中国語? それとも日本語?

2022年7月1日号 /

「晴耕雨読」について

雨が降り続いている。雨の日には、いつも田舎にいた時のことが思い出される。

まだ人民公社の時代、生産隊で農作業をしていた。夜が明けると生産隊の鐘が鳴り、老若男女問わず、各々の家から農作業用の道具を手に手に集まってくる。畑は、遠いところは歩いて20分ぐらいかかる。畑に着いたら一斉に農作業を始める。しばらく続けると、働く衆の群れの中から、おおよそ一番年上の方から“吃一袋”(一服しよう)と声がかかる。みんなが手を休める。ほとんどの男性陣は、集まって煙草を吸う。マッチも事欠く時代なので、お年寄りの方が火打石で火をつけ、その火を分け合う。女性陣は持ってきた編み物などをする。自分は二三の若者とだけ、少し離れたところで読書を始める。農作業の合間のつかの間の読書は到底満足できず、いつも雨の日が待ち遠しかった。

「晴耕雨読」の話

初めて日本へ留学に来て、東京周辺のある名所を見学した時のことだったと思う。そこの掛け軸だったと思うが、「晴耕雨読」という言葉があった。それまで知らなかった漢字の四字成語で、田舎での生活に思いを寄せ、なんと素晴らしい言葉なんだろうと思った。

最近、気になって調べたら、中国(台湾を含む)で出版されている中国語の辞書には、どれも“晴耕雨读”という四字成語が収録されていないとわかる。自分が初めてそれを見た時の感じに合点した。

日本の辞書を調べると、やや時代的に早い、日本語に関する辞書で、上田万年の『大日本国語辞典』(1952年・1冊本)や大槻文彦の『大言海』(1956年・初版)などには「晴耕雨読」は収録されていなかった。対して、漢和辞書では諸橋徹次の『大漢和辞典』(1957年・初版)には収録されていたが、用例などはなかった。その後に出版された日本語に関する辞書では、大体当語が収録されているが、やはり用例はなかった。その中、『日本国語大辞典』(2001年・第2版)では、1938年の書物に使われたという用例が添えられていた。割と早い時期の中国語辞書、例えば、石山福治の『中国語大辞典』(1980年)には収録されず、やや遅れた大修館の『中日大辞典』(1987年・増訂第2版)、大東文化大学中国語大辞典編纂室の『中国語大辞典』(角川書店1994年)には収録されている。しかし、一般の「中日辞典」にはまだ収録されていないようである。

結論から言えば、近年中国でも知られるようになった「晴耕雨読」という四字成語は日本人が最初に使い始めたと考えられる。両国の知識人が力を合わせて、漢字文化を豊かにしてきた。この文化的財産を大事にしていきたいと思う。

(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)