日中の石碑

2019年5月1日号 /

中国の石碑は墓の側でなくなった人を悼む

まだ紙が無かった古代、人間はべっ甲や骨や石などに文字を刻んで出来事を記録した。べっ甲などに刻んだ中国の甲骨文字はよく知られるが、中でも、石に刻んだものは石碑として、それを後世に伝えることができた。

中国では、秦の始皇帝の前の時代から、国の王などが五岳の1つである泰山に登り、封禅という行事を行った。それが石碑に記載されたことで後世になってもその事実を如実に知ることができた。

西安の陝西省博物館には、古くからの石碑を集めた「碑林」という場所がある。歴代の石碑は素晴らしい書を見せるばかりでなく、その時代の文化・風俗習慣も教えてくれる。もっとも現代では、石碑は記録よりも中国では公的な「記念碑」や、特に私的に亡くなった人を悼むために、その人の生前の行いを記して墓のそばに建てる「墓碑」以外はあまり用いられていない。

日本の碑は「石文」

碑の「いしぶみ」という日本語読みは「石文」であって面白い。初めて京都の嵐山に行ったとき、周恩来総理の詩を刻んだ記念詩碑を見た。石碑は、故人の記念とか建造物などの建立記念以外に、歌や詩を刻み、それを以てその人を記念することを初めて知った。その後、日本の各地を回ったとき、あちこちでいろいろな碑を見た。奥の細道を歩いた松尾芭蕉の句碑や正岡子規、石川啄木の歌碑、島崎藤村、宮沢賢治の詩碑も見た。まだこの目で見てはいないが、青森県の竜飛崎(たっぴざき)にある石川さゆりの歌「津軽海峡冬景色」の歌謡碑はテレビ番組で見た。その土地の風俗、習慣などを楽しむと同時に、その土地と関わりを持つ歴史上の文化人のことも知りうる。

昔の中国の文人などは旅先で出会った名所旧跡を讃えて詩歌を作った。その土地の建物や石などに「題字」として残るものもあり、湖北省武漢市の黄鶴楼にある唐代の崔顥の詩や泰山登頂途中の多くの文人の題字などがある。多くの人がその遺跡を訪れ、故人の筆跡などを楽しんでいる。しかし、前述の日本の石碑はそれとは違い、人々が故人や有名人の足跡をたどって石碑を立て、偲んでいるようだ。ある意味、業績を讃えるというより、その文化と伝統の担い手となる人々を偲び、文化的伝統を今一度思い起こさせる役割があるように思われる。

中国では、公園などに詩歌の文言を書いたスレートが目につくが、日本のようなバラエティに富んだ石碑もたくさん作っていいと思う。

(しょく・さんぎ 東洋大学教授)