岐阜県日中友好協会が『日中半世紀 記念シンポジウム』開催

2022年11月1日号 /

不断の交流 50年先に思い新た

岐阜県日中友好協会(杉山幹夫会長)は「岐阜から日中の未来をさぐる」をテーマに『日中半世紀 記念シンポジウム』を9月25日、岐阜市のホテル・グランヴェール岐山で開催した。元朝日新聞編集委員のジャーナリスト加藤千洋さんの基調講演やパネルディスカッションを通じ、参加者は次の50年に向け不断の民間交流を続けていく思いを新たにした。

今年は1972年の日中国交正常化から50年、正常化の10年前に岐阜市と杭州市が「日中不再戦」碑文を交換してから60年の節目にあたり、同協会では秋の「ぎふ・中国くるぶ交流講座」をバージョンアップした。


【加藤千洋さん基調講演】

関係改善への期待と民間外交の大きな力

加藤さんは、二度、計7年にわたる北京特派員経験などを踏まえ、「記者として見た日中50年」と題し民間交流の継続を強調した。

基調講演する加藤千洋さん

最初に赴任した1980年代半ば。日中関係は非常に安定していたが、89年の「天安門事件」が転機になった。6月4日未明、民主化を求めて天安門広場に座り込んだ学生を軍隊が武力で排除する現場を目の当たりにし、「改革開放で世界の仲間に入り、共に経済発展を目指そうと歩んでいた国が、こんなことしたら駄目じゃないか」と、怒りと恐怖で膝ががくがくした、と振り返る。

ソ連のゴルバチョフ書記長が5月、中国に乗り込み、最高指導者の鄧小平と中ソ和解の握手をするというので世界のメディアが北京に集まっていた。広場の様相は逐一世界に流れ、日本国民はこの事件に大変なショックを受けた。日本メディアの報道スタンスは「日中友好」から「中国は異質の価値観で動いている」に変わったという。

天安門事件で中国経済にブレーキがかかるがすぐ立ち直り、2010年にはGDPで日本を追い越し、「中国脅威論」が広がった。日本は60年代、世界第2位の経済大国になったが、政治、経済、社会システムにほころびが生じ、どんどん発展していく隣国の放つ光がまぶしく、ねたみ、反感、脅威感が相まって対中好感度はずっと下り坂である。

中国は米国と覇権を競う強国になったが、肌で感じる中国は「複雑で多様な顔を持つ国」。国民生活に目線を当てると、格差に苦しむ人がいたり、自由が制限されたりする側面はなくなっておらず、もろさ、ぜい弱さが目立つ国だという。

日中関係は今、大きな岐路に立つ。もつれた糸を一つ一つ愚直に解いていく以外にない。これからの50年を目指す上で、自民党リベラル派閥「宏池会DNA」と「以民促官」を重要キーワードに挙げる。

前者は宏池会会長の岸田文雄首相が日中関係改善にどこまで取り組むのか。後者は民間交流の地道な積み上げで政府の重い腰を上げさせること。国交正常化の10年前、二度と戦火を交えないと碑文を交換して杭州に「日中不再戦」の碑を建てた岐阜は民間外交の手本とエールを送った。


【パネルディスカッション】

パネルディスカッションは、加藤さん、愛知大学国際問題研究所客員研究員の坂井田夕起子さん、当協会理事の五島博美・元昭和商事常務と西村今日子・森松工業監査役が登壇し、土屋康夫理事長が司会を務めた。

意見交換する左から土屋康夫理事長、加藤千洋さん、坂井田夕起子さん、西村今日子理事、五島博美理事

 

成功のカギ握る心の交流

初めに坂井田さんが(全国)日中友好協会の歩みを「立ち上げ」「遺骨送還」「日中不再戦の碑建立」から解説。戦前中国と関わった人、僧侶、華僑らがGHQ(連合国軍総司令部)下に立ち上げ、クリスチャンで政治色のない内山書店店主・内山完造がトップに就き、川端康成ら文化人も名を連ねた。中国人殉難者の遺骨送還運動は日中戦争の反省で、政府の一括に対し地域ごとの返還を提唱、岐阜の遺骨送還もその一つ。隣国と再び戦火を交えない誓いが「日中不再戦の碑」で、中国に碑を建てたのは岐阜だけ。

国交正常化後、日中は共に経済発展を目指す。80年代に杭州・西湖畔で日中合弁ホテル第一号「杭州友好飯店」の建設に携わった元昭和コンクリート社員の五島理事、ステンレスタンクメーカのパイオニアとして90年代から上海の合弁会社で製造を始めた森松工業役員の西村理事は、文化や国民性の違いによる苦労、政治的リスクなど日中ビジネス体験を語る一方で「基本は人と人とのつながり。謙虚に学び合い、お互いをよくする、次代を担う人材を育てていくことが大切」と訴えた。

したたかな戦略構築を

各パネリストの発言を受けて加藤さんが総括した。「両社のパイオニア精神は素晴らしい。コロナ禍にも関わらず、日中貿易額は年々記録を更新。今の日中関係、本当に難しいのかと疑ってみる必要がある。競争してお互いに伸びていく分野、老齢化や環境問題など協力できる分野はまだまだある。複眼的、多重的な姿勢で上手にやっていく、したたかな戦略が求められていると感じた」

最後に司会の土屋理事長が、先人の知恵と草の根交流を例に「国と国の対立を国民同士の対立にしてはならない」と締めくくった。

(文・土屋康夫理事長、写真・岐阜新聞社提供)