SNSの発信を通して 日本と中国を繋ぐ窓口に

2022年10月1日号 /

株式会社妙妙 代表取締役、中国駐大阪総領事館広報アドバイザー

ヤンチャン(楊小渓)さん

中国四川省生まれ、上海海洋大学で日本語を専攻し、2011年に交換留学で来日。⼀橋大学商学研究科修⼠号取得。その後、中国越境EC会社bolome日本支社に入社し、ライブコマースMC・商品BDを担当。2017年から日中のSNS上でインフルエンサーとして活躍し、多数のテレビ番組やCMなどにも出演。2019年10月からYouTubeチャンネルを開設し、現在登録者は16万人を超えている。2022年9月、初めての著作『33地域の暮らしと文化が丸わかり! 中国大陸大全』(KADOKAWA)を出版。

 

私と日本との接点は大学に入った時から始まりました。日本の経済が発展しているということは分かっていたのですが、日本が好きというレベルには達していなかったのが正直なところです。ただ中国の大学入試試験の関係で日本語専攻になり、日本人講師との出会いが初めての日本人との交流でした。

大学内では様々な日本語に関するイベントに参加し、また日本人駐在員向けの中国語学校で講師をしながら、日本人、日本文化に触れていきました。また日本のドラマやバラエティも積極的に見るようになり、その中でも日本の音楽が好きになり、日に日に日本へ留学し、直接日本の文化に触れたいと思うようになりました。

 

――日本にはいつから来ましたか。現地の日本人との交流はどうでしたか。

上海海洋大学の留学プログラムで北九州に2年間留学しました。当時はカラオケ屋さんでアルバイトをしましたが、九州の方の話す方言が聞き取れず非常に苦労しました。3ヶ月以内に聞き取れなかったらクビになってしまうと言われたのですが、周りの日本人の同僚にサポートしてもらい、なんとか卒業まで続けることができました。

また北九州時代は不動産仲介業者を通して、日本人のお婆ちゃん(家主)と一つ屋根の下で一緒に暮らしました。お婆ちゃんは当時70代で、よく下宿生を受け入れていたらしいのですが、外国人は私が初めてでした。一体どんな生活が始まるのだろう、と期待と共に不安もありましたが、時間のある時は車に乗せて色々な場所に連れて行ってくれたり、一緒に日本と中国のご飯を作りあったり伝統行事を過ごしたりしました。今でも正月や嬉しいことがあったら定期的に電話をしますし、九州に戻るたび、お婆ちゃんに会いに行っています。この出会いは私が日本を本当に好きになった大きなきっかけとなりました。

 

――なぜユーチューバーの道を選ぶようになったのですか。

東京は数多くの中国人が生活していますが、北九州で生活する中国人は当時珍しかったらしく、多くの日本人にとって私が初めて接する中国人でした。そのため私の一挙手一投足で中国のイメージが変わるということに最初は慣れませんでしたし、私が中国を代表するつもりは今でもありません。

しかし、私を通して多くの日本人に中国のことを知ってもらうことは非常に意義深いことだと感じ、日中両国の魅力を発信する仕事に就くようになり、2019年からYouTubeで自分自身のチャンネルも開設しました。主に日本人の方に向けて、中国各省ごとの魅力や、中国語、日本に住んでいる中国人が感じた日本のことなどをざっくばらんに発信しています。

今後はコロナ禍が終息したタイミングで日中交流の対面イベントを企画、そしてずっと夢だった中国語教育の道もより深く進んでみたいと考えています。そのためにも、これらからもYouTubeの発信を通してディープな中国を日本人の方に発信し、日中世論調査の改善はもちろん、中国に足を運んでもらえるように頑張っていきたいと思います。

(井上正順)