幼年期を過ごした中国は僕のふるさとであり、創作の原点

2020年1月1日号 /

漫画家 ちばてつやさん

1939年東京生まれ。幼少期を旧満州・奉天で過ごす。1956年、単行本作品でプロデビュー。「ハリスの旋風」「あしたのジョー」「のたり松太郎」「おれは鉄兵」「あした天気になあれ」等のヒット作を世に送り出す。講談社児童まんが賞、小学館漫画賞、紫綬褒章、旭日小綬章など受賞。文星芸術大学マンガ専攻教授。日本漫画家協会理事長。「ビックコミック」(小学館)で『ひねもすのたり日記』が好評連載中。

 

実在しているかのようなリアルなキャラクターが時代を超え愛され続けているちばてつや氏の作品。多くの人の心に響くマンガの創作には、幼年期の引き揚げ体験とそれに基づく家族の絆、民族を超えた友人たちとの交流が息づいていた。

◇ ◇ ◇

満州・奉天(現・遼寧省瀋陽)の冬は氷点下20度を越える寒さで、幼少期は家で絵本や童話を読んだり、絵を描いて過ごした。敗戦後、父の友人宅の屋根裏に身を寄せた時、弟たちにオリジナルの絵本をつくって読み聞かせたことがマンガ創作の原点となる体験だった―。

満州の記憶、そして終戦へ

東京で生まれてすぐに満州へ渡り、6歳まで奉天で育った。住まいは、父が勤める印刷会社の敷地内にある社宅で、3メートルのレンガ塀に囲まれた中。
「市場からおいしそうな匂いが漂ってきて、親の目を盗んで時々抜け出しました。市場の人がおまんじゅうの切れ端を分けてくれたり、外は楽しかった。よく迷子になって怒られましたが」

しかし敗戦が近づき、仲良しだった市場の人の態度が変わり、中国人が日本の兵隊を侮蔑するようになったのを感じた。そして8月15日。玉音放送で敗戦したことを知り愕然とした日の晩、塀の外は爆竹音や人々の歓声、叫声、笑い声などでものすごい騒ぎだった。人々は塀を乗り越えて、社宅のガラスを割り、ドアを蹴破って侵入し、暴動が起こった。今までの日本に対する怒りが爆発したかのようだった。

「父に中国人の友達がたくさんいたからなのか、不思議なことにうちだけは襲われなかった。母はタンスや本棚でドアをすべて塞ぎ、長男の私は4歳と2歳と1歳の弟たちを押入れに隠し、その前に立って必死に彼らを守っていました」

社宅を出て引き揚げ船に乗るまでの1年間は、住居なく大陸あちこちをさまよい歩くことに。暴動はいつ起きるか分からないので、常に団体行動をした。お腹が空いて寒くて辛かったが、「不思議と怖くはなかったんです。親がそばにいて絶対守ってくれると信じていたから。でも今、私も親になってわかりましたが、小さな子どもたちを連れ、あてのない避難・逃亡生活を続けて…親はどんなに心細かったろうと思います。あの頃、親が何かを食べているところを見た記憶がありません」

作品に生きた引き揚げの体験

引き揚げてくる途中の中国の荒れ地…。喉が乾くあまり水たまりの汚れた水をすくって飲んでしまったことも。実は『あしたのジョー』に登場する金竜飛という韓国選手の話は、当時の経験をもとに描いた。「金選手は、朝鮮戦争の時、自分のために食べ物を運んできてくれた父親を、自分を襲ってきた敵と間違えて殺してしまうんです。減量で苦しむジョーを見た金選手は『俺はもっとすごい地獄を知っている』と。ジョーがこの選手には敵わないと感じる話です。また、ジョーが減量で苦しんでいる時、いつのまにか描き手である私も減量して苦しんでいるんですね。空腹なのに私も食べられなくなるんです」。少しリアルに描きすぎたのではないかと語るが、役に息を吹き込み、生身を感じさせるキャラクターを数多く生み出してきた。

避難中、見知らぬ場所で仲間とはぐれ、もうダメだと思った時、父が親しくしていた会社の同僚・除氏と奇跡の再会を果たす。仲間と合流するまで、一歩も外に出ないことを条件に屋根裏にかくまってもらうことになった。「薄暗くて狭い屋根裏での日々は遊びたい盛りの子供には苦痛でした。私は退屈する3人の弟を楽しませるために絵本をつくり、続きを心待ちにする彼らのためにせっせと新作づくりに取り組んだ。これが漫画家としての原点となった気がします」

戦争ではみんなが犠牲者に

敗戦から約1年経った夏、コロ島にたどり着き、ようやく引き揚げ船に乗り込んだ。船を見たのは初めて。「海に鉄の塊が浮かんで、そこに大勢の人が乗って、沈まないのか? と不安でした。生まれたばかりの時にもこの船で満州に来ているんですけどね」。船が岸壁を離れた時に初めてみんなホッとしたようだった。

「地獄の旅でしたが、日本では東京大空襲で一晩のうちに10万人が焼かれ、眼の前で自分の家族が死んでいくのを見た子供たちもたくさんいました。広島と長崎では原爆が落とされ、戦地では水木しげるさんのように片腕をなくして泳いで逃げた人もいた。それに比べたら、私の1年間は親と一緒にハイキングをしてたようなものです。辛かったのは中国人も同じ。だからよくこんなにたくさんの日本人を無事に送り返してくれたなと思います」

赤塚不二夫、森田挙次、北見けんいち、古谷三敏…と漫画家に引き揚げ者は多い。1972年の国交回復後、漫画家仲間との満州ツアーではみんなの住んでいた家を訪ね歩いた。夕方に真っ赤に染まった夕日を眺め、少年時代を懐かしく思い、涙が溢れ出した。中国は第二のふるさと、みんなそう感じていた。

(小金澤真理)