異文化経験を楽しむ姿勢を大事に

2021年1月1日号 /

 

駐ペルー特命全権大使
前上海日本国総領事
片山 和之さん

1960年広島県生まれ。83年京都大学法学部を卒業後、外務省入省。北京大学、ハーバード大学(修士)、マラヤ大学(博士)等に留学。外務省中国課首席事務官、内閣官房副長官(事務)秘書官、大使館一等書記官(中国)、参事官(米国)、国際エネルギー課長、文化交流課長、次席公使(マレーシア)、経済公使(中国)、次席公使(ベルギー)、デトロイト総領事、上海総領事、外務省研修所長(大使)を歴任後、20年駐ペルー特命全権大使に着任。協会「友好手帳」を20年来愛用。

 

日本の常識=世界の常識ではない。世界を肌感覚で知る

 

2015年8月、在上海日本国総領事就任。5度目となる中国駐在で3年5カ月間務めた。外務省生活38年、その22年余りを香港、北京、上海、ワシントン、パロアルト、ボストン、デトロイト、クアラルンプール、ブリュッセルで過ごし、昨年9月、ペルー特命大使に着任した。意外にも南米に足を踏み入れたのは初めて。まさに青天の霹靂だった。

外交官を目指して

広島の田舎から京都の大学に来て、初めてアメリカ人宣教師と英語で会話する経験をした。3年時には、当時の総理府主催の「東南アジア青年の船」に参加、約40日、東南アジアの青年たちと寝食を共にし、各国を訪問する。「日本の生存に不可欠な海外との関係に従事できる仕事をしたい、と思いを強くしました」。

海外で仕事ができる商社や銀行も選択肢に入れながら、1年間の猛勉強の末、4年時に「外交官試験」(現在廃止)を受験した。

当時は中国人留学生も少なく、個人的に中国人と友人になった思い出はない。しかし以前から中国の古典や漢詩に接する中で、中国の改革開放政策が開始(第11期3中全会)、毛沢東に対する歴史的評価なども行われ(同6中全会)、教科書問題が起こり、日中合作映画『未完の対局』を京都の映画館で観たことなどを思い出す。日中の不幸な近代史については、戦前日本外交の挫折の教訓として当時から強い関心があり、様々な本を読み漁った。

大学卒業後、外務省に入省した1年後に中国での在外研修を任命され、1984年に初めて中国へ。まだ生活が貧しく不便で、毎日不愉快な経験の連続だった。しかしその何割かは、実は日本社会からの物差しで中国社会を見て、不平不満を述べていたことに気づく。

「他国からの留学生は私たちとはまた違う中国を感じていたのでしょう」

中国の魅力を表すと

海外勤務時、様々な事件にも遭遇した。天安門事件の際に自宅に銃弾を10数発打ち込まれたこと、ワシントン勤務時の「9.11」の際にはペンタゴンに飛行機が突っ込み、炭素菌騒ぎで郵便物が届かなくなり、大使館近くのモスクに爆破予告があり一 時避難するなどの経験も。

1996年のペルー日本大使公邸人質事件時は、橋本内閣の下で事務の官房副長官秘書官を務めた。

「事件解決までの約4カ月、年末年始を挟んで休みをほとんど取れなかったのを覚えています。24年後にその国に大使として赴任するとは夢想だにしませんでした。外務省勤務の面白いところかもしれません」

中国でよく言われる表現「上に政策あれば、下に対策あり」。最後に頼りになるのは、自分自身であり、地縁、血縁、友人関係で結ばれた信頼すべき人間関係。中国人はこのネットワークを駆使して、日本に比べて遥かに厳しい社会を生き抜いている。世界に広がる華人ネットワークもこれに通じるのではないか。ここに中国人の悲哀さとともに、たくましさを感じる。

「中国の魅力を一言で言うなら、『中国人』ということになるでしょうか」

(本紙 小金澤真理)