平和友好条約締結40年の日中のこれから ― 福田康夫元首相に聞く ―

2018年9月1日号 /

 平和友好条約を結んでから40年が経った日本と中国。この間、中国は急速な成長をとげてGDPを増大させ、世界経済をリードする存在となった。「日中は新時代に入った」と広く叫ばれるようになった現状をふまえ、条約40年、歴史認識、民間交流など、これからの日中関係発展のヒントを探るべく、福田康夫元首相から話を聞いた。

中国は変わった。どう付き合うか

(ふくだ・やすお)1934年生まれ。早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業。会社員を経て1990年に衆議院議員選挙で初当選。その後、内閣官房長官などを歴任し、第91代内閣総理大臣に。2008年5月には来日した当時の中国国家主席・胡錦涛氏との間で「戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明」(第4の政治文書)を交わした。2012年に政界を引退。父は日中平和友好条約締結時の首相、福田赳夫

――改善の兆しがみえてきた日中関係の現状をどう見ているか。
靖国参拝問題や島の問題で日中関係は一時悪い時期があった。そういうことを経て日本も中国もいろいろと考えたと思う。日本は、中国との関係を重視しなければならないと、おそらく多くの人が思っているだろう。だから、自然に改善へ向かう時期がきたと考えていい。
中国は短時間で大きな成長を達成し、その勢いは止まらない。国際社会においても中国の位置は変わり、与える影響も大きくなった。中国自身も自らの立場をよく考えて、その立場にふさわしい行動をしていかなければならない、と思っているに違いない。その帰結が人類運命共同体であり、その実現のための新型国際関係なのだと思う。
一方、日本も10年前とはまったく違った次元の、大きく変わった中国との付き合い方を改めて考えなければならない。「10年前とは違うんだ」という変化があったことが、近年の日中関係の一番大きな事情ではないかと考える。
これまで「中国はいろいろ難癖をつけてくる」と思っていた日本人は多かったと思う。しかし、中国からすれば自然の成長を続けて、当然の変化をしてきたわけで、主張だって強くなり、内容も変わってくる。ただ日中関係は重要だということは中国も十分認識していると思うので、そういう変化に応じて日本はこれまでとは違った対応を考える必要がある。
大事なことは、まずは「話し合い」。話し合いながら、お互いの理解を深め、変化する中国を正しく知る努力をしていく。そうしていけば日本での中国に対する国民感情は改善するのではないだろうか。日本も新しい次元の中で積極的に動かなければならない。

 

――40年前の条約締結について思うことは。
日中関係をなんとかしたいと考えていた条約締結時の政治家や民間人は一生懸命だった。日本では首相の福田赳夫を筆頭に、政治家が中心となって取りまとめに奔走した。それに政府や財界、有識者などが努力を重ねた総合結果だ。1972年の国交正常化は戦争状態が終わったというだけで、いろいろな取引上のルールはできておらず、人の往来も制限的だった。だから本格的な交流をしよう、人も物も自由にできる体制をつくろう、ということだった。
しかし、国交が回復してから6年が経っていた。なんでそんなに時間がかかったのか。「機は熟さず」の状態で、立ち上がる機をうかがっていた。中国ではちょうど鄧小平氏の体制になって、早く先進国に追いつかなければいけないと考えていた。経済を豊かに、国民を幸せにしようという強い思いがあった。鄧小平氏の「一大決心」であり、日本はそれに応えた。「一生懸命やりましょう」と。
条約の批准書の交換のために来日した鄧小平氏は、交換式の数日後には千葉県にある新日鉄の、その頃完成したばかりの最新鋭製鉄所を視察した。その後、大阪の松下電器も訪れた。鄧小平氏が技術協力を求めた際、新日鉄や松下電器などは全面的な協力を約束した。松下幸之助氏は重役連中が技術提供に難色を示したところ「いいんだ、いいんだ。隣の家が豊かになれば、たまにはお土産の一つぐらい持って来てくれるだろう」と話したという。そうした太っ腹なところに、おそらく鄧小平氏は「日本はいい国だ」「信用できる」と自信を深めて帰国されたのだと思う。

 

――政治家として政治レベルでの日中交流の難しさをどう感じていたか。
日中間の経済関係は日本の経済界の協力や政府の後押しもあり、順調に進んだ。ところが、政治的にあまりスムーズではなかった。1980年代から歴史認識問題が起こり、日本の政治家の無用な発言が繰り返され、その都度中国が反発した。85年には当時の首相の靖国神社公式参拝があり、中国は絶対にだめだということで、関係がかなりギクシャクした。その頃から日本を代表する人たちの靖国神社参拝に中国は反対し続けてきたという経緯がある。
その後89年に天安門事件が起こり、欧米は人道的問題として中国との外交的な付き合いを拒否した。日本も最初は欧米の論調に与したが、日本にとっては隣国であり、欧米とは根本的に違う事情があるので、92年ごろから関係改善を進め、普通の付き合いに戻った、ということがあった。
そのような中国の国内的な問題もあり、「中国はけしからん」という日本の政治家も増えるなかで、歴史認識、靖国問題が引き続いた。中国の反発を承知の上で靖国参拝をする政治家も出てきて、中国も余計反発する。反日教育の強化にもつながったのではないだろうか。
2000年代に入り、小泉政権で私が官房長官を務めたときに靖国問題はピークになった。小泉元首相は中国に対して悪気を持っていたわけではなかったが、靖国参拝のことだけは総裁選挙のときの公約にしたという理由で、内外の反対を押し切って行き続けた。このことを除けば小泉氏と中国との関係に悪いところはなかった。むしろ、盧溝橋を訪れたこともあるし、ボアオ・フォーラムの第1回総会でスピーチしたこともある。また、当時の中国の経済発展ぶりに欧米が神経質になり始めているころだったが小泉氏は「中国が発展することは他国にとってもいいことだ」と表明し、欧米との考えの違いを示していた。そういう点は中国も評価してくれていた。しかし、中国の国民の靖国参拝に対する反発は強く、中国政府も参拝を認めるわけにはいかなかったのだろう。

加害者の立場を忘れてはならない

――戦後生まれの世代が日中ともに増えるなか、日本人として歴史にどう向き合えばよいのか。
若い世代の人たちは日中ともに戦争のことは知らない。親族から聞いたり、学校や書物などで学んだ人もいるだろうが、自分の経験ではないので切実感は少なく、「過去のこと」「私たちには関係ないこと」と考えている人がいても不思議ではない。しかし、日本は加害国であり、中国は被害国であることを忘れてはならない。日本人が若者といえども「聞いたことがない」「もう忘れた」「自分たちの責任ではない」などと言ったら、中国の若者はどう思うだろうか、説明するまでもない。相手を怒らせたり、傷つけたりしてはいけないぐらいのことは子どもでも分かっている。
去る6月、私は上海を訪問し、復旦大学や上海交通大学の日本研究所・センターで開所式やシンポジウムに参加してきた。日本に関心を持つ研究者が数多く集まり、関心の大きさを表していた。相互理解は一方通行ではできない。日本が中国を理解するだけでなく、中国の日本理解が必要だ。その点については、以前から中国の日本に対する理解度は相当高いと思う。
今回、上海の両大学に招かれたことは、明らかに中国においても「日本理解を深めたい」という考えの表れであり、喜ばしい限りだ。翻って、最近の日本の状況はどうだろうか。中国を訪問する日本人が減少しているのは象徴的なことで、こんなことで良いのか、大いに反省し、奮起すべきだと思う。

 

――その際に南京大虐殺記念館を訪問されているがその感想は。
上海を訪問した折、高速鉄道で南京を訪れ、記念館に立ち寄った。最近、外観、内容ともに変わり、すっかり新しくなったと耳にしたからだ(*)。以前は展示物の中におどろおどろしい蝋人形などがあって、日本人の中には行きたがらない人も多くいた。実は私もそうだった。しかし、現在は以前にくらべて事実に基づいた展示物に入れ替えられ、記録文書と写真が増えたようだ。中国側の文書のほかに、日本軍の兵士の日記帳や写真など日本側の資料も展示されており、日本の防衛省から提供されたものもあるようだ。また、第三者の視点として欧米の記者のレ
ポートなどもあった。
南京事件での死者30万人という数字は残っていたが、案内してくれた館長さんの説明では、戦闘は南京城壁の外でも行われ、そこで亡くなった人や捕虜にされた人なども入っているとのことだった。日本では一時、数字の妥当性について賑やかな議論があったが、そうした数字の議論にどれほどの意味があるのだろうかと思っている。ましてや加害者の立場から数字の議論を吹っ掛ける筋合いのものではないと思うし、5万、10万となってくれば、それだけで大事件だからだ。
私が見たかぎり、南京大虐殺とはどういうものであったか、その真実に近いものを知ることができ、広島平和記念資料館のように全体を把握できる追悼・平和祈念施設であると感じた。

新たな協力の方向性を明確に示すのが第5の文書

――5月にニュース番組で程永華駐日大使と対談された際、日中両国が新たに交わす第5の政治文書の必要性について言及されている。その真意は。
冒頭に申し上げたが中国は変わった。かつて後進国だった中国のGDPは2010年に日本と肩を並べ、今や世界第2位、米国に次ぐ大国で、その規模は日本の3倍近くにもなった。
中国そのものが急速に変わったことで、国際社会の中でなすべき責任、役割も当然のことながら大きくなった。中国はそれを十分認識し、当然その責任を負わなければならないし、またそれは世界全体の安定に資するものでなければならない。AIIB(アジアインフラ投資銀行)の組織や、「一帯一路」の推進はその線上にある。
日本もかつて、1968年に当時の西ドイツを抜いてGDP世界第2位になった時に、ADB(アジア開発銀行)をつくった。国際社会に対して何もしなくてもいいというわけではなく、なんらかの役割を果たさなければならないという責任を思ったからだ。だから中国も今、その責任を果たすためにAIIBをつくり、一帯一路を始めたと理解している。
そうなると、そうした中国に対して日本はこれまでとは違う取り組み、対応の仕方があるのではと考える。世界の第2位と第3位の中国と日本がこれから何をしていくのか、それは世界に対して非常に大きな影響がある。日中が協力することによってアジア地域、ひいては国際社会の安定と発展のために何をすべきかを決めなければならない。その方向性を明確に示すのが、もし作成するならば第5の政治文書になる。日中両国にとって、今は非常に大事な時期である。

 

――9月8・9日に東京・代々木公園で開催される「チャイナフェスティバル2018」の最高顧問を務められているが、日中間の民間交流の重要性について思うことは。
民間交流は外交を円滑に進める上で極めて重要な部分で、「外交は国で民間交流はまた別」というわけにはいかない。国と国の間のことは、常に順調に行くとは限らず、時には反目することがある。だからこそ、国民同士は濃密な相互理解の上にしっかりとした信頼関係を安定的に維持していかなければならない。民間には外交・政治レベルの交流を順調にさせるために果たすべき重要な役割がある。
日本と中国はこんなに近くて、文化的にも非常に似通ったものがあるにもかかわらず、最近は日本からはあまり中国へ行く人が少ないという。何が問題なのかを考えてほしい。もしも日本側に問題があるのであればどう改善すべきかについて、民間レベルで中国側と話し合う機会があっても良いのではないだろうか。ぜひ、日中友好協会の皆さんもその原因を探ってほしい。いずれにしても、民間同士が交流することは両国関係を強固にする基礎になる。
(聞き手・北澤竜英、写真・吉井忍)

*…大幅な改修工事を経て2017年12月にリニューアルオープンした。