中国映画は、今の日本人が失った 世界を思い起こさせてくれる

2017年7月1日号 /

弁護士、映画評論家
坂和 章平(さかわ しょうへい)さん

1949年愛媛県松山市生まれ。大阪大学法学部卒業後、74年に弁護士登録、79年に坂和章平法律事務所開設(現坂和総合法律事務所)。都市計画問題が専門で大阪モノレール訴訟、阿倍野再開発訴訟などを担当。同分野での弁護士活動が高く評価され、2001年に著書『実況中継 まちづくりの法と政策』で、日本都市計画学会「石川賞」と日本不動産学会「実務著作賞」を受賞した。NPO法人大阪府日中友好協会理事

 

「二足のわらじ」で映画も語る、ナニワの熱血弁護士

大阪阪を拠点に、弁護士と映画評論家の「二足のわらじ」で活躍する。本紙連載「中国映画を語る」でもおなじみのナニワの熱血弁護士。「よっしゃ!」「かまへん!」。人を引きつけてやまない行動力には脱帽だ。

愛媛県出身。「年間180本は見ている」という映画好きは子どもの頃から。「中学生の時はよく一人で映画館に通った。あの頃は3本立てが55円だった。勝新太郎の『悪名』とか見たなあ」。司法試験の勉強や弁護士業が忙しい時はテレビ放送の映画を撮り溜めしては見た。好きなジャンルは歴史や戦争ものだという。

弁護士事務所HP開設で本格化した映画評論

映画評論活動が本格化したのは2001年。弁護士事務所のホームページ開設を契機に、趣味として映画評論も掲載した。以来16年間で書き記した映画評論は2500本以上。同時に本にまとめて「SHOW―HEYシネマルーム」シリーズとして出版し、なんと今や40冊以上になる。「どの作品もかなり『力』を入れて書いてきた。こうして本にまとめると、口コミで広がって広報紙などに載せてくれることがある。継続は力やなあ、とつくづく思う」

「ある程度は見ていた」という中国映画に強い興味を抱いたのは2002年頃から。当時、大阪の映画館で何度か開催された期間限定の「中国映画特集」に通い詰め、夢中になったのがきっかけだ。4本連続オールナイト上映もあったが、寝る間を惜しんで鑑賞。評論もしっかり書き残した。「重労働だったが、楽しいことは苦にならない」。その結晶は、『坂和的中国電影大観』(シネマルームシリーズの第5巻・17巻・34巻として出版)にまとめた。

映画通じ交流の輪広がる。北京電影学院、莫言氏など

こうした活動を通じて、中国旅行や中国人との交流も増えだした。07年には北京電影学院に招かれ映画に関する集中講義を行い、それがきっかけで14年には自ら出資して学生の映画製作を支援するための「新視覚賞(坂和賞)」を創設。優秀な短編映画を表彰し受賞者には軍資金を授与した。

一方、ノーベル文学賞受賞の莫言氏との交友関係もある。共通の知人である毛丹青・神戸国際大学教授の呼びかけで11年に訪日旅行をサポート。事務所で対談したり、有馬温泉に連れて行ったりした。「来日中にちょうど中国で高速列車の脱線事故が起こった。公害訴訟の経験から『日本ではこうした事故が起こると被害者弁護団をつくっていろいろと動くんや』と教えたら、『日本の弁護士はそんなこともやるのか』と興味を示して盛り上がった」

映画の良さは「生きるために役立つヒントがいっぱいある」ところ。そして「中国映画、とりわけ『ある世代』の『ある監督』による『ある映画』は、今の日本人が失った世界を思い出させてくれる」

(北澤竜英)