万〝里〟の長城
紅葉の季節になった。北京にいたら、必ず近郊の八達嶺や慕田峪など、万里の長城(中国語では〝万里长城〟)の名所へ紅葉を見に行く。ところで、万里の長城は実際どれぐらいの長さがあるのだろうか。この質問には、いろいろな回答が寄せられるだろうが、一番手っ取り早い答えは「1万里」だろう。
しかし、「1万里」といっても、この場合の「里」はどのぐらいの長さだろうか。中国人の学生なら問題なく答えてくれるが、中国語を勉強している日本人の学生に試しに聞いたら、ほとんど納得のいく回答が出ない。50メートルという人もいれば、100メートルという人もいる。10キロメートルなどと答える人さえいる。
実際には、中国の〝里〟は1キロメートルの二分の一で500メートルである。つまり、「1万里」は約5000キロメートルということになる。言うまでもないが、万里の長城の全長は、実際にはいろいろな説による計算の仕方があるようで、今は、2万キロメートル以上とされている。
万里の長城の歴史は古く、周の時代に建造し始め、秦の始皇帝が中国を統一した時に各国にあった城壁をつなげて、一つの大きな壁にした。ただし、その時代の壁は土でできたもので、明の時代になってやっとレンガで土の壁を覆って今のような形になった。明代の長城の長さは8800キロメートルぐらいである。
ネット上では、秦の時代から〝万里长城〟という言い方があるという説もあるが、確かな出典はない。あくまでも〝万里长城〟というのは「俗称」である。
日本の「里」
万里の長城について質問したところで、今度は日本の「里」はどれぐらいの長さだろうか、と学生に聞く。ほとんどの日本人の学生は正しく答えられない。100メートルという学生もいれば、500メートルという学生もいる。
最初に日本に留学した時、伊藤左千夫の『野菊の墓』を読んだ。その時不思議に思ったのは、主人公の政夫と民子が山畑へ棉採りに行くときの描写である。およそ3里ほどの道のりを二人は結構歩いて、途中に休みを取りながらやっと畑にたどり着く。しかも弁当を持っていて、お昼には家に帰らず、畑で弁当を食べて、夕方にやっと帰ってくる。ちょっと腑に落ちない描写だった。
中国の田舎で人民公社に勤めていた時、3〝里〟ぐらい離れている畑に行くこともあったが、朝出かけてから大体20分ぐらいで畑には着く。そして、特別な時期でなければ、朝食や昼食は自宅に帰って取るのである(田舎では、季節にもよるが、夏は大体、5時~8時、10時~13時、16時~19時、のように休憩を挟みながら働いていた)。
調べてみると、日本の「里」は約4キロメートルで、中国の〝里〟の約8倍にもなる長さであることがわかった。『野菊の墓』の描写は、まさに日本の「里」の距離感の通りであった。
言葉と文化の異同、非常に奥深いものがある。
(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)