医療を通した日中両国の民間友好を願う

2022年7月1日号 /

順天堂大学医学部内科客員教授

汪 先恩さん

1984年安徽中医薬大学卒業、1988年中科技大学同済医学院医学院大学院医学修士修了、同大学付属病院・中西医結合研究所に勤務。2002年教授となり、現在に至る。1991年金沢医科大学消化器内科に派遣され、高田昭教授の指導のもと、C型肝炎ウイルス遺伝子型の分析、星細胞の機能などの研究に従事、1993年順天堂大学で佐藤信紘教授の指導のもと、肝線維化機序、胃粘膜損傷修復機構及び融合医学などの研究を行い、1997年医学博士号を取得。2013年より中国留日同学総会の会長に就任。

 

私自身は安徽省の地方出身で、幼少期は文化大革命の影響で十分な教育を受けることができなかったが、鄧小平が中央政権に復帰してからは勉学に勤しむようになり、1979年に安徽省の中医薬大学で学ぶことになった。

元々は芸術や歴史、教育が好きだったが、父親から安定した職業について欲しいとの要望があり、最終的に漢方医学を専攻することにした。漢方は身体の構造を掌る必要があり、まさしく外科以外は全て診察することができる総合的な学問と言っても過言ではない。その後、最先端の知識を学ぶため、湖北省にある同济医科大学で修士号を取得。日本では消化器内科の研究も行い、順天堂大学で医学博士号を取得し現在に至る。

初訪日から生まれた順天堂との縁

初めて日本を訪ねたのは1988年の年末、ある訪日団の通訳として同行した時だった。当時は携帯電話もなく、迎えに来てくれる予定だった人と会うことができなかった。その時にたまたま空港でお会いした日本人が車に乗せてくれて、お茶の水あたりまで連れてきてくれた。その時に車窓からふと「順天堂」と書かれた看板を見て中国らしい名前だなと印象に残った。まさかここから数十年も順天堂と関わることになるとは思ってもみなかった。

その後、医師の公費派遣プログラムに申し込み、日本の金沢医科大学で消化器内科を学ぶために留学することになった。高田昭教授の下で肝臓やアルコール等に関する研究に従事し、全国各地の研究会等で発表した際に順天堂大学の佐藤信紘教授と出会い、医学博士を取得後は研究員、そして2005年からは准教授や客員教授として、合計20年近く順天堂に在籍している。

留日同窓会の活動と今後の展望

中国留日同学総会は1915年に李大釗が設立した。当時は中国大使館もなく、留学してきた中国人たちへの支援や祖国との連携を密にとってきた。その後も往来が途絶えた時代にも在日中国人たちが交流する場として活動を続け、私は金沢、順天堂時代は中国人留学生の代表として、その後も理事等の役職を務め、現在は会長として会の運営はもちろん、より多くの日中両国の民間交流を促進するよう務めている。主な活動としては、中国大使館や教育処と連携した活動、学生や専門家同士の学術交流や就職サポート、日本での経験や取り組みを元に中国へ提案する中国発展シンポジウムの開催、真の日中民間交流を発信する取り組みを行なっている。

日本は私の第二の故郷であり、どちらも漢字を使用する、共通文化を多く持った国であるため、両国はこれからも協力し、発展して行かなければならない。最近の日中関係は難局に直面していると言われるが、周恩来総理が発言された不再戦を子々孫々まで伝えるためにも両国の文化交流、貿易や経済交流は途絶えさせてはいけない、という思いを改めて発信しなければいけない。

また医学を学ばれた先人である魯迅先生、郭沫若先生のように、私自身は特に医学の分野で両国関係に寄与していきたいと思う。日中双方の大学に在籍している私だからこそできること、それは日中最先端の医学を用いて、両国の健康促進という名の友好を推進していくことだと自負している。

(井上正順)