日本と中国NEXT 片小田廣大さん

2022年11月1日号 /

片小田 廣大さん

2014年に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修了。同年日本貿易振興機構(JETRO)入構。ビジネス展開支援課にて日系中小企業の海外展開支援を担当。2016年からJETRO武漢事務所に赴任し、進出日系企業支援や調査を担当。2021年に帰国し、現在は海外調査部中国北アジア課に勤務。中国経済や日中の貿易・投資、またRCEPに係る調査・分析を担当。

留学年:2009年8月~2010年8月
留学先:上海・華東師範大学(大学3年次交換留学)
現在のご所属:日本貿易振興機構(JETRO)

 

それはまるで映画を一本観たかのようだった。彼は武漢駐在時、COVID-19発生源とされる場所から最も近くにいた日本人だった。都市封鎖の中で取り残された日本人をケアし、前代未聞の状況下で彼らを率いて帰国させたという。その功績は記録にも記憶にも残されるべきだろう。その歴史が動く瞬間において責任感を行動へと結びつけたのは、中国留学が起点となっているのではないだろうか。「日中の懸け橋」にならんとする学生にとって、彼から学ぶべきことは多い。


■日本の大学では地理学を学ばれていらっしゃいましたが、なぜ中国留学に興味を持たれたのでしょうか?

きっかけはたまたまでした。大学掲示板で見つけ、応募しました。学部も中国と関係があったわけではありませんが、祖父母が戦前の上海に住んでいて、当時の話を幼少期から聞かせてもらっていたので、以前から漠然とした興味はありました。

■上海の華東師範大学を選ばれた理由や、また、そこで何を学ばれたのかご紹介下さい。

(公社)日中友好協会のプログラムに合格してから、第3希望まで選べたのですが、全て地理学が学べる大学を選択しました。前期は中国語の授業だけでしたが、授業が無い時は本科生に混ざって地理学の授業を受けていました。

■中国留学経験は、進路選択の際にどのように影響したのでしょうか。

あれだけ反日デモの様子がTVで流れていたにもかかわらず、現地で差別にあったことは一度もありませんでした。むしろみんな日本のアニメや文化、日本製品が好きで、このギャップはどこから来るのかとずっと考えていました。そこで、もう少し日中関係について学びたいと思い早稲田大学大学院アジア太平洋研究科に進学し、日中関係学のゼミでTPP等の多国間協定が両国間に与える影響について研究していました。就職では、これまで学んだことを仕事に活かしたいと思い、JETROに入構しました。

■改めて、今のお仕事の業務内容について教えてください。

JETROの海外調査部で、中国の日々の経済動向について調べ、レポートにまとめ発信したり、セミナーで講演をするのが主な業務です。中国政府が発表した中国語の政策等を毎日読み、新型コロナに限らず、ビザ、最低賃金など多角的な切り口で、経済情報を発信しています。また、RCEPがまだそこまで日本企業に浸透していない中で、より有効に活用して戴くための取り組みも行っています。

■最後に、将来の日中の懸け橋になる学生に向けて、メッセージをお願いします。

非常に多くの方が「日中の懸け橋」という言葉を使いますが、実はこの言葉はビジネスの上ではあまり使いません。この言葉はとても抽象的で、具体性を伴っていないからです。具体的に「どう懸け橋になりたいのか」を考えることが重要だと思います。私は何か懸け橋になろうとしたわけではなくて、仕事として必要なこと、求められたことをやっていたら、結果的にフィールドが世界に広がっていきました。

今の学生さんには常にアンテナを張って、どういう所にビジネスチャンスがあるのか、もしくは自分が求められ活躍できるような場所があるのか考えてほしいと思います。また、一つのことを突き詰めるというのも重要ですが、突き詰めた先に必ずしも成功やチャンスが待っているとは限りません。自分の分野を極めつつ、いろいろな方面に目を向けることもまた重要ではないでしょうか。


取材後記

今回のインタビューは予定を大幅に超え、2時間半以上にもわたった。

彼から一貫して感じたのは、具体的な行動に常に着目されている点だ。本文での「懸け橋」の下り以外にも、中国留学の経験や人脈、果ては専攻で学んでいた内容を使って、具体的にどう行動に落とし込んだかについて教えて戴いた。本紙面ですべて紹介できないのが非常に悔やまれる。その行動力、いや実行力が、結果として両国間に橋を懸けるに至った。我々が目指す橋の理想的な懸け方を示された貴重な時間であった。

(King’s College London, 人民大学 郭拓人)