所編集長
大森弘子さん

昭和15年(1940年)京都府生まれ。京都女子大学短期大学部家政学科卒。京都府・漁家生活改良普及員(3年間)。

《活動》 
HP で、電子書籍「日本語教材『【日本】という国』」を無料公開など。

 

2022年秋、日中国交正常化50周年記念出版として日本僑報社から刊行された『中国の日本語教育の実践とこれからの夢』『中国の大学生 “日本への思い”と“心の叫び”』の2冊が、日中両国で話題を呼んでいる。前者は「大森杯」日本語教師・教育体験手記コンクール受賞作品集で、後者は元朝日新聞記者で、国際交流研究所所長の大森和夫・編集長大森弘子ご夫妻の、34年にわたる「日中・日本語交流」の全記録である。二人三脚でこれだけ長期にわたって中国の日本語教育支援と中国との交流に尽力し続ける日本人夫婦の存在は、日中二千年以上の交流史においても大変珍しいと言われている。今回は、その大森ご夫妻に、日中交流についてお話を聞かせていただいた。【聞き手・段躍中】


 

――「中国との日本語交流活動」のきっかけは何だったんでしょうか。

和夫 35年前、新聞社の政治部記者をしていた時、東京大学大学院農学系に留学していた胡東旭君に出会ったのがきっかけです。バイトをしながら頑張っていた彼が、「日本が嫌いになり、日本に不満をもったまま帰国する留学生が多い」と話してくれました。日本にとっても残念なことであり、「一人でも多くの留学生が日本を好きになって祖国へ帰ってほしい。そのために、日本語で『日本と日本人』を知ってもらう活動をしたい」と考え、「夫婦だけの活動」を決意し、会社を辞めました。

 

――35年間の中国との日本語交流活動の内容について、お聞かせください。

弘子 日本語の「季刊誌【日本】」を作成し留学生らへの無料配布、「日本語作文コンクール」開催―この二つが出発点でした。「日本を理解してくれる人が一人でも増えれば、夫婦の小さな力が日本の国際交流に貢献出来る」と夢見て、「国際交流研究所」という名称にしました。活動は、ずっと、「自宅の四畳半で、夫婦だけ」でした。35年間に中国の大学などへ「季刊誌【日本】」など34万8千冊の日本語教材を寄贈し、通算25回の「日本語作文コンクール」の応募者は、中国から3万7千人でした。

 

――長い活動を通して、最も嬉しかった出来事は何でしょうか。

弘子 中国各地を40数回訪問しました。その間、「日本語作文コンクール」に入賞した学生や、寄贈した「日本語教材」を学んだ学生が、10年後、20年後に、「日本語教師」になって、若い学生に「日本語」を教えている姿に接した時の感動が忘れられません。

 

――日中平和友好条約締結45周年の節目の年にメッセージをお願いします。

和夫 世界の平和が地球人みんなの願いですが、それぞれの国家が存在する限り、「政治の対立」は避けられません。日中間にも「国家の壁」はあります。しかし、「日本語交流」を含めた幅広い「民間交流」を推進することによって、日中両国の人と人の理解が深まり、「政治の壁」を超えることが出来ると信じています。