少数民族のというより 故郷の文化を伝えたいのです

2019年11月1日号 /

在日本ダフール族文化交流協会会長 榎原 霞さん

中国・内モンゴル自治区出身。人口約13万人と言われるダフール族。1990年代に留学生として来日。幼少より親しんできた民族舞踊を、日本ではボランティアとして学校や地区センター等で披露。賛同者が増えたのをきっかけに2016年「ダフール族文化交流協会」を立ち上げる。19年5月「第1回中国内モンゴル草原文化芸術フェスティバル」を開催。総合プロデューサーを務める。埼玉県春日部市在住。

 
中国内モンゴル草原文化芸術フェスティバルを企画

今年5月に東京・目黒とさいたま市で「第1回中国内モンゴル草原文化芸術フェスティバル」を開催した。コンセプトは、“広大な草原に響く美しいメロディ”。モンゴル族をはじめ、エヴァンキ族、ダフール族など、モンゴル高原に暮らす民族の歌や踊りを紹介し、2つの会場に約1000人を集客した。

モンゴル高原の多民族を知ること

6人兄弟の末っ子。「母の愛情をいっぱい受けて育ちました。文化大革命時は辛い目にも遭いましたが、歌や踊りが大好きで、それが慰めになりました」
2番目の姉は歌手になったが、自身は歌よりも幼少から踊りが好きで、日本でもボランティア活動や学校でゲストティーチャーとしてダフール族の伝統舞踊を披露してきた。同郷の仲間を中心に活動を広げ、「ダフール族文化交流協会」を創設し、2016年、名古屋で発足大会を開いた。その後3年間の歩みが結実したのが、このフェスティバルだ。先述の民族を中心に様々な歌手、演奏家、アーチストを招聘した。

「華僑や華人にも見てもらいたかったんです。中国でもほとんどの人が、モンゴル高原に住んでいるのはモンゴル族しか知らないからです。私は、そのほかの民族を知ってもらうのが、中国の多民族国家を実感することだと思ったんです」。とはいえ、世界的にも人口が少ない同胞を集めてイベントを催すには大変な苦労があったのではないか。「数が少ないからこそ、横のつながりは強いんです。日本で生活するダフール族はみな、兄弟、親戚のようなものですね(笑)」

主にウィチャットで声をかけ協力を呼びかけた。余談だが、日本でダフール族が特に多いのは長野県だとか。満蒙開拓団の団員と結婚して来日した人もたくさんいる。そうした人たちと交流を重ねるうちに、自分自身がダフールの文化をあまりにも知らないことに愕然とした経験がある。「子供の頃は文化大革命の影響もあって伝統的な歌や踊りは禁止されていましたし、日本で故郷の文化を再発見したと言えるんです」

アイヌ文化との共通点にも着目

フェスティバルでは清代のモンゴル貴族の衣装を再現した「ファッションショー」も披露。きらびやかなだけでなく、近寄りがたささえ感じさせる厳かな雰囲気を演出した。また、ダフールの口琴「ムクレン」がアイヌの「ムックリ」に似ている点に着目し、アイヌ文化伝承の第一人者を招いて神秘的な音色を届けた。アイヌの人たちとは17年に北海道白老町を訪ねるなど交流を続けている。第2回の開催は未定だ。「夢を実現した思いと、多くの反省点もあります。私は少数民族の文化を伝えたいというより、ふるさとの文化を紹介したいだけなんです」
(吉田雅英)