元の姿?

2023年10月1日号 /

「本来の面目」と“本来面目”

作家川端康成がノーベル文学賞受賞の記念講演の冒頭に、曹洞宗の開祖である道元(1200~1253)の和歌「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」を挙げ、題字を求められる人にこれを書いてあげたということを披露している。福井県にある曹洞宗の大本山、永平寺の夜空を眺めて詠んだこの和歌は、「本来の面目」という題で、日本の四季折々の代表的なものが取り上げられ、これらは日本の自然の姿、即ち「本来の面目」だとされている。

「本来の面目」は「本来面目(ほんらいのめんもく)」とも表記され、仏教用語で、「天然のままにして、少しも人為を加えない衆生(しゅじょう)の心の本性をいう。仏性。」(『広辞苑』)という意味で、また「父母所生の面目」、「父母未生以前の面目」とも言われているようである。そして、一般に、人間の本来の姿、真実の姿、本来具わっている仏性を意味している。

川端康成がこの歌を挙げたのは、自然の現象と人間の心性が一体となっているのが日本人の心性だと言っているように思われる。

日本語としての「本来の面目」は仏教用語としても用いられるが、普段の言語生活でもよく使われているようである。「人を愛することは本来の面目だ」、「本来の面目を思う存分発揮する」みたいに、「もともとの心性」「もともと持っている力」などのように、そのままの意味である。

中国語の“本来面目”

「本来の面目」は仏教用語であるからには、言うまでもなく中国語にも同じ言い方、“本来面目”がある。仏教用語としては日本語と同じような意味で使われるが、普段の言語生活では、「もともとの心性」という日本語のようなポジティブな使い方よりも、ネガティブな場面で使うことが多いようである。“这是他的本来面目”「これは彼の本来の面目だ」と言えば、必ずネガティブなイメージである。そういう意味で、この文の日本語訳は「これは彼の本性(の現れ)だ」とした方がいいかもしれない。日常の言語生活では、「本来の面目」は“本来面貌”と訳すことができる。

道元の歌では、四季の代表的な物、花、ホトトギス、月、雪が取り上げられている。これは自然そのものに違いないが、花は色もあれば香りもあり、ホトトギスは鳥というよりもそのさえずりが耳に聞こえる。月は物体というよりも、その冴えたる綺麗な色、そして道元自身が言っているように、雪は自然物よりも「冷し」という冷たさがある。これらは嗅覚、聴覚、視覚、感覚という人間が備え持っている諸感覚である。

人間がそこにいるからこそ、自然物は人間と一体となるのではなかろうか。これが「本来の面目」、そう思ってやまないものである。

(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)