中国東北部の風俗 を象った土人形「圓平人形」

2019年1月1日号 /

「圓平(えんぺい)人形」と呼ばれる、20世紀前半における中国東北部の風俗を象った土人形がある。筆者が所属する天理大学附属天理参考館(奈良県天理市、以下「当館」と記す)は、国内外の民族学および考古学の資料を展示する博物館で、約50種の圓平人形を所蔵している。2018年に開催した企画展「中国の風俗人形」(7月4日~9月3日)では、この中から約20点を選んで展示した。その圓平人形について紹介したい。(天理大学附属天理参考館 学芸員 中尾徳仁)

 

中国へ渡った小倉圓平が製作

図1 圓平人形「紙くず拾い」1930年代、瀋陽市にて収集 高さ14㎝

圓平人形を創作したのは、初代・小倉圓平(1887―1949)である。小倉は兵庫県津名郡(現・洲本市)出身の陶芸家で、20代前半頃は京都三越の意匠部に勤務していた。1921年頃、仕事の関係で中国大陸へ渡り、やがて東亜煙草株式会社の図案部長として煙草パッケージのデザインに携わる。そして1930年頃、奉天(現・瀋陽市)市内に「趣味の店 圓平人形」を開店し、圓平人形およびその他陶器類を制作・販売した。
小倉の作品は現地在住の日本人のみならず、内地から来た観光客にも御当地土産として好評を博したという。その人気ぶりが伺えるエピソードとして、当時有名な映画女優であった李香蘭がお忍びで来店したことや、圓平人形の贋作が出回ったことなどが挙げられる。

瀋陽の皇帝陵墓付近の土を使用

図2 圓平人形「お茶売り」 
高さ15㎝

圓平人形の材料には、昭陵(瀋陽市北部にある清朝第2代皇帝・太宗と皇后の陵墓)付近の土を用いたという。それらを捏ね、型には嵌めて焼いてから彩色が施される。
図1は、道士の服を着た老人を象った人形で、紙くずを入れるための黒い籠を2つ携えている。手前の籠には白字で「敬惜字紙」、後方の籠には「同善堂」と書かれている。なお、籠の紐部分は麻ひも、右手に持っている先端に鉤が付いた道具(紙屑を拾うためのものか)は、竹ひごと針金で作られている。
かつて中国では、文字が書いてある紙(字紙)を粗末に扱う行為は、文章や学問を司る神を侮辱することになると考えられた。そこで、地面に落ちている字紙があれば丁寧に拾い集め、「字紙亭」と呼ばれる炉へ運び焼却した。この風習を「敬惜字紙」という。また「同善堂」とは、清代に天然痘対策のために奉天市内に創設され、その後貧民救済・社会事業も展開した施設の名称である。
小倉が発行した小冊子『人形と解説』 には、圓平人形28点のタイトルと、それぞれの解説文が掲載されている。また、巻末には「その他風俗約五百種」との記述があることから、作品には非常に多くのバリエーションがあったと思われる。ところで、当館所蔵の圓平人形(約50種)は次の4つに分類できる。

図3 圓平人形「猿回し」 
高さ14.5㎝

①「お茶売り」「タバコ売り」「飴売り」等の商人を象った作品
②「猿回し」や「皿回し」等の大道芸人を象った作品
③「農家」「寺院」等のさまざまな建物を象った作品
④多人数による「花嫁行列」や「葬儀の行列」を象った作品

図2の「お茶売り」は杏仁茶を商っている。杏仁茶は、杏の種子を乾燥させて粉末状にしたものを湯にといて作る飲料で、咳止めの効果があるという。図3の「猿回し」は、芸人が手に持った銅鑼を鳴らすと、猿が帽子を箱から出してかぶったり、歌に合わせて芝居をしたりする大道芸の一種である。また、図4の「農家」は、土壁でつくられた農家を象った大型の土製模型である。玄関先には2人の子供がいて、1人は座っている男性に話しかけ、もう1人は3匹の黒豚を外へ連れ出そうとしている。

当時の風俗を知れる貴重な資料

図4 圓平人形「農家」 高さ25.5㎝

既述の通り、圓平人形は中国人が制作したものではなく、あくまでも日本人の目を通して見た「中国の風俗」をイメージした人形である。ただし20世紀前半における中国大陸の風俗を象った土人形は、現在ほとんど残されていない。それゆえに圓平人形は、当時の市井の姿を絵や写真ではなく「立体」として見ることができる、という意味で貴重な資料と言えるだろう。

[天理大学附属 天理参考館]
奈良県天理市守目堂町250
TEL:0743-63-8414 FAX:0743-63-7721
開館時間 9:30~16:30(入館は午後4時まで)
https://www.sankokan.jp ※現在、圓平人形は展示しておりません