3-A

国を超えた繋がりのためにできること

今回の訪中で「食わず嫌いしない、偏見を持たないことの重要性」を身に染みて実感した。訪中前の中国に対する印象はあまり良いものではなかった。何か得体の知れない、相容れることのできないものだと思い込んでいた。しかし実際に行ってみるとそこには同じ「人間」の営みがあり、言語や文化の垣根を超えて心を通わせることができると知った。これまで持っていた偏見は無知ゆえのものであり、国の実態を知ることがいかに重要であるか学ぶことができた。今回の訪中で最も印象に残っているのは現地の大学生との交流だ。最初は言語が違う学生とどのように意思疎通すればよいか分からず、不安で一杯だった。だがその不安はすぐに吹き飛んだ。上海理工大学に着いた時、バスから自分の名前が書かれたプラカードを持った学生の姿が見えた。バスを降りるとプラカードを持った学生が笑顔で迎えに来てくれた。彼女は日本語が堪能ではじめましてと挨拶してくれた。不安で緊張していた私の心は一気にほぐれ、感動して涙が出そうになった。この瞬間が今回の訪中の一番の思い出だ。温かい歓迎と心を通わせることができたことが堪らなく嬉しかった。昼食の時に交わした会話からも現地の大学生の日常や考え方を知ることができた。まず中国の学生は勉強熱心で視野が広いと実感した。多くの学生が英語が堪能で、日本語を話せる学生も多かった。また留学に行くと言っていた学生も多く、グローバルな視点を持って果敢に挑戦していると知った。現地の大学生の優秀さを見せつけられ、自分の至らなさを実感し、更に勉学に励もうと強く思った。さらに驚きだったのは、現地の学生も日本の学生と同じような「青春」を謳歌しているということだった。KPOPやゲーム、アニメなど、皆何かしら熱中する趣味を持っていて大学生らしい生活を送っていた。中国の学生は勉強漬けというイメージがあったため意外に感じた。言語は違うものの、近い年齢で、同じような感性を持っていたのですぐに仲良くなることができた。この時私は言語は友好関係を築く上で全くもって障壁にならないのだと感じた。

今回の訪中を経て、世界中の人々が言語や文化の垣根を超えて共に分かち合える世の中にしたいと、そうならなければならないと強く感じた。就職活動真っただ中の私は、仕事を通じてどのように貢献することができるのか、常に考えるようになった。そこで出した答えは記者になることだった。もとより記者に興味はあったが、訪中を経てまさに自分が就かなくてはならない職だと確信することができた。私たちが偏見を持ったり、マイナスなイメージを抱く最大の要因は、相手のことをよく知らないからだと思う。得体の知れない、よく分からないものに対してプラスの印象を持つことは難しい。きっと自分たちとは分かり合うことはできないと思い込んでしまいがちだ。またメディアも大きく影響している。どのメディアも自国寄りの報道に偏りがちで、両論併記で公平中立な報道をしているメディアはほとんどない。私は記者としてその国の実態、そこで生きる人々のリアルを脚色せずに報道したい。外交問題や歴史問題を抜きにしてその国のリアルをフラットな目線で伝えられる記者になりたい。偏りのない、公平中立、両論併記の記事を執筆することで私は日中友好、ひいては世界中の国々との友好に貢献したい。


凄まじい熱量の国」

人生において初めて、自分は中国という土地に訪れた。中国を訪れるということは、自分の人生の夢の1つであった。というのも、自分の大学生活において中国は切っても切り離すことが出来ない存在だからだ。自分の第2外国語は中国語であるし、自分が所属しているゼミは、中国の政治や外交を研究している。ではなぜそもそも、中国に縁もゆかりもない自分が中国の言語を学び、中国についての研究をするようになったのだろうか。この訪中団をきっかけに自分はその動機を改めて考えてみた。その中で出てきた答えは「漠然とした中国、そして中国に住む人に対する興味」である。日常生活において中国に関するニュースを度々目撃する。あり得ないスピードでハイテク化する姿、度を超えた監視国家、とてつもない熱量を帯びた反日感情、一方で日本の繁華街で爆買いをする人々、デジタル先進国の一面もある一方で生活インフラが確立していない都市も多い極端な姿など、様々な側面、「顔」を持つ中国に惹かれていた。どこか一貫性がなく、矛盾さも感じてしまう中国。海を越えた隣国であるにもかかわらず、また昔から関係を持っている国、そして同じ黄色人種であるにもかかわらず、なんかよくわかない。最終的に言語化すると、「近しい存在のはずなのになんかよくわからないというミステリアスさ」に自分は興味を抱いていたのだ。今回の訪中団では、このミステリアスさを持つ中国を、実際に直接自分の目で見ることによって少しでも解明したかった。

何千年もの歴史があり、非常に広大な土地を有し、様々な民族がいる中国を、一週間という期間では、完璧に理解することは難しかった。しかし自分の中で1つ大きな気づきがあった。それは「中国という国、そして中国に住む人々は、何事にも凄まじい熱量を持って物事に取り組む」ということだ。この気づきは、今まで自分のもっていたよくわからなさを解明するきっかけにもなった。ではこの熱量とはどういうことなのか説明していく。最初に感じた熱量は、中国の方の我々日本人に対する「歓迎」である。それを特に感じたのは、上海理工大学、また北京第二外国語大学学校との交流である。特に印象的なのが、上海理工大学において学生が制作したロボットを見学した場面。言語の壁があるにもかかわらず、我々が楽しめるようにと身振り手振り使って懸命にロボットについて説明してくださり、我々を楽しませてくれようとする姿に胸が熱くなった。歓迎の熱量を感じたのはもちろんこれだけではない。上海から北京に行く国内線において、我々に提供されるお弁当が我々歓迎用に特別に切り替わっていたことも驚きであった。このような行動は、誰かを喜ばせたいという強い熱量がないと無理なことだろう。ふと思ったが中国の雑技団もこれに当てはまるのではないだろうか。中国では雑技団が有名だ。それこそ我々も北京で、雑技を見学した。雑技を見て思ったのが、なんて命ギリギリのことをするんだということだ。今になって思うのだが、この命をかけた雑技にも、中国の方の「誰かを楽しませたい、喜ばせたいという熱意」によって生み出されているものではないかと感じる。

もう一つ、歓迎と同じく熱量を感じたのが、「成長」に対してである。上海都市企画展示館や北京中日創新合作師範区の見学を通し、中国の未来に向けた投資に対する熱量を感じた。現状に満足することなく、アジア一、いや世界一にまでなってやるという野心を強く感じた。この貪欲さ、熱量が現在の中国をつくったというのなら納得がいく。

「何事にも凄まじい熱量を持って物事に取り組む」からこそ人をおおいに喜ばせることも出来るし、圧倒的な成長も出来る、一方でその方向性を間違えてしまうとテレビで見るような狂気じみた反日運動にも繋がってしまうのかなと感じた。

この訪中団で私は中国が更に好きになったし、より知りたいと思うようになった。また自分自身「何事にも凄まじい熱量を持って物事に取り組む」人間でありたいと思った。このような貴重な機会があったからこそ気づけたことだ。

改めて今回2023年訪中団事業に協力していただいた全ての方に熱く御礼を申し上げたい。本当にありがとうございました。


日本人として捉える中国

日本における中国に対する空気感は非常に冷ややかなものである。つき詰めると答えに詰まるような曖昧な悪印象を持っているように感じる。日本人の何人が中国に対してそういった空気に流されず、正当に中国を評価しているのだろうか。中国製は信用できない、中国資本はダメだ、などとワイドショーやSNSからとって張り付けたような意見を言い、中国を知った上で語っているという風を装うものが残念ながら日本には多くいる。そういった自ら調べて得た根拠ではなく、他者の意見を自分の意見のように語る者は世界中いるが、日本に対する中国のそれは、国民的意識に混ざってしまっている。

大学に入学し、学問とは教わる者ではなく、自ら調べたうえで自分の意見を持つことであると考えるようになった。日本のメディアにとらわれず、現地のメディアからも情報を得たいと考え、中国語を学びだした。中国政治を学ぶ者として中国という国を自分の目で見ることができる訪中団の機会を逃すことができなかった。大学にて比較政治、国際政治、政治思想、社会学、経済など様々な分野から政治を学び、中国政府の統率力や判断力から生まれる中国の国力に驚いた。日本は民主制を取っているが、中国がそうでないからと言ってあざ笑うのはあまりにも国の在り方、政治というものを理解していない。中国には素晴らしい政策が多くある。一帯一路などもその一例である。日本では非常に危険視されているが、日本という視野を捨て、一つの政策として考えると非常に優れている。近隣の国々にも経済的利益を与えつつ、中国に対してもメリットのある政策を一国一国と結んでいる。このような政策は日本で生まれることがあまりない。隣国である中国を敵対視でせず、日本の国民性を保ちながら、お互いの良い側面に便乗し合う形での友好関係をなぜ築けないのかと訪中団に参加するまでは思っていた。

しかし、訪中団に参加し、様々な複雑な感情を抱くようになった。日頃から「私は日本人である!」と考えて生活をしていることがない私は中国に対してもある意味日本人として中国をみたことがなかった。私個人として中国という国を捉えていた。中国と日本の戦争の歴史や虐殺の歴史はもちろん知っていた。しかし、どこかで他人事のように捉えていた。これまでは日本が虐殺を行ったのだから、中国人が日本人を快く思わないこともあるだろう、反日デモも起こりえるだろう、と考えていた。だが、私たち訪中団は日本人として、日本からの訪中団として日本を掲げて中国を歩いていた。中国の現地の方は私を個人として見るのではなく、日本人というレッテルを貼って見られたのだ。私は中国に対して好印象を持っていても、日本という国が持っていなかったら何の意味にもないのだと痛感した。北京にて抗日戦争記念館を見学し、自分は日本人であると痛いほど思い知らされた。虐殺の記録をみると、日本人として申し訳ない気持ちと中国に対する日本人であるがゆえに日本を弁護する気持ちが生まれた。中国の方にとって、戦争は私たちが歴史として片づけていいものではなかった。共産党にとっても抗日戦争は中国団結の機会となったため、大々的に語る節も確かにあるだろう。しかし、日本が行ったことに対して、日本側が勝手に終わった話だと言うのはあまりに自己中心的なのではないかと思った。そう思うと同時に中国からの日本に対する敵意が日本人である自分に向けられているようにも感じ、とても複雑な思いを持った。

訪中団は私が日本人として中国をどのようにとらえればいいのかを考え直させる機会になった。この機会に旅行では足を運ばなかったであろう場所を見学することができたことを本当にうれしく思う。なぜ中国政府がこのような機会を設けているのかを考えると、中国側からの日本のとらえ方をみてほしかったのではないかと思う。そして私はそれをみることができ、本当に全てを受け止めることができたかはわからないが、非常にラッキーであったと思う。訪中団を終えて、これからの日本はやはりもう少しリベラルに考える必要があると考える。中国にたいして敵対心をあおるような報道を減らし、中国は何を考え、日本の何をみて来たのか、中国側の考えも日本に流さなければならない。戦争に関しても、歴史として終わらすのではなく、それを経た今、私たち日本人はどのように中国を捉えるべきなのか、そして中国側はどのように私たちを捉えているのかを考えなければならない。「隣国とは友好関係を」というような言葉が訪中中に何度も使われていたが、日本でもそれを促すべきである。日本という国として、中国という国をもっと広い視野で捉えられる人が増えることを私は強く望む。そして中国側にも日本という国を知ってもらいたい。経済的や政治的なものだけでなく、今回のような人と人、国と国、歴史、文化、国民性を感じる交流が互いに増えることを願う。


対中感情、対日感情

まず初めに、今回の訪中にあたりご尽力下さった日中友好協会、中日友好協会の皆さま、また現地でお世話になった全ての方、私を訪中団に推薦してくださった小島華津子先生に感謝申し上げます。この度は貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。

私は大学にて現代中国の政治について研究するゼミに所属をしておりますが、実際に中国を訪れることは初めての経験でした。中国を見て感じたことは多くありましたが、ここでは実際に中国の方と接した際のエピソードをもとに、今回の訪中を振り返りたいと思います。

今回の訪中に際し私は、現地の大学生を含め中国に行かなければ接することのできない方々と積極的に会話をすることを目標の一つとしていた。こうした中で、訪中期間に現地で経験した二つの出来事をもとに訪中を振り返る。

一つ目は、私が上海のホテルにて朝食を食べていた際の経験だ。訪中以前より、中国の方は中国語で会話すると心を開いてくださるということを聞いていた。そのため滞在中は、拙いながら常に中国語で話すことを意識していた。朝食会場にて給仕の方が、私の座るテーブルまで来て「你要喝咖啡吗?」と聞いてくださった。すでに自分でコーヒーを準備していた私は、すぐに「不要」と笑顔で応じた。すると給仕の方は途端に笑顔になり、オオー!と言いながら大変嬉しげな様子で、テーブルの新しいコップにコーヒーを注いで下さった。返答の「不」が聞こえていなかった可能性は否めないが、それでも中国の方に中国語で接することで得られるお互いへの信頼や、良好な関係を垣間見たように感じた。私たち日本人にとっても、外国から日本に来た方が日本語で話せば、自然とその方に親しみを感じるだろう。恐らく全ての人間に共通することだが、中国の方と日本人との共通点を感じ、大変嬉しい経験であった。

二つ目は、現地の大学生と交流した際の経験だ。同じく上海にて現地の大学生と共に立食パーティーに参加した際、大学生数人と話す機会があった。互いに自己紹介をし、その中で私は大学にて現代中国の政治について勉強していることを申し上げた。そうすると、現地大学生の方はこの点に大変興味を持ってくださった。ある時、「では辻井さんは現在の習近平の政治についてどうお考えですか?」と質問を投げかけられた。

しっかりと時間をかけ、私の思うところをお伝えできれば何よりであったが、終了時刻も迫っていたため、大変誤解を生みうる配慮のない回答であることは重々承知しつつも、この場では一言笑顔で「So SENSITIVE」と応じた。そうすると、現地大学生の方は笑って下さったのである。この反応は私にとって大変意外なものであった。

いくつか問題を抱えた現在の日中関係を知る日本人の間では、中国についての踏み込んだ話題は幾らかタブー視される風潮があるように思う。日本人の間でこの返答に笑いが起きることは予測できたが、中国の方もこの反応をしたことが、私にとっては大変意外であった。

この反応が生まれることは、日本人だけでなく中国人も、中国政治について踏み込んだ発言をすること、一部国際社会の一般とは大きく異なる特徴を持つその政治体制に対し、距離を取りながら、ある程度冷めた目で見ながら、日々生活をしているということではないか。中国の方がこのような感覚を持っていることは、私にとって大変な驚きであったし、大変勉強になる経験であった。

こうした経験から私が感じたことは、当然のことながら、日本人と中国人は非常に近い感覚を持った人間であることだ。異なる政治体制のもとに生活をしていても、日常生活で感じる感覚は同じであることを、当然ながら強く感じた。

また中国に対し何かしらの関係、縁を持つ人々が、日中両国間の友好な関係構築に寄与する必要を強く感じた。中国の方の中には、私たち日本人に対し良い印象を持たず、またそのような態度をとる方もいる。今回の訪中で、実際にそうした方と接する経験をすることができた。しかしこれは、私たち日本人にとっても同じである。お互いに必ずしも良い印象を持っていないからこそ、今回のような機会を得、人よりも少し中国に親近感を感じる人、中国に対し良好な印象を持っている人が、率先して両国の民間交流に参加し、互いへの理解を促しながら、両国間の友好な関係構築に寄与する必要がある。


訪中で得た新しい視点

初めに、今回の私達訪中団の中国訪問を計画、運営して下さり、また貴重な経験をさせて下さった全ての方に感謝します。

私自身今まで中国との関わりは多く、小さい頃は家族と中国に旅行に行く機会がありました。また大学では、第2外国語で中国語を学び、ゼミでは現代中国政治を学ぶなど、中国という国やそこに住む人々について理解を深めようとしてきました。その中で、飛躍的な成長を遂げている最近の中国の姿を実際に見てみたいと思っていたものの、コロナ禍の影響もあり中国を訪れる事ができていなかったので、今回の訪中をとても楽しみにしていました。

もちろんこれまで中国と関わってきた経験は今も生きていますが、今回の訪中を経て、中国という国を考えるにあたって、また日本と中国の関係について考えるにあたって、訪中団として訪中しなければ得られなかったであろう新たな視点を持つ事ができたように感じます。

まず、今までは中国を捉える際、政治、経済、文化などどの面においても一つの国という単位で見てきた事が多かったのですが、その見方だけでは不十分だったと気が付きました。なぜなら、今回訪れた上海と北京は雰囲気が大きく異なると感じ、中国の中でも都市や地域によって文化や考え方に大きく差があるのではないかと考えたからです。上海は、街の歩道に人がたくさん歩いていて賑わっていたり、高いビルが並んで、夜になるとそれらがライトアップされてとても煌びやかでした。北京は、車やバイクが忙しなく行き交う一方、人が生み出すような賑やかさはあまりなく静かな印象でした。ただ歴史的建造物が多く、それらを見学した際に、目には見えないけれど長い歴史に対する誇りや内に秘めた力のようなものを感じました。もちろんこの滞在の中で上海、北京全体をまわる事ができた訳ではないので、それぞれの都市を一元化して考える事も良くないとは思いますが、「中国」というシンプルな言葉を主語にして話す事ができる事象がどれほどあるのか、疑問に思うと共に、今後中国についてさらに研究を深める際によりミクロな視点を持つ事も心がけていきたいと思いました。

また、非常に印象的だったのは、中国の大学生の皆さんとの交流です。上海理工大学の学生の方々は、私達が知識をあまり持たないラジコンカーのプログラミングについて、恐らく簡単な内容から根気強く教えて下さいました。また様々な素敵なプレゼントを用意して下さり、頂いたバッグを早速日本への帰国時の機内手荷物で使用している訪中団の団員が数多くいました。また、北京第二外国語大学の方々は、急遽私達が訪問する事が決まったにも関わらず、北京のお菓子やとても丁寧なプログラムを用意して頂いて、とても楽しい交流の時間を過ごす事が出来ました。特に、交流した学生の方に別れ際に日本のお土産をお渡しした際、プログラム中に美味しいとおすすめして下さった大学の売店に売っているミルクを私もプレゼントしたいから今から買ってくると言って下さいました。別れ際だったため時間がなかったのは少し残念でしたが、突然の訪問にも関わらずプレゼントしたいと思って頂けたその心の暖かさに感動しました。中国の大学生の方々と楽しく交流できた事に感謝すると共に、これらは中国に旅行に行くだけでは体験できない事だったので、訪中団に参加して良かったと思う大きな理由になりました。

今回得られた貴重な中国に対する新たな視点を、今後の中国研究や日中関係を考えていく際に活かしていきたいと思います。


訪中を通して

私は今回の訪中を通じてたくさんの感想を持ったが、ここでは二つを記そうと思う。

一つ目に、中国の人々の暖かさである。私はかねてより政治に関心があり、昨今の日中関係や中国の覇権主義的な政策を見て、そうではないと理屈では知っていても、中国人に対して何か信用できない印象を持っていた。だからこそ、実態はどうなのだろうか、と今回の訪中団に参加したという経緯もある。実際に上海理工大学の学生ら北京第二第国語学院、ホテルの職員らと接して、彼らが我々日本人と何ら変わりない、人であることが体験を通じて真に理解することができた。確かに中国人というのは声が大きかったし、日本人に比べて遠慮しない傾向にあったのは事実であったが、それでも彼らは優しかった。日本人も外国から見ればプラスに見えない側面もいくつかあると思うし、そういう意味で我々と変わらないのだと思う。昨今の国家としての中国の覇権主義的で人権を軽視した姿勢南沙諸島、尖閣諸島における領有権の主張や新疆ウイグルにおける弾圧−は決して容認できないものである。しかし、だからといって力によってそれを食い止めるのも決してベストとは言い難い。我々は引っ越しのできない隣人なのだから、お互いにとって善き隣人である必要がある。そういった面から、我々は対話による呼びかけをする必要があるし、そのために両国の国民レベルで仲良くする必要がある。私は単に、パワーバランスのみによる平和を追求するのではなく、人対人の友好的な平和の追求が大切であり、こうした訪中団のような交流の広がりがそうした追求を加速させるのだと思った。

二つ目に、歴史観である。4日目に中国人民抗日戦争記念館を見学して、当時の日本の侵略のありようを見た。日本の歴史観とは少し違っていて驚いたが、最終の展示場で政治利用のような描写があったことは残念に思う。私は昨年、靖国神社の遊就館に行き、今年は抗日戦争記念館に行ったわけであるが、両国の戦争博物館に行った経験を通して思うに、お互いの国がこれからの、お互いの関係を思い合うなら一歩引いた歴史観をもつべきである。日本はアジアの国々を侵略したことに対して謝意を持つべきであり、南京事件や従軍慰安婦―全ての主張が正しいと認めるわけではないが―について非を認めるべきであるし、中国側も日本を許し、誇張した被害者数、例えば当時の住民を優に超える虐殺被害者数の報告など、をやめるべきである。悲しきかな歴史は戦争の繰り返しである。この繰り返しに歯止めをかけるために我々が必要なことは、至らなかった点や相手を傷つけた歴史を忘れず、教訓にすることであり、また、互いにそれを許し合うことである。随分と昔のことではあるが、鎌倉時代の頃、中国とてモンゴル帝国の一翼として日本を侵略し、多くの現地住民を奴隷として強制連行した事実も存在するし、日本が同様のことを朝鮮出兵で行った事実も存在する。憎しみは新たな憎しみを生むことを胸に刻み、歴史に訴えるのではなく歴史に学ぶことこそが平和への一歩となることを多くの人に知ってもらう必要があるのだと、博物館の見学を通じて考えた。

今回のレポートでは体験記のようなものを求められる割に随分と他人行儀な文章になってしまったかもしれない。しかし、私はこうした発見を発見で終わらせるつもりはない。今後、政治学徒として、また情勢の緊迫した時期に訪中団に参加した経験のある者として、平和を作っていくため、こうした考えを広め、日中の恒久的な友好と平和に貢献したいと思う。


温かさに触れた7日間

高校生の頃から徐々に興味を持ち始めた中国及び中国語。大学で第二外国語として中国語を学び、少しずつ知識をつけていった。そんな中、今回の素敵なプログラムに参加することができたのは自分にとって大きな財産となった。見るものは初めてのものばかりで毎日が楽しかった。例えば、上海の東京とはまた違った夜景。東京の夜景を見慣れているかと聞かれればそうでもないが、日本の夜景を実用的な光と仮定すると、上海の夜景はとても芸術的な光であった。建物の形も何だかおしゃれでワクワクした。2日目の夜のクルーズで夜景を堪能することができた。6日目の万里の長城では、あいにくの雨であったが、それはそれで趣があって素敵だなと思った。ガイドさんが教えてくださったのだが、季節ごとの景色の違いもあるため、そちらもいつか楽しみたいなと思った。

訪中前を振り返ると、もちろんとても楽しみであったが、正直少し不安であった。訪中の直前に生まれてしまった問題の影響で、自分たちは中国でどのような扱いを受けるのか。交流するのが日本に友好的な人たちだということはわかっていたが、それ以外の人とも関わるタイミングが勿論あるため、そこが懸念点であった。しかし実際に行ってみれば、そんな心配も忘れるほど沢山の優しさに触れることができた。自分が体験したのはほんの一部に過ぎないことはわかっている。しかし、それでもとても嬉しかった。

中国で7日間過ごすにあたって、当たり前だが言語の壁があった。中国に来たからには現地の方と中国語でお話しをしてみたいと考えていた。しかし、訳の分からない中国語を話して嫌な顔をされるかもしれないという勝手な思い込みのせいで、最初の方は全く中国語を話すことができなかった。ところが、先程も書いた通り、そのような心配をする必要はなかった。引率の方や同じ立場の大学生の方々に教えていただいた知識、自分が持っていた知識を活用し、お食事中にお皿やコップを交換していただきたいということを中国語でお伝えしてみたり、お会計を簡単な中国語で頑張ってみたり。皆さんこちらの中国語に一生懸命耳を傾けてくださったため伝えることができた。「ああ!〇〇!」といった具合に、伝わった際に喜んでくださる方もいらっしゃって、とても温かい気持ちになった。

今回の訪中はとても素敵な経験であったが、青ざめた経験もあった。そういったハプニングも記しておこうと思う。北京での宿泊1日目の浴室にて。浴室の水の出方が、動かせるシャワーヘッドから出るものと、壁の下の方に固定された蛇口(おそらく浴槽に水をためる際に使うもの)から出るもの。シャワーを浴びるなら、動かせるシャワーヘッドを使うと思う。蛇口をひねった瞬間下の蛇口からでてくるため、膝下からずぶぬれ。しかしシャワーが使えないためシャワーが浴びられない。水の出口を変えるボタンなども見つからない。同室の子に助けを求めて正解を見つけたが、それをやると今度は蛇口からすらも水が出なくなってしまった。北京滞在1日目だったため、このまま残りの日数も使えずに周りの方々のお部屋でお借りするのかとか、最悪の場合壊したと疑われて料金を請求されてしまうのではないかとか色々考えて青ざめた。ロビーに電話をかけ、その際に自分たちの中国語力では説明ができないため、英語で説明をした。しかし、電話対応をしてくださった方は英語がわからなかったのかとりあえず向かうみたいな感じでお部屋に来てくださり、ジェスチャーで伝え、修理の方を呼んでくださり直った。何事も事前確認を怠らないということを特に海外に行く際は肝に銘じたいと思った。

今回の訪中で沢山のことを学び、そして沢山の人々の温かさを感じた。日本だから中国だからなど、その対象が分類されるグループのフィルター越しにその対象を見るのではなく、その対象自身を見るということを、今回中国で出会った方々はしてくださったという印象。私自身もこのような意識を大切にし、また、このような意識が広がればいいなと思った。


ステレオタイプを超えた七日間の訪問記

大学で第二言語として中国語を学んでおり、日本語学習支援のボランティア活動でも中国人留学生と交流していたことから、中華圏の言語や文化に興味があった。今回、実際に中国を訪れ、リアルな中国を感じる貴重な経験ができたことを大変嬉しく思う。日中友好協会や中国政府の方々をはじめ、この訪問に関わってくださった全ての方々に深く感謝を申し上げたい。

今回、中国に初めて行き、たくさんの得難い経験をさせていただけたが、本レポートではその中でも特に印象深い出来事を2つ紹介する。

一つは北京第二外国語大学の学生との交流である。教室に集まって班ごとに話をする形式の交流が主だったため、密に学生と関わることができた。私はまだ中国語初級者であるため、中国へ来てからも「間違っていたらどうしよう」と不安で、現地の方とのコミュニケーションは英語か翻訳機を見せることに頼っていた。しかし、学習レベルに関係なくがんばって日本語で話しかけてくれる北京第二外国語大学の学生たちの姿に勇気づけられ、間違っていても中国語で話してみようと一歩踏み出せる機会となった。

二つ目はスーパーに訪れた時のことである。この時が訪中した七日間の中で最も現地の人と交流できた場面だと思う。私はこれまで、海外に住んでいた経験が数年ほどあり、スーパーや飲食店等の店の従業員の接客は日本とは異なることを理解しているつもりだった。加えて、日本語支援のボランティアで関わった中国にルーツのある生徒から、日本人が中国に訪れることについて、行く地域や人によっては良く思わない中国人もいるかもしれないと聞いていたため、地元の方々に嫌な顔をされてしまったとしても仕方がないだろうと思っていた。しかし、実際行ってみると嫌な思いをすることは全くなく、楽しくショッピングすることができたことに驚いた。特に、スーパーのスタッフにおすすめの調味料を聞いたところ、スタッフ2人で相談しながら、ほとんど全く中国語で会話ができない私と意思疎通を取ろうとしてくれたことに強く感動した。

もちろん、ホテルやレストランで関わった従業員の方々にも丁寧に接していただけてとても嬉しかったが、ホテル等よりも外国人慣れしていないであろうスーパーに、急に日本人がたくさん来たのにも関わらず、気持ちのいい対応をしていただけたことがとても印象的であった。

今回の訪問を通してリアルな中国を感じることができた。日本には中国・中国人に対してマイナスなイメージを持つ人や、中国人は日本を良く思っていないのではないかと思う人も少なくない。しかし、上記を含めた七日間の出来事を通して必ずしもそのような中国・中国人だけではないことに気付かされた。「中国人だから良い・悪い」というステレオタイプがあるわけではなく、国籍にかかわらずそれぞれの個性や人柄があることを改めて実感した。歓送迎会でのお話で拝聴した通り、「日本と中国は引っ越すことのできない隣人」なため、文化や言語を学びつつ、中国という国あるいは人と今後どのように関わっていくべきか考えたい。


引っ越しの出できない隣人隣国

今回の訪中で、3つ思い出深いことがあります。

ひとつは、上海がここ10年で建築をはじめ、さまざまな文化が大きく発展していたことです。

上海都市企画展示館に訪れ、上海の歴史を詳しく知ることができました。動画をはじめとする資料を見て、ガイドさんの解説を受け、ここ10年で上海がとても発展していたことがよくわかりました。現地に行ってみて、正直日本とは比べ物にならないくらい栄えているとすら感じました。市内には豫园など、栄えている中にも緑があり、日本の大都市との違いを感じました。

上海ではガイドさんをはじめ、上海理工大学のみなさんから手厚い歓迎を受け、交流晩餐会でのパフォーマンスをはじめ、本当に心温まる体験ができました。ガイドさんに、「また10年後の上海に来てください。10年後の上海はまた違いますよ」と仰っていたのが特に記憶に残っています。また、上海理工大学の日本語学部の方達の、日本語のレベルには本当に感銘を受けました。私ももっと中国語について理解を深めたいと思いました。

2つめは、万里の長城に訪れた事です。雨が降っていたことが悔やまれますが、霧も出ていた事も相まってとても綺麗で神秘的でした。とても広く、現存するものは約500年、元となるものは約2200年前に建てられたものとは到底思えないと、感動しました。私は体力に自信がなく、雨で滑りやすかったこともあり、登ることは断念しましたが、また機会があれば次こそは身体を鍛え、万全の装備で登りたいと思いました。

3つめは、お土産を買う時間で、スーパーに立ち寄った時に、現地の人にとても良くしていただいたことです。今回の訪中は、処理水問題のこともありかなり警備体制をしっかりとしていただいた上での訪問になりました。正直、インターネットやニュースで流れるような事を現地の人にも言われてしまうのではないかと危惧していた部分もありました。実際はそのような事は全くなく、北京第二外国語大学のみなさんや、現地のスーパーで出会った方にも、本当に温かい対応をしていただいて、マスメディアの情報が全てではないと言うことを、実際に現地に足を踏み入れて体感しました。

私は中国と日本のハーフで、中国で3年ほど現地の学校に通っていた経験があります。中国での教育を受けていたからこそ、抗日戦争、南京事件について日本人より理解があるつもりでいました。中国人民抗日戦争記念館を訪れて、動画をはじめとする資料を閲覧し、私の理解はとても浅はかなものだったと思いました。そして、二度と戦争を起こしてはいけないと強く思いました。日本と中国は、引っ越せない隣人隣国である以上、互いに尊重し合いながら、歩み寄り協力しあうことが必要であると、未来を担う若者の一員として問題意識を持ちました。互いに協力し合えれば、私たちの未来はより豊かになるものだと信じています。その為には何ができるか、今回の訪中を通して考えさせられました。私の将来の夢は、日本と中国の関係構築に貢献できる人材になることです。その目標に近づくためには何をすべきか、今一度考えてみようと思いました。最後に、今回の日中友好協会大学生代表団に参加させていただいたこと、またそれに関わる全ての方に感謝を申し上げます。このような素晴らしい機会をくださって、ありがとうございました。


訪中を通して、感じたこと

今回、日中友好大学生訪中団として中国を訪問し非常に良い体験ができたと考えています。大学生訪中団は日本の様々な大学の方々が参加されています。その中で一緒のグループ、又は他グループメンバーとの交流がうまくいくのか不安でした。ですが、多くの人が親切にしていただき不安な面は解消できました。例えば、夕食の集まりに誘ってもらったり、落とし物を届けてくれたりなど皆さん社交的でしたので安心して日日の交流が行えました。

日日交流のおかげで親しい友人を作ることが出来ました。中国を通じて新たな出会いもあるのだと実際に体験することが出来たのではと感じています。また、訪中団として中国の学生との交流でも、話が通じるか不安やお互いに楽しんで交流できるかなど心配ごとがありました。上海理工大学、北京第二外国語大学学校との交流ではどちらも生徒同士で話し合える場を作ってもらえていたので緊張しつつでしたが中ゲームやアニメで日本の話をする事が出来ました。また、話し合いの場と言いましたがどちらも何かしらの食べ物がある場で行われていて中国のお客さんを迎える文化に触れました。上海理工大学ではお昼ご飯を現地の学生方と取りつつ中国の大学生の生活などについて聞きました。北京第二外国語大学学校ではスイカやメロンのフルーツの他、お菓子などを用意してもらっていました。どちらの大学も交流する場では食べ物があった方がいいといった文化的な考えがあるのではと思ました。実際に何かを食べながら話すと話題という面でも料理の事や味についての感想を互いに共有できるので話のきっかけづくりになって有効だと思います。食べ物での歓迎は世界共通で受け入れやすく、好意を簡単に伝える事が出来る行いだと考えます。

訪中する前は、中国の学生は特に勉強が厳しいと聞いていたのでもっと堅苦しく、中国の愛国心でちょっと日本を見下した感じでくるのではと考えていました。実際に交流をしてみて感じたのは、日本の大学生と変わらない事です。年齢が近いのもそうですが、インターネットやSNSを通して情報を得ていることが主流の現代では文化的な考えの違いは多少ありますが趣味や流行は日本の学生と変わらなかったです。そのため、親近感を持てました。

私は昔に中国に何度か行ったことがあります。その時の印象では田舎の方は緑が広がっている状態で、都会でもまだまだ道が整備されていなくてどこか汚い印象がありました。

今回訪中団に参加したのは10年前との変化を自分の目で確かめるという理由もあり、上海、北京に行きバスの中から街中をよく観察しました。結果的に言うと都会はかなり発展していて、道もキレイだった。当時中国に行った時には、道端にゴミがたくさん落ちていましたが、そんな痕跡もほとんどなかったです。特に上海に多かったですが人が多く行きかうオフィスビルが立ち並ぶ地帯や大通りは特にきれいな印象でした。また、今回北京ではバイク・自転車専用の通路が歩道や道路とは別に整備されている事が広い土地を生かした発展が出来ていると感じました。こういった整備のおかげで、中国ではコロナ禍を経験してですがデリバリーが広く普及したのではと考えます。

現在処理水の問題で日中関係が悪くなっています。ですが、この時期に実際に中国に行ってみて住んでる人はほとんど気にかけていない事が分かりました。現実として政府の方で魚介の取引を無くしてしまったことで、職を無くし困窮する人が出たため日本に対する批判があるのではと考えています。この問題は両国間の長い歴史の中での負の感情も入っているため、簡単には解決しません。今回の七日間の訪中を通して、今のお互いの事を知れば達外にもっている偏見がなくせると考えました。処理水も良く知らないから怖いし不安になります。私自身も中国は不衛生といったイメージをもっていましたが、今の中国を見て文化的にも社会的にも進化していてイメージを払拭することが出来ました。昔の情報で中国、日本どちらも判断するからこそ偏見に繋がっていくので、SNSを生かして出来るだけ新しい情報を私自身これから取り込んでいきたいと考えています。また多くの人に中国の良いところ悪いとこをどちらも共有できるコンテンツがあれば個々人の持つ互いの国への偏見をなくしていけると考えます。


訪中を終えて

訪中団で中国に訪問する前は福島の処理水問題のこともあって歓迎されないのではないかと不安に思うことがたくさんあった。しかし実際に行ってみるとご飯を食べたところでは笑顔で迎え入れ、交流先の学校では日本語で話してくれたり、中国語がわからないときでも日本語や英語を使って交流することができた。異なる言語でも会話をしたりコミュニケーションを取ることができて嬉しかった。日本と中国では政治では仲があまり良くない。お互いに偏見を多く持っている人もいる。私も今まで中国に対して偏見を持っていた部分があった。中国に行って中国の良いところもたくさん知れた。日本との違いにも気が付くことができた。これは中国に行かなければこれからも知ることができなかったと思うし、教科書や本でも載っていないことも勉強でき中国で過ごした1週間がとてもいい経験になった。

2日目に訪問した上海理工大学では自分たちとそんなに年齢も変わらない人たちが難しい内容を勉強していてとても同じ年代の人だとは思えなかった。ロボットを開発したり、空港で使える機会を研究したりと私が普段勉強していることとは違う内容で惹かれるものがあった。

上海国際会議センターでのパフォーマンスはどれもすごかった。そこで聞いた涙そうそうはまだ中国に緊張していたこともあり、たった1日しか経っていないのに日本を懐かしく思った。そこでも異なる言語でも心は通じることができるのだなと感じた。中国語での歌でも伝えたいことは心に伝わってきていた。

4日目に見学した中国人民抗日戦争記念館では教科書には載せることができない写真がいっぱいあり、途中で見るのも心苦しいものもあった。写真以外にも実際に使われていた道具や武器までも展示されており、戦争の怖さを改めて実感した。もし過去に戦争をしていなければ今とは違う関係になれていたのかなと思うと悲しい。隣の国だから仲良くやっていきたいし、お互いに支え合えるような関係を築いてほしい。

今回の訪中では行く前の不安な気持ちや心配な気持ちを忘れるくらい楽しいものとなった。毎日新しい発見をしたり普段の生活では関わる機会がないような人たちとも関わることができた。今までは中国について知りたいと思う気持ちが弱かったがもっと中国語を勉強したいと思ったし、中国の文化についてももっと深く知りたいと今回をきっかけに考えるようになった。そして今回中国に行ったことで偏見を持ってしまっていたと気が付き自分はまだまだ知らないこともたくさんあるのだと感じた。今後もこのような交流があれば積極的に参加していきたい。自分の目で見たことや肌で感じたことはこれからも忘れることはない。言葉が通じないことを一番不安に感じていたが今回の訪中で言葉が通じなくて困ったことは少なく周りの人の助けもあり困らないで過ごすことができた。伝えようとする積極的な姿勢があれば言葉の違いは乗り越えることができる。日本に帰ってきてからも中国で経験したことや感じたことを振り返る時間が多く、自分でもとても有意義な時間を過ごすことができたし、一生の財産になる経験をすることができた。学んだことをこれからの学校生活や社会に出てからも忘れずに活かしていきたい。


訪中後の心境の変化

日中友好協会を通して国境を越えて「中国人の方との交流をする」というなかなか参加することができない貴重な体験を経験させて頂けたことに心から感謝申し上げます。

今回、私が日中友好大学生訪中団に志望した理由は、実際に交流して国籍が異なれば、考え方、価値観が異なるのかを学びたいと考えた事と、私自身海外に行ったことがなく、海外の雰囲気を直接肌で感じてみたいと考えたからです。

訪中前の中国のイメージとしては、一言で表すと正直少し「怖いな」というイメージでした。なぜなら日本が中国側に濃い汚染水を流しているということがメディアで取り上げられていることが話題になっていたからです。日本では、有害な成分を薄くして流していると主張していますが、中国のメディアでは、日本が濃い有害な物質を流していると報道されていると聞き、そのように取り上げられている日本人のことを中国のかたは受け入れて頂けるのかと思いました。しかし、実際に中国に訪問すると、現地の方は笑顔で私たちのことを温かく受け入れてくださり、おもてなしをして頂きました。そのため、中国や中国人の方へのイメージが私の中で変わりました。

中国に行って特に印象的に残っていることは、上海での交流です。そこで日本人2人、上海理工大学の学生さん1人で直接対話したことが特に印象的でした。現地の学生さん数人と日中友好大学生訪中団の団体で対話すると想像していたため、個々で交流できたことがとても嬉しかったです。交流会では、現地の学生さんに大学を案内してもらい、一緒に現地の大学の学食を食べながらお話をし、最後には一緒に立食パーティーに参加させていただきました。たったの2日間でしたが、現地の学生さんと仲良くなることができ、私の念願だった中国の方と写真を撮ることも叶いました。そのため私にとって、とても良い思い出になりました。帰国後にもWeChatを通して連絡を取り合い、上海でのお勧めの場所や現在の流行を教えていただきました。その際に、訪中前に個人的に気になっていた「汚染水の件があったことから今回の訪中で日本人が来ることに抵抗はなかったか」を僭越ながら質問させていただきました。やはり、このことは中国の方からしたら、良いイメージではないと思うため、良い回答が来ないと覚悟していましたが、「日本の学生が私たちの学校を見学することを全く排除しない!反対に、本当にうれしいあなたたちが来てくれて。中国が好きで、上海が好きでありがとう。来てくれてありがとう!」「汚染水を放出することは日本政府が決定したことで普通の日本民衆と関係ないと思います」との返信を頂きました。このようなメッセージを頂き、訪中前と後で中国の方のイメージが変化しました。そして中国の方の温かみを肌で感じ、訪中前よりも中国がとても好きになりました。

上海理工大学の学生さんと今回の交流で出会うことができて、心の底から参加することができて良かったと思っています。

しかし、反対にやはり日本人を受け入れていただけない人もいることを知りました。それは、上海から北京に移動した際の飛行機の際です。悲しいことに日本人と分かった途端、態度が変化したため、私は強い嫌悪感と不安を抱きました。ですが正直、このようなことがあっても仕方がない部分もあると思います。そのため、改めて日本は隣人国として今後どのように中国人と関わっていくべきなのかを考えなければならないと感じました。

その結果、やはり本学で学んだ「共に生きるとは何なのか。」これがカギなのではないかと考えました。「共に生きる」ということは簡単なことのようで、とても難しいことだと思います。なぜなら、それぞれの国の文化、歴史が異なるためお互いをすべて受け入れることは難しいことだからです。そこで、お互いが歩み寄りあいお互いの意見を否定せず、尊重することが大事だと私は考えています。今回の件でも、お互いの意見を尊重し、直接対話をすることが大事なのではないかと感じました。また、私のように直接対話したことがないのに偏見の目で見てしまっている人も、中には存在するかもしれません。そこで、私が日本と中国の架け橋になれるように中国の会社との企画を将来提案し、たくさん交流の場を増やすことで両国にとって身近な国になっていたらいいなと思いました。

私はこの7日間で、中国の文化・魅力を気づくことができました。そこで、よりいろんな人に中国の良さを知ってもらいたいと考えています。そのため、この経験を将来に活かせるよう、自分なりに精一杯頑張っていきたいです。


国境を越えた人の優しさ

訪中前、訪中団に参加することを家族や友達に伝えたとき、返ってきた言葉は良いものではなく、「中国に行くのは羨ましくない、気を付けて」などの言葉だった。訪中前に日中間の情勢を見たとき、正直私も恐怖と不安でいっぱいになった。私の頭の中で、「反日」と呼ばれる人々が中国の大半を占めているという先入観を抱いていたり、日本と違って生水が飲めない危険性、トイレでトイレットペーパーを流してはいけない不便性などの悪いイメージを持っていたりしていたからである。日中共同世論調査によると、中国人が日本に良くない印象を持つ人が全体の66.1%であることに対し、日本人が中国に良くない印象を持つ人は全体の90.9%を占めていることが明らかになっている(2021年時点)。また、「世界経済の安定的な発展と東アジアの平和を実現するために、日中は新たな協力関係を構築すべきか」という質問に対して肯定的な意見を示した人は、中国人は70%を越えたことに対し、日本人は42.8%にとどまっていることもまた明らかになっている。これは、私や私の周りの人だけでなく、多くの日本人が中国に対して一方的に強い否定的感情を持っていることが分かる一方で、半分近くの人が日中間の良好な関係を望んでいるという矛盾が生じていることが分かる。私は多くの日本人と同様に否定的なイメージを持ち合わせた上で、実際に中国はどのような国なのかを自分の目で確かめるためにこの訪中団に参加した。

訪中後、私の中国に対するイメージはがらりと変化した。特に、「反日」が多く日本人は歓迎されないという先入観はほとんど消し去られた。なぜなら、訪中の間、あらゆる場面で中国人は私たち訪中団に好意的に接してくれたからである。豫園や中国人民抗日戦争記念館などの見学の際、担当の方が丁寧に私たちに説明してくれた。中国語で話し翻訳の方が私たちに日本語で説明してくれたのだが、それでも私たちの目を見て笑顔で説明してくれた時、言語の壁を越えて私たちに向き合ってくれる優しさや好意を感じた。また、大学での交流の際は、英語や中国語だけでなく、日本語やジェスチャーも使って私たちと会話し、新しい体験を共にすることができた。見学や交流だけでも十分中国人の優しさに触れることができたのだが、何よりも私が優しさを感じたのは、コンビニやスーパーでの店員さんや地元の方との会話であった。お土産や飲み物を選んでいるとき、人気なものやおすすめを知らない私たちに彼らは自ら笑顔で話しかけに来てくれ、おすすめを言葉や翻訳アプリなどを通して教えてくれた。訪中団とは何の関係もない人々であるからこそ、中国人の本当の私たちに対する気持ちを見ることができた。

この訪中を通して、私たち日本人がいかに先入観で物事を見ているかを強く思い知り、考えを改めるべきであることに気付いた。私たちに否定的な感情を向ける人々にばかり目を向け、私たちに優しさを向け親身に思ってくれる人々の存在を見落としてしまっていたのである。私たちは隣国隣人として、勝手な先入観を捨て中国という国、中国人という人々を自分の目でしっかりと見て向き合う必要がある。もちろん生水の危険性やトイレの不便性などの日本と違う点があるのは事実であり、全て肯定的にとらえることができないのもまた事実である。しかしそれは日本もそうであり、どちらも様々な面を持っている。そのため、どちらが良い、どちらが悪いなどと1つのはっきりとした決断を出すのではなく、良い面も悪い面も受け入れた上で、お互い真摯に向き合い寄り添っていくべきである。それが相手国に対する誠実な姿勢であると私は考える。

この7日間は、「先入観で物事を考える恐ろしさ」を痛感させるという点で私の人生に大きな影響を及ぼした。1人の勝手な先入観が10人、100人へと伝わり、国全体でその考えが「正しい認識」と固定される。その結果本来築けるはずの友好関係が築けず、両国の発展に大きく影響を与える。私は国全体に影響を与えることができるような人間ではないが、この訪中団に参加した1人の団員として、私が見た中国の姿を周りの人に伝え、そして次の人へその考えが伝わり、国全体として先入観のない本来あるべき認識が定着されていく未来に貢献できる人間になりたいと考える。


日中の友好のために

1週間の訪中を通して、中国に対する私のイメージは大きく変わりました。日本のメディアの多くは、中国は、政府に言論統制され、監視社会で反日感情が強い国であるように報じ、私の中でイメージとして定着していました。最近の日中関係は良いとは言えません。しかし、それは中国だけに原因がある訳では無いと思います。日本への迷惑電話や中国で日本が悪く報道されていることばかりを日本でニュースとして報じ、この日中友好交流が 1000人規模で大規模に行われたことは報道されていないのです。私はこの状況を何とかしなければならないと感じています。訪中の間に、日本では報じられない私はありのままの中国を目の当たりにすることが出来ました。

初日に上海に来た時は本当に驚きました。東京に住んでいる私でも上を見あげてしまうほど高い建物ばかりで上海の金融の力を実感しました。また、上海に走っている車は日本とは違ってほとんど電気自動車で、軽自動車などもほとんどないことに驚きました。私はバイクが沢山走っている光景を予想していたのでいい意味とても裏切られました。上海理工大学の交流では、上海人のプライドの高さを感じました。上海がどのように発展したか展示されている博物館や、上海の伝統を守ろうとしている様子が伺える豫園や上海理工大学の建物が印象的でした。

北京では、上海とはまた違う雰囲気があり上海の観光地感から一変して中国人のありのままの生活を見ることが出来ました。まず北京で驚いたのは大気汚染です。100メートル先でも霞んでいて3日目に北京に来て初めて中国の社会問題を見ることができました。北京外国語大学での学生との交流では、上海の学生と同じような温かさと中国人である事の誇りを感じることが出来ました。日本と中国では規制の影響で使っているアプリが全く違いますが、結局アプリの中身はどれも同じようなもので、政府の規制の影響で自由が制限されてると感じることは全くありません。日本と中国でSNSの機能の格差はないし、情報が偏っているとは北京の学生は全く思っていないようでした。日本に住んでる私たちが中国に対して昔から持っている偏見の中には過大評価されたものが多く、旅行前に自分が中国に対して悪い感情を持っていたことに大学生交流を通してとても後悔しました。

中国と日本はどのような関係性でいるべきなのでしょうか。北京の日中協力工業団地では日中の協力が世界的なバッテリーの開発に成功したことを展示から知ることが出来ました。日本と中国で互いの情報に乖離が生じている今、日中の友好交流が非常に重要であると感じました。たとえ世間が違くても、この訪中に参加した数百人全員が中国が日本で報道されていたものとは少しちがうと気づいていると思います。私たちが感じた違いを今後多くの人に発信し、自分たちが日本を作る時に中国を大切にしようという思いを日中協力に繋げて行きたいと思います。この訪中にご尽力頂いた全ての方々に感謝したいと思います。本当にありがとうございました。