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安全が保証された訪中団

今回の訪中団に応募した理由は、「大学に入ってから始めた中国語の上達のために、実際に活用する機会を求めたため」でした。中国の大陸地域には行ったことがなかったものの、台湾や香港、マカオに複数回訪問したことがあり、大学などでの出会いを通して、複数の中国人の友人と交友を持つことができていた私は、すでに中国という隣の大国を知った気になっており、あまり新しい発見を期待していなかったのです。

そのような私の心境に小さな変化をもたらしたのは、訪中直前の8月末に行われた、福島第一原子力発電所における処理水の海洋放出でした。在中国日本国大使館による日本人に対して「外出する際には、不必要に日本語を大きな声で話さないなど、慎重な言動を心がける。」といった注意喚起、中国人による迷惑電話や大使館など日本に関連する施設への投石などの連日続く報道、Wechatを通して中国の友人から送られてくるメッセージ。「中国人」と一概にまとめて語るのは良くないと承知しておりますが、自身の中に複数の異なる中国人像が登場し、私は自身が交友を持っている中国人は皆、留学で日本に来ていたり、学生団体に参加していたりと、ある意味で濾過されている人たちなのだと気付き、現地の人と交流をしてみたいと思うようになりました。海洋放出による衝突による最中という特別な状況での訪中において、この点は最も大きな意味を持つものでした。

私たちは本来、上海、南京、北京の三都市に赴き、上海では豫園や東方明珠、南京では南京六朝博物館や南京大虐殺記念館、北京では万里の長城や紫禁城に見学する予定でした。しかし、福島第一原発の処理水海洋放出による昨今の状況を鑑みて、南京訪問は中止となり、上海、北京での行動も非常に守られたものでした。移動はチャーターのバスを使ったり、施設訪問の際も貸切で案内してくださったりと、最大限の安全を確保した空間での訪問が保証されていました。連日の報道で関心を膨らませていた私にとって、少しばかり寂しいものでしたが、幾度か、実際に自分の肌で近日の状況を感じる機会がありました。私たちは一度地元のスーパーマーケットに行く機会があったのですが、同じバスに乗っていた全員で向かったため、そのスーパーの中には、日本語での会話が溢れていました。また私たち訪中団は全員名札を携帯していたため、誰が日本人かもわかる状況ができていました。私は先に買い物を終わらせ、レジの先で一人立っていたのですが、その時買い物に来ていた地元のお婆さんに名札を指さされて、「你怎么来到这里,快给我回日本」と言われました。初めて肌で昨今の状況を感じた瞬間であり、最初は少し嫌悪感を抱いていました。バスに戻り友人達とこのことを話すと、「小日本」と言われたという人もいて尚更嫌悪は増していました。しかし冷静になって考えると、彼らは政府から発せられる情報に誠実であるからこそ、反日感情を抱いているだけです。もし日本政府が、「中国が工場から硫黄酸化物の含まる空気を排出している」と報道したら、私は冷静になってその報道の真偽を確かめるでしょうか。今X(旧Twitter)のコメント欄には、反日感情を抱く中国人に対して卑下するようなコメントが大量に投稿されています。おそらく逆の立場であれば、彼らも抵抗なく中国に対して反感をもつはずです。まず第一に中国政府に対して説明を行い、世界的に認められた処理水の排出だということを理解してもらう必要もありますが、同時に私たち日本人も考え直す必要があるということを、今回の貴重な機会から再認識させられました。


訪中で得た経験

私は、大学で学ぶ第二外国語をどの言語にしようか悩んでいた時に、知人が中国語は簡単だと教えてくれたため、中国語を選択しました。ニュースなどで耳にする情報から、あまり中国には良いイメージを持っておらず、中国語を学ぶモチベーションは低かったです。しかし、学習を進めるにつれ、中国語に面白さを感じるようになりました。さらに、自分の大学には多くの中国人留学生がおり、彼らと交流を深める中で、中国について全く知識や理解がないことを痛感しました。日本の隣国であり、昔から深い関わりのある中国をもっと知りたいと強く思いました。そのため、今回の訪中は実際に現地に行き、多くのことを学びたいという気持ちで参加しました。

上海では自分が想像していた以上に進んでいた近代化を目にしました。大都会の町並みは写真などでみていたものの、360度見渡すことにより、その迫力に圧倒されました。上海の街は、高層ビルが立ち並ぶ中にも、緑豊かな自然が多くありました。自然との協和にも配慮している景観に東京との違いを見つけることが出来ました。

また、北京中日イノベーション協会モデル区では、中日両国の政府、企業相互の強みを生かして先端科学技術を開発していることを初めて知りました。異なる価値観を持つため、開発を共にすることは困難かもしれません。けれども、考え方が違うからこそ新たな気づきや開発につながると考えました。国を超えて世界をよりよくする活動が行われていることにとても魅力を感じました。さらに、万里の長城や故宮といった、中国を代表する世界遺産を訪れることが出来ました。はるか昔の人々がこの長城を築き、敵の侵入を防いできたことや、世界史上で学習した皇帝らがここに住んでいたことをその場に立ったからこそより濃く想像することが出来ました。4000年の中華の歴史を肌で感じました。写真ではなく、実際に訪れなければ得ることの出来ないものがあることを実感し、旅の醍醐味に気が付きました。

今回、多くの場所を訪れましたが、訪中で一番記憶に残っていることは、上海理工大学と北京第二外国語大学の学生との交流です。同世代の学生と交流することにより、今の中国に触れることが出来たと感じました。中国の多くの学生も日本にとても興味を持っており、広い知識や関心がある姿がうれしかったです。お互いの国を知ろうとする姿勢はとても大切だと思いました。政治的な問題は今後も続くかもしれませんが、個人個人の国際交流においては関係ない問題だという意識を相手の学生も思っていることが伝わりました。他国を知ることは同時に自分の国のさらなる理解につながると考えています。学生との交流を通じ、国際交流をする際には相手の国を尊重し合うことが大切だと実感しました。

この訪中で上海と北京の二か所を初めて訪れることが出来ました。しかし、まだ中国のほんの一部しか見ていません。もともと中国には関心を持っていなかったけれど、もっと知りたい、学びたいという気持ちに変わりました。今後も関りの絶えない隣国の中国をあらゆる観点から理解していこうと思いました。今回の訪中では、自分の目で見て感じたことの大切さを学ぶことが出来ました。素晴らしい機会を与えてくださり本当にありがとうございました。日中友好協会をはじめ、訪中に関わったすべての方々に心より感謝申し上げます。


訪中を終えて

今回の訪中でただ楽しいだけの個人旅行とは異なり、単なる観光ではなく幅広い日中関係について学ぶ機会を得ることができた。政治、文化、歴史、日本との技術協力など多くの分野に実際に触れることで、日本のニュースやSNSだけでは知りえない新たな中国に対する印象と日中間にある課題への考え方を得ることができた。

この訪中で特に印象的であったのは上海理工大学、北京第二外国語大学での中国の大学生との交流である。彼女らは初対面である私たちを温かく迎え入れてくれ、言語の違いからコミュニケーションが上手くいかないことも度々あったが、何とか分かる単語を拾いながら親睦を深めることができた。今回の訪中では上海と北京にしか行けなかったが、かかわった学生たちの出身であった福建省や大連、天津といった中国の地方の観光地や文化、食べ物などを教えてもらい、より広く中国に興味を持つきっかけとなった。また、中国の大学生の中には日本に興味のある人も多くそんな人たちに日本の魅力を伝え日本についてよりよく知ってもらうことができ、外国人への説明を通じ新たな日本の魅力にも気づくことができた。彼女らの交流は、異なる言語や外国の同世代の文化に触れることのできた貴重な経験であり、私にとって初めての中国人の友人ができたことはとても素晴らしい思い出となった。

中国の歴史について知る良い機会でもあった。私は日本史に興味があり大学でも日本史を学んでいるのだが、何千年も前から日本と中国は深い関係にあり日本史より深く理解するためには中国史にも触れる必要があると前々ら思っていたため、今回北京の故宮や万里の長城など中国史を象徴する史跡を訪れ中国の歴史を学ぶきっかけになり、今後日本史を学んでいくうえでも非常に有意義な経験であった。

日本と中国が多くの分野で技術協力を行っているということも知ることができた。日本で生活していると、中国製品や中国系の企業などをおおく目にすることがあり、日本に中国の技術があらゆるところで浸透している印象があったが、中国でも日本で見知っている企業が多く中国の街づくりなどに協力しており、逆に中国でも日本の技術が浸透していることを目の当たりにし、今まで想像していたよりも何倍も大きな規模で日中間の協力関係が有るのだということを知った。

昨今の日中関係はあまり良好とは言えず、私自身も上海などへの憧れはあったものの中国に対してあまり良い印象は持っておらず、今回の訪中は不安であったが現地の人々と実際にかかわってみると、みんな親切で優しく今回の訪中を通じ中国という国が好きになった。

しかし、すべてが好印象なわけではなかった。中国人民抗日戦争の記念館については懐疑的であった。日中戦争という繰り返してはならない過ちの反省と、これからの平和の願いということについては賛同できるのだが、この記念館はただ日本を一方的の悪者扱いし、反日感情を煽っているだけのような印象を受けた。確かに日本が悪くないというわけではないし、日本の行ったことは美化できるものではない。しかし責めるべきは対戦国ではなく戦争そのものではないだろうか。これからの日中の平和友好に必要なのは互いの過去の過ちを責め合うのではなく、互いに反省し歩み寄ることであると私は思う。

今回の訪中は中国人とも日本人とも新たな人間関係ができとても楽しい時間であったが、言語も歴史も文化も勉強不足であることを思い知らされた一週間であり、日本に帰ってきてからも中国について学ぶことのできる課題ができたという意味でもこの訪中はとても有意義な経験であった。


常識の違いと心の共通点

訪中前、中国に対して人口や経済などの規模が大きく、巨大で派手な国という印象を抱いていました。日本に住む中国人は多く、街には中国料理店や物産店が並んでいるため、日常生活においても中国文化を感じることは少なくありません。大学の同級生にも中国出身の留学生は多く、授業に真剣に臨み自分の意見をはっきりと持つ彼らからは、隣国でありながらも日本と全く違う内面を持つ国であることを感じさせられました。

今回初めて中国を訪れ、中国の建物や人を目にした際にも、これまで抱いていたイメージと一致する部分が多くありました。しかし、実際はこれまで想像していた以上の中国のスケール感に圧倒されました。上海で見た多くの高層建築物、北京の朝から晩まで多い交通量、混沌とした街…同じアジア人であっても、町の人々から醸し出される雰囲気は日本と異なるものでした。それは言葉が違うことだけではなく、多民族であり巨大な国の中で育まれる文化の違いに起因しているのではないでしょうか。

日本との違いは多くありますが、私が訪中して最も印象に残ったことは人々の持つ自己主張の強さ、自由さです。カオスな交通状況の中、車はクラクションを鳴らし、自分の存在を主張します。雑技団の観客は、公演中に動画を爆音で再生します。スーパーの店員も淡々と接客します。日本ではあまり見られない人々の行動に驚きながらも、どこか面白く感じました。日本では謙虚に集団の意見に合わせることが美徳とされていますが、中国では自分の意見をはっきりと主張し、自分を優先して考えることが一般的であることを、中国で体験した様々なことから実感しました。それは日本人である私達にとっては慣れない考えかもしれませんが、一つの文化だと尊重し、認めるべきだと思います。日本にいる中国人留学生の多くが優秀であるように、この文化によって中国は現在のような大規模な国家として成長してきたのかもしれません。反対に、こちらにとっては当たり前である習慣も相手にとっては新鮮であり驚きを与えることもあるでしょう。隣国でありながら、近くて遠い中国との関係においては、相手の文化を完全に理解できずとも、一種の特徴であると認めることが重要なことであると思います。日本でも学校やアルバイト先などの人間関係においても様々なタイプの人がいるように、世界には違った内面や考えを持つ人がいるということを今回の訪中を通して改めて感じました。

これまで中国と日本の違う部分について述べてきましたが、上海理工大学と北京第二外国語学院の学生たちの交流は私に新たな印象を与えました。自己紹介や会話などの交流から感じたことは、それぞれ自分の好きなことを語り合うことで、環境は違えども共感し合い、心を通わせることができことです。私自身中国の流行や文化に関して疎く、学生との交流にも言語だけでなく不安はありました。しかし現地の学生がこちらに関心を持って接してくれたことも大きいですが、犬やカメラなどの共通点を見つけ、円滑なコミュニケーションを取ることができました。好きなことに関して熱く語る学生の姿は、日中変わらず同じでした。北京第二外国語学院では今回の交流に参加した学生だけでなく、校庭で授業をしていた学生が手を振り返してくれたことにも心が温かくなりました。人とのコミュニケーションにおいて、相手について歩み寄ろうとする心構えを忘れずに、心を開いて対話を続けていく姿勢の重要性を今回の訪中で学びました。これを忘れず、日常生活に生かしていきたいです。そして、また必ず中国を訪れたいです。


嗚呼出し物よ、中国よ

100均製品、ユニクロの服、ガキの頃からよく食べているお徳用ピーナッツ。これが私の見える範囲、知る限りの中国のすべてだった。当時から、「中国という国は、他の国家と競争や協力を大胆に行い、その発展のために多くの問題をも生み出すのだ。~(以下中略)~であるからして中国は日本の脅威だ!」といったようなことを画面の中の人たちは色々と言っていた。私は一方的な感じがして素直に論に頷けず、何が中立なのかもわからず疑心暗鬼になったことで、この国がどんなものなのかずっとつかみ損ねていたのだった。

そんな私がはじめて中国と直接接触したのが今回の中国旅行というわけである。だが、中国へ行く前からその片鱗のようなものはすでに感じていた。それを感じたのが、旅行2日目の夜に行われる歓迎会で発表するパフォーマンスについての諸準備においてである。これは実際に中国へ赴く2週間ほど前から始まり、内容はまず演目を決め、その詳細を詰めるところから、参加メンバーを募集し、パフォーマンスを実行するにあたっての雑務、調整、交渉などを協会の方の手助けをお借りしつつ行うというものであった。1つ1つの仕事はそれほど複雑なものでなくとも短期間で準備せねばならないその性質から、ひどく難易度の高いことのように感じられる仕事の山の中で、特に私の精神安定剤、三ツ矢サイダーの飴の消費量を激しく増大させたのが、中国側の方々からの急な変更の数々であった。一例を挙げると、パフォーマンスに参加できる人数が、急遽制限なしから30人になったときは、どうやってメンバーを決めるかとこちらが天手古舞になってしまった。はじめ、あまりに大きな変更が急に行われるので、何かのいやがらせかと疑ったほどだった。しかし協会の方曰く、これが中国の文化であったらしい。刻々と状態が常に大きく変化していく様子を見た時、これが中国なのだと知った。

けれども、そんなものは序の序に過ぎない。現地に到着した日の夜にゲネプロを会場で行った際、私はさらに強く異文化を意識することとなる。まぶしい色とりどりの照明、力強く響くEDM、少なくとも8台はある多種多様なカメラ、そしてバックがすべてCG画像を映す液晶パネルとなったひな壇付きの巨大仮設ステージが眼前にはあった。「FNS歌謡祭みたいだ」と誰かが言っていたがまさにその通りである。たかが、出し物一つでそんな派手な演出はないであろう、夕食の席の出し物だから自分たちのパフォーマンスもせいぜい学芸会の発表位のもので十分であろうとの読みや甘えは吹き飛ばされてしまった。後から聞いた話ではあるが、中国の風習ではこのような宴席の出し物は出来る限り大規模かつ華やかにやるのが通例であるようで、今回の場合も含めて、プロの演出家や楽器演奏家、舞踏家などを呼ぶのも別に普通のことであるらしかった。ともかく準備不足の中、最終調整に挑まなくてはならないという状況であった。そこからの約5時間は何人もの人と話し合って発表が無事できる形までパフォーマンスを整えていった。1回目のステージ練習の時に、あまりのできの悪さに会場が凍り付いた情景、逆に最後のステージ練習で何とか発表できる形にもってこれて安堵したことはよく覚えている。しかし、練習をみんなでしているときに、あまりの忙しさから午後9時を回ったあたりから記憶と言動がほぼ飛んでしまってもおり、それだけ本気で取り組んだことだけは確かであった。

こうして迎えた翌日の本番である。終わった後の拍手が日中の別なく送られてただただほっとした。そして、前日の凍てついたスタッフの方々の反応と比較して感慨深い気持ちが私を覆った。ここから中国について一つ言えることがある。あのパフォーマンスは中国という国の一面を強く表しているのではないかということをである。指示の変化、振れ幅が大きく、相手に見せるとき出来るだけ雄大に大きく見せるところがあること、そして何よりパフォーマンスにかける情熱が強く本気であるからこそ、こちらが本気で取り組んだものに対して相応の評価をくれるという面である。これは、実際にパフォーマンスに参加した方々は皆さん体感したことであると思うが実際に中国に行かなくては感じられぬ、貴重な経験だと私は感じた。


中国の広さ

今回の訪中のタイミングは、なかなかに厳しい時期であった。福島第一原発の処理水放出に対して中国が強く反発し、それによって日本産の水産物の輸入を全面的に停止したこともあり、日中関係は急速に悪化していた。自分自身もこのタイミングでの訪中に対しては多少なりとも不安はあったが、その一方で、中国の現地の方が今この状況で日本人に対してどのような感情を抱いているかを知るいい機会でもあると思い、期待と不安を抱きながら中国行きの飛行機に乗ったことを鮮明に覚えている。

まずは上海を訪れたが、空港を出てすぐに広がる摩天楼が立ち並んだ近代的な都市景観に驚かされた。しかし、それと同時に、過去の歴史や文化も大切にされていることにも感銘を受けた。外灘の西洋的な建築物がその最たる例で、上海のシンボルとなっていた。また、二日目に行われた中日青年友好交流会は個人的にこの訪中を通して最も印象的なものとなった。会場ももちろん豪華であったが、司会進行の方も上海の東方テレビの看板アナウンサーで、よく中国の番組を見ているので知っている人が出てきて大変驚いた。また、多くの演目を通しても漫画や歌など様々な文化において日中はこれまで密接に関わり合っていたことを再確認することができた。北京は、上海とは一変して中国の歴史について触れることができた。故宮や万里の長城は雨のなかの観光ではあったが、どちらも人生のうちに一度は訪れたいほど有名な観光スポットで、貴重な経験となった。

この旅を通して私達学生は本当に至れり尽くせりな待遇を受けた。各都市の有名な観光地を多く訪れ、毎食のように豪華な食事があり、徒歩移動も全くと行っていいほどなかった。また、現在の日中関係の影響から直前の予定変更が必要になったが、学生を全く不安にさせずに予定を立て直していただいた。しかし今回、本当の中国を見ることができたかという点については、個人的には悔いが残ってしまった。我々が訪れた場所はどこも相手方が歓迎をしてくれており、その多くの人々が我々に対して会話をする前から好意的に接しようとする姿勢が伝わってきた方ばかりであった。我々が接した中国人のうち、体感で半分は日本語が喋れる方であり、今回はそのような日本にゆかりのある人々と触れ合う機会が多かった。中国に興味のある日本人と、日本に興味のある中国人が交流するというのは大変素晴らしいことであり、将来の日中友好のためにも意義は深いと考える一方で、ごく普通の中国人が私達に対してどのような感情を抱いているのかをもう少し知りたかったなという思いもある。また、今回訪れたのは北京と上海でどちらも中国の一級都市にあたる、非常に発展した地域である。もちろん、この2つの都市の間でも、景観や人々の話す言語といった違いを実感することができたが、これ以外のよりディープな地域にも行ってみてそこの暮らしや人々の価値観にも触れてみたいと感じた。今回の訪中は自分の中で中国大陸に興味を持つ大きなきっかけとなった。これをスタートラインにして今後も中国についての興味を深めていきたい。


変化した中国観と自画像

今回のプログラムで今まで知らなかった中国の側面を自分の目で知ることができ、初めて中国で過ごした一週間は本当にとても充実したもので、どれも貴重な機会だった。訪問する前は中国のことを「近くて遠い存在」というように思っていたのだが、実際に訪問して街の様子を見たり、現地の大学生と交流したりしているうちに、逆に似ていると感じることが多くなり、遠い存在とはあまり感じなくなっていった。特に現地の大学生と交流した時間に日本と中国それぞれのアニメやドラマ、音楽が話題になったときは日中の文化的な親しさを感じたし、また同様に、中日青年友好の夕べで日本と中国それぞれの文化が混ざったパフォーマンスが数多く見られたときも中国に対して親近感を感じた。そして北京中日创新合作示范区で日本と中国とが協力し合って創り上げた技術の数々を見たときは、今後もこういった会社のように日中が手を取り合って仲良くなっていければいいなと切に思ったものだ。

あの一週間で中国を実際に自分の目で見ていいところとあまり良くないところを発見でき、日本で中国に関する報道を聞くだけではわからないことを肌で感じることができたわけだが、7日間で中国を十分に理解できたわけではもちろんない。だからこそ今回の訪中団で中国の政治、経済、文化、社会などをもっと知りたい、研究したいと思った。もともと全貌が不透明な中国に興味を持っていたはいたが、たくさんの方々と触れ合ってより一層興味の度合いが増し、7日間だけではわからなかったことを突き止めたいと思ったのだ。しかしそれらのことをより深く理解するためにまず中国語をより懸命に、そしてより丁寧に学習する必要があるだろう。というのも現地の大学生とお話をするときに少しでも中国語を使ってみようと思い、話してみたものの、うまく文章が作れなかったり、声調がよくなかったのか何度か聞き直されてしまったりした。それに対してあちらの学生は日本語を聞き取ることも話すこともできていて、それと比べた自分の語学力にもどかしさを感じ、発音の段階でもまだより一層の努力が必要だと気づいたのだ。語学の壁は高くても、やはり語学力は研究において必須事項であるから、これから大学で中国語の学習に精進していこうと強く思った。

7日間、私たちは多くの方々に歓迎され、出会った方々と友好関係を深めた。8月末の処理水に対する中国の方々の日本への非難の声を聞くたびに、中国に行ってどんなことを言われるのだろうかと不安な気持ちがあって、事実訪問中に私たちを責めるような声は聞こえたし、処理水の問題に限らず、一定数日本を嫌う人がいるとは承知している。けれども、その不安や訪問中の出来事以上に、様々な場所でいろんな方が私たちを暖かく歓迎してくださった。日本と中国は隣国同士として長い時間共に影響しあいながら歩んできた歴史がある関係性だからこそ、これからもずっと良好な関係を作り維持することが不可欠だ。日中両国ともにもつ相手国への認識の齟齬を減らしながら今の険悪な雰囲気が改善されること、そしてその改善に何らかの形で将来私も尽力できることを心から願っている。

最後に、日中平和友好条約締結45周年という節目の年にこのプログラムに参加でき、中国と友好を深められたこと、また大学の所属に関係なく同じ中国語を学ぶ者として日本の大学生とも交流できたことは本当によい機会だった。今回のプログラムにご尽力してくださったすべての方々には言葉には言い表すことのできないほど感謝の気持ちでいっぱいだ。今回出会った方々を忘れず、この旅をモチベーションに大学での学びそしてキャリアにつなげていこうと思う。


初めて中国に行って

今回中国に行って様々なところへ行き中国への印象の変化や発見がたくさんあった。

まず印象の変化についてだ。私は大学で中国語と中国について学んでいる。中国について興味を持ったきっかけは中華料理が好きだったからという理由とコロナ禍になって中国について報道される機会が多くなり、自分は隣国である中国について全然知らないと感じたからという漠然としたものだった。そして中国に対して怖い、危ない、汚いといった先入観を持っていた。しかし、今回大学生訪中団を通して中国に初めて行ったことでその印象はすべてではないがほとんど変わった。まず中国の人についてだ。中国に行く前は中国の人は声が大きくて不愛想という印象があった。しかし、声は大きい人も多かったが、人柄は良い人がとても多かった。コンビニエンスストアに行った際、レジ打ちをしていたおばさんは私がつたない中国語で質問した時に私にもわかりやすくゆっくり答えてくださり、にこやかに対応してくれた。さらに、空港で飲み物を注文した時に店員の人が何を言っているのかわからず手間取っていた時に後ろに並んでいた方が日本語で私に私が店員に何を聞かれているのか教えてくださった。このように、自分の持っていた先入観はまったく実際とは異なりそのような先入観を持っていた自分が恥ずかしくなった。日本人も中国人も大した差はなかった。次に中国の汚いという印象についてだ。大気汚染のニュースを見たり、トイレが汚いという話を聞いたりして中国の街は汚いという印象を持っていた。これは半分違って、半分あっていると感じた。中国の町並みは日本と全然違った。道が広くて小さな店が立ち並んでいて、バイクが多かった。しかし汚くはなかった。ただ、トイレに関してはきれいだとは言えないものも多かった。特に故宮の近くにあった公衆トイレはとても汚かった。こういったことを知るには、行って自分の目で見ないといけないと思うので、実際の中国がどのようなものか少しでも知れたということがとてもいい経験となった。

次に中国へ行って発見したことについてだ。一番大きな発見は現地の大学生との交流で得られたと思う。私は中国へ行く前から中国の大学生の生活についてとても興味を持っていた。今回二つの大学で交流を行って感じたのは、中国の学生と日本の学生の生活は大きくは変わらないが少し違うということだった。どちらの国の学生もアニメやドラマを見たり、週末に遊園地などに行ったり、スポーツをやったりと同じところが多かった。一つ違うと感じたのは、中国の学生はあまりアルバイトをしないということだった。日本の大学生はアルバイトをしている人が多いためこの違いには驚いた。

このように、中国へ初めて行って私はまだ中国のことについて知らなすぎると感じた。そして、これから中国語や中国について学んでいく上でのモチベーションがとても上がった。これから勉強を続けていき、中国という国がどのような国なのか知っていきたいと感じた。


百聞は一見に如かず

今回初めての中国訪問を終えて、関心のある出来事に関して実際に自分の目で見て、自分の耳で聞いて、考えることの大切さを学ぶことが出来た。

私は中国語、また中国という地域を専攻している身として日ごろから中国に対して強い関心を抱いてきた。しかし自分の中国に対する知識、関心が深まると同時に険悪になっていく対中感情を目の当たりにした。中国に関心のある自分と世間の中国に対する印象が異なることは知っていたが、そのうえで私が大学で学んだことは本当なのか、日本で広まっている情報は正しいものなのか、自分自身の目で確かめたいという気持ちが強くなった。それが今回の訪中を決めた理由の一つである。

今回訪中を決めた際、周りからの反応は良いものばかりではなかった。この状況下のなか日本人として中国に行くことに不安を感じることもあった。しかし実際に中国に行って私のその不安を取り除いてくれたのが行く先々で出会った人々であった。観光先のスタッフの方々、交流先の学生、ホテルの従業員、バスガイドさんたちが私たちを温かく迎えてくれる姿にはとても感激した。特に記憶に残っているのがスーパーで出会ったおばさんである。会計をしているとき、後ろに並んでいたおばさんが中国語がわからず困るわたしを助けてくれた。私がお礼を言うと団体旅行か?どこから来たのか?と声をかけてくれた。私はつたない中国語で日本から大学生訪中団として来たことを伝えた。日本人であることを伝えたことで自分への反応が変わってしまうのではないかと心配になったが彼女は笑顔で中国はどうか、旅行楽しんでねとやさしく声をかけてくれた。今回の訪中で現地の人と話す機会があまりなかったため、この会話はとても印象に残った。私のことをいち観光客として温かく迎え入れてくれる彼女の態度には感動させられた。

このような心温まる出来事とは反対の意味で印象に残ったのが中国人民抗日戦争記念館だ。そこで同じく展示を見ていた人から日本人に対する中国語の蔑称を耳にした。場所がらそういう言葉を聞いてもおかしくはないと思っていたが、実際に耳にした時の衝撃は大きかった。今も中国には戦時、統治時代の憎悪にも似た感情が残っていることを感じさせられた。中国の人々の本当の感情を知ることのできた印象的な出来事であった。

今回の訪中を一言で表すならば「百聞は一見に如かず」という言葉がふさわしいであろう。実際に中国に行って体験したいい思いもよくない思いも実際に中国に行かなければ感じることはできなかった。日本でメディアや周りから聞く情報はあくまでも伝聞でしかないと実際に中国に行ってひそう感じた。本当の中国を知らずに周りから聞いた情報に流されていた自分が恥ずかしくもなった。今回実際に中国へ訪問したということは「百聞は一見にしかず」と言う言葉を十分に体現できた経験だったと感じた。実際に現地に足を運んで自分の目で見たことや耳で聞いたことを信じ、感じたことを自分の言葉で語ることができるようになった。この経験を生かし日中友好の架け橋のような存在になれるよう今後も努力していきたい。


中国式おもてなしを受けて

私は小さい頃に中国へ何度か観光に訪れたことがあります。今回の訪中は私にとって久々に中国への訪問であり、とても期待に胸を膨らませながら参加しました。結果、これまでの中国に対する印象を変える経験となりました。これまでは観光ということもあり、今回のように関わる中国人の数は少なく、訪れる場所も名所名跡のみでした。しかし今回、上海と北京で現地の大学生や研究者なども含んだかず多くの人との交流があったり、名所名跡のみならず、解説付きで多くの施設を訪問したりすることができました。どこを訪れても、中国の方々はとびきりの笑顔でした。また、どこの店員さんもみな背筋がピーンと伸びており、女性が多くの指示を出したりしてまとめている場面はとても素敵でした。非常に接客やおもてなしの質の高さ、男女平等が進んでいるのだなと実感しました。

中国での非常に素晴らしいおもてなしを受けて、私はこれから日本と中国との関係をもっと良くできるのではないだろうかと希望を持つことができました。日本ではあまりにも中国に関するニュースは中国に対して悪い印象を抱かせるものが多いと感じます。しかし、私が実際に現地で感じたように、中国人の懐の大きさ、人懐っこさ、人情味、素晴らしい笑顔などを知る機会を日本人が持つことができれば、すぐにその印象は覆るだろうと思います。やはり、相手のことを好意的に感じることができなければ、なかなか関係を改善しようという気にもなりにくいと思います。きっとどのような人でも中国式おもてなしを受ければ、中国に対して好意的になるのではないか、と私は心から今回の訪中を通じて感じました。幸い、中国と日本は隣人であり日本中至る所に、中国人の多く住む地域というのが存在します。日本人は本当に中国人と関わる機会や、中国の文化に触れる機会に恵まれていると感じます。私は今後、そのような場所を巡ってさらに中国人と日本人の理想的な共生の形というものを考えいきたいと思います。そして、その考えを元に日本と中国との友好の架け橋になりたいとも思いました。

最後に、この訪中7日間は私の中国・中国人に対してすごく良い印象を抱かせる体験ばかりでした。様々な場所を貸切で体験させていただき、その中には本来休日のところを素晴らしい笑顔で迎えてくださるところもありましたが、感謝の気持ちしか生まれませんでした。スーパーの店員さんや、トイレの清掃員ですら笑顔で話かけてくださって、気持ちの良い会話を楽しむことができました。本当に、今回の訪中に関わっていただいたすべての皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。ぜひとも、今後どのような関係に日本と中国がなろうとも、このような経験ができる機会はずっと続いてほしいと心から願います。若者だけでなく、できるだけ多くの人々がこの事業に様々な形で参加できるといいなと思います。中国人が日本に来た時には、日本のおもてなしをする側としてぜひとも参加したいです。


中国で得たもの

私の父親が中国人のため、中国を訪問すること自体は初めてではありませんでした。しかし、今まで訪問したときはただご飯を食べたり、祖父母と顔を合わせるだけでしたので、あまり中国を知らない状態でした。今回の日中友好協会の皆様から素敵な機会をいただき、訪中団を通じて、今の中国を実感することができました。私が最後に中国を訪れたのはコロナ直前だったため、約3年半ぶりの中国訪問でした。久しぶりに中国に行ってみると、経済の発展の速さにとても驚きました。

特に驚いたことは、電子化についてです。以前父から、今の中国人は財布を持たない、と聞いていました。実際に中国に行ってみると、中国人が財布を必要としないくらい電子化が進んでいることに気づきました。実際、北京のスーパーで会計をするとき、私たちの団体は皆有人レジで現金を使って支払っていましたが、現地の中国人がはほとんどが無人レジでスマホに表示されているQRコードを読み取って決済していました。また、北京の空港では自販機にもQRコードが貼られており、支付金などで支払えるようになっていました。私は自販機といえば現金かICカードで支払うものだと思っていたので、電子決済で自販機の物が買えることにとても驚きました。

電子化は決済だけでなく他にも学校と保護者間の中でも進んでいることを、現地の方が教えてくれました。最近日本でもgoogle classroom を使ってのやりとりは増えていますが、中国ではスマホ上に子供の送り迎えの時間が表記されていたり、子供の各回のテストの成績が細かく載っているそうです。さらに驚いたことは、テストの成績は点数だけではなく、自分の子供はどの問題を間違えたのか、各問題の全体の正答率はどれくらいか、まで事細かく表記されるそうです。これは日本ではあり得ないことなので、学歴社会である中国ならではのやり方だなと思いました。

私にとって、今回の訪中団での一番の収穫は中国人の友達を作ることができたことです。実際、私は外国語大学に通っていますが、コロナの関係で中国人留学生が日本に来れない時期があり、あまり中国人の友達を作ることはできませんでした。しかし、今回の訪中団を通じて現地の大学生、大学院生らと連絡先を交換し友情関係を築くことができました。私たちは中国語と日本語を使ってお互い共通の趣味を語り合ったり、現地のおすすめのご飯や観光所を教えてくれました。その上彼らは私に、「もしまた中国に来る機会があれば、現地を案内しますよ、一緒に美味しいものも食べましょう!」と言ってくれました。私は大学で中国語を学んでいますが、授業で中国語を学ぶよりも、現地の人と中国語を使って会話した方が中国語のスキルが上がったように感じました。自分の中国語が相手に伝わったときの達成感は言葉では言い表せません。国を超えて友情関係を作り上げることはそう簡単なことではないため、今回仲良くなった中国の友達を大切にしていきたいです。

日中の関係があまり良くない時期に今回中国を訪問したので、現地の人が私たちを受け入れてくれるかどうか正直不安でした。しかし、出会った中国人はみな親切に接してくださり、トラブルもなく終えることができました。6泊7日の訪中団は私にとって一生忘れられない思い出になりました。このような貴重な体験をさせていただき、きっかけを下さった日中友好協会の方々に感謝を申し上げたいです。本当にありがとうございました。


訪中を終えて考えたこと

訪中前は、日本の報道で中国から迷惑電話が何度もかかってくる、それが営業妨害になっているなどが伝えられており、日本の大使館にいた人に向けて石が投げられたりなど、日本人に対して中国人は良いイメージを抱いていないのだろうと思っていたし、中国に対して良いイメージを抱いていない人も多数聞いたことがあった。そのため、まず中国に行くということにとても恐怖心があったし、楽しむことは勿論だが、無事に帰ってこられるのか不安だった。また、中国の土地がどんな感じなのか想像がつかなかったので、空気が綺麗なのか、衛生面も不安だった。また、中国の学生との交流は日本語を用いて行う予定だったが、きちんと会話が出来るかなど不安な点は沢山あった。しかし、訪中後の今感じることは、中国の人は少なからず会った人はとても優しく、エアラインでのサプライズのお話や、レストランで親切にしてくれる人などがおり、とても心が温まる出来事が多かった。また、日中の戦争博物館に行く際、とても緊張した。南京大虐殺のことや、太平洋戦争中の死者の写真など、見るたびにこれが日本の人が本当にした事で、私も他人事ではなく、中国に来て、ここで資料をしっかりと見て受け止めていかなければと思った。また、悲惨な出来事をただ終わった事として捉えるのではなく、形として残すことによって、もう二度と戦争を起こしてはならないという強いメッセージを受けた。また、日本と中国のテクノロジー技術を共同で作っていたり、日本の企業が進出していることを知り、これからもっと協力していかなければならないと思った。また、中国の報道が日本に流れてくるが、ちゃんとした情報を噛み砕いて、理解し、中国に対する意識を変えていきたいと思う。様々な文化に触れ、食事を楽しみ、実際の中国を体感することが出来た。そのため、実際に中国に行ったことがない時とかなり中国に対するイメージが変わったし、良いイメージを抱いたり、反対に悪いイメージを抱くこともあった。そのため、私達が中国で受け取ったイメージを行ったことのない人達に伝えることによって、中国に対する警戒心などが無くなるのではないかと思う。中国に対して親しみがない訳ではなく、中華を普段から食べたり、中国のドラマを普段から観る人もいると思う。しかし、中国に対するイメージが悪いという人が多くいる。そのため、訪中後、私の中で中国に対する親しみやすさが変わり、また中国に行こうと思った。学生との交流の中でも、日本が好き、日本語を学んで留学をしたいという人がかなりいたため、中国の人が日本に対して良いイメージを抱いており、とても興味を持っていることも分かった。そのため、私も日本語教育に携わりたいと考えているが、中国人はかなり日本語を学ぶ傾向があるため、実際に中国に行って、習慣なども知ることが出来たので、かなり勉強になった。また、中国に行く時は違う地域にも行って、様々な文化を味わいたいし、また中国の料理を食べたい。せっかく、学生との交流も出来たので、日本の文化も知って欲しいと思った。日本で生活している中国人ともっと交流したいと思った。


訪中を終えて考えたこと

今回、続先生のご紹介を受け日中友好協会率いる大学生訪中団に参加しました。参加したきっかけとしては、第二言語として中国語を選択しているため本場での中国語を体感したいと考えたこと、私自身海外に行った経験がなく文化や生活における日本との違いに興味を持っていたことなどでした。訪中をする前は、直前にあまり芳しくない報道がされていたこともあり正直中国へ行く事に対して心配や懸念がありました。しかし、実際に訪れて私が実感した中国はそのような印象とは大きく異なっていました。今回のこのレポートでは私が訪中の中で関心を持ったことや感動したことについて述べていきたいと思います。

今回は上海と北京に訪れましたが、その二都市では景観や雰囲気が全く異なっていました。上海では先進的で煌びやかな景色、北京では広大で伝統的な景色を見ることができ、双方の素晴らしい景観を堪能することができました。私は中でも上海でのクルーズ船から見た夜景が印象に残っています。また、上海では豫園や東方明珠電視塔、上海都市企画展示会等、北京では雑技団、中国人民抗日戦争記念館、北京オリンピック跡地、万里の長城や故宮博物館等を見学させていただき、中国の歴史や伝統、それだけでなくイノベーション改革など今後の発展を学び、自分自身の知見を広げることができました。さらに、たくさんの中華料理を食べたり、スーパーやコンビニで実際に買い物をしてみたりと、日本ではできないような貴重な経験もしました。私は円卓で食事をすることが初めてだったので、美味しそうな料理が次々と目の前に運ばれてくることに多少驚きましたが本場での中華料理を円卓で食べられることが嬉しく、とても印象に残っています。

その中でも私が最も印象に残ったことは、中国の方々のあたたかさです。今回は上海理工大学と北京第二外国語大学と交流しました。その際に中国語も自由に話せず何もわからない私たちを笑顔で迎え入れてくださり、英語や日本語で一生懸命にコミュニケーションを取ることを試みてくださったことが本当に嬉しかったです。また日本語の勉強に貪欲な彼らに刺激を受け私自身も中国語を学ぶ意欲が高まりました。さらにそれだけでなく、飲食店の店員さんやスーパーの店員さん、飛行機で隣になった方まで私が困っていた際に笑顔で気さくに話しかけ、助けてくださり中国人の方々の心のあたたかさを感じました。訪中する以前は、中国人に対して気が強そうという印象を持ってしまっていたり中国について芳しくない印象を抱いてしまっていたりしましたが、実際に中国に赴いて自分自身で体感してみて、今まで私が知っていた中国というものは一部でしかないのだと感じ、中国への印象が大きく変わりました。気が強そうだと思っていた印象は、実際には失敗を恐れず何事にも挑戦する前向きな精神と誰とでも気さくに話せる広い心でした。それは今まで小さな世界で物事を後ろ向きに考えてしまい、なかなか新しい出会いに踏み出せなかった私にとって大きな影響をもたらしました。そのような中国人の姿を見て、私は何事にも自分から挑戦する勇気を学びました。さらに、上辺だけの情報をむやみやたらに信じるのではなく実際に自分自身で現地に赴き確認して感じた事柄を信用することの大切さを学びました。私は大学生訪中団に参加し、書ききれないほどたくさんのことを学ぶことができたため、参加して本当に良かったと思います。そしてこの先、隣国隣人として日中が友好な関係を築くことができるよう中国の良さを広めるとともに今回の訪中で学んだことを忘れずに中国や中国語の勉学に励みたいと思います。

貴重な経験をありがとうございました。


私の見た景色

中国。その名前を良い意味で聞くことはほとんどなかった。ニュースを見れば、悪い面が次々に出てくる。訪中前、私の思う中国はそんな印象だった。中国が好きか嫌いかという話に帰結するものではないが、中国に対して怖いなと感じている自分がいるのも正直な話であった。今回「日中友好大学生訪中団」として、私は中国へ初めて訪問した。あまり良い印象を持っていなかった中国へ訪問することを決めたきっかけは、紙の上で見る中国だけが本当の中国であると決めつけてはいけないと思ったからである。日常の中国をこの目で確認したかった。

私の中国初上陸の地は、上海であった。移動中に見えるビルやマンションが個性を持って屹立している。洋風な建物あれば、アジア風の建物もある。一目で何のビルか判別できるオブジェがついた建物もある。まるでゲームの中にでも迷い込んでしまったかのように、建物から規模の違いというのを実感した。そして、日本のビルやマンションなどのように、そこにあって、安全性が保たれていれば良いといったものではなく、そこで存在感を発揮し、見るものを魅了しようとする建物らからは、日本との価値観の違いというのも同時に感じた。

最終的に上海・北京と二つの地を移動したわけであるが、二つの地に共通して感じたのは、人の温かみであった。中国の方と様々な場面で交流しようとする上での不安点として、想像する中国の方の気の強さや圧力があった。しかし、実際に交流してみると全くそんなことはなかった。それ以上に、初対面である私たちの来訪を喜んで下さったり、言葉が通じない時も向こう側から譲歩し、あらゆる方法でコミュニケーションを試みようとしてくれたり。訪中前まで想像していた中国人像からはかけ離れていた。そもそも日本で世間一般的に想像される、気の強さや圧力という面は、私たちが中国を悪い印象で見ているからこその感情であった。中国の方は、気が強いのではなく、しっかりと自己主張をしているだけで、圧力をかけているのではなく、効率を重視しているだけであった。日本人は、謙虚でいることと控えめであることが良しとされる文化傾向にある。周囲の人に自分の意見を合わせたり、褒められても謙遜したり。その日本とは良しとされている事柄と「違う」だけなのだ。私を含め恐れていたものは、自分とは違う文化であったというだけだった。異文化をどのようにして受け入れるのか、その努力をどのようにするのかが友好関係のためには必要であると考え、今回の経験を機に改めていこうと思う。

教科書の上での中国、テレビで見る中国、SNS で見る中国、今回私がこの目で見た中国は、このどれにも当てはまっていないように感じた。文化も建造物も考え方も戦争への態度についても。すべての中国を見てきたわけではないが、そう感じた。勿論良い面だけを見たわけではない。良い面も悪い面も日本では見ることはできない面をこの目で見て、この心で感じることが出来た。今までの中国に関しての感情が払拭されたわけではないが、紙の上ではなく、自分がこの目で認識して、心で感じた中国をありのままに信じてみようと思う。


実際に行くことで感じられた中国の現状

私は今回の中国訪問でたくさんの学びを得ました。それはどれも日本では確実に体験することのできない人生において非常に貴重なものでした。

まず、私の考えとして中国の人々は福島県の汚染水問題もあって日本に対してとても悪い印象を持っていると思っていました。我々日本人側としても新型コロナウイルス感染症の拡大もあって良い印象がないと思いますし、私も実際そうでした。家族や友人も同じように、中国行くの?大丈夫?と心配される程でした。日中関係は年々悪化して現在はどちらも悪い印象が際立って高圧的な関係だと思っていました。しかし、これらはただの思い込みで、実際に中国を訪問し現地を体験することで、私は情報に流されていたのだとわかりました。上海に行った時には上海の学生、北京に行った時には北京の学生が心優しく迎えてくれ、中国に対して勝手に勘違いをしてとても申し訳ないことをしたなと後悔しました。中国内どこで買い物をするにも我々日本人に対して優しく接してくれて、カタコトながらも対応してくれたのには感謝の言葉しか出なかったです。実際に上海理工大学の学生に福島県の汚染水問題についてどう思っているのかと尋ねてみると、何も悪い印象はなく、むしろ日本が可哀想と言っていました。しかも大半の学生は気にしていないと言っており、実際に見てもない、体験してもないのに情報に流されるのは良くないなと改めて感じました。

また、私はこれまで日本国内から出たことがなく、あまり興味もありませんでした。私は東京に在住しており、旅行で北海道と沖縄に行ったことがあります。日本国内の二つの場所でも文化や環境には大きな違いが感じられ、感激を受けました。そのため、日本に満足していたのが事実で外国には興味が一切ありませんでした。しかし、今回の訪中で日本の中で感じられる違いとは大きく違った印象を受け、外国に中国に非常に興味が湧きました。言語も違えば環境も大きく違い、その違いはとても印象的でした。例えば、日本では食事を残してはいけない、水道水が安全、左側通行などといった決まりが中国では一切通用しないことには、実際に外国に行くことでしか感じられないものだなと感心しました。

この訪中七日間で私の人生は大きなターニングポイントを迎えたと思います。このような貴重な体験ができたこと、このような場を設けていただいたことに非常に感謝しています。今後、中国はもちろんのことアメリカや韓国といった他国にも行ってみたいという気持ちでいっぱいです。中国のことを好きになれたのもこの七日間があってのことです。今後は中国語の理解を深めるべく、大学での講義外でも勉学に励みたいと考えています。

また、団長の大薮さんが言っていた通り、日中間は今後とも長く関わり合う存在同士であり、中国と良い関係を築いていく上で今後は我々若者が鍵となります。日本も中国もどちらも自国を良くするためには必要な存在同士で、今以上に友好的な関係を築く必要があります。ただ、実際に中国の学生と関わってみて日本に対して悪い印象はなく、むしろ良い印象ばかりで決して難しいことではないと思います。そのため、日中両国の学生が積極的に関わり合い、お互いに協力し合うことで、社会全体としても今の関係をより良いものへと持っていくことが可能だと思います。


訪問を終えて大きく変化した中国への印象

私は、今回初めて中国を訪れました。

私が中国訪問をする前の印象は、科学技術の進展により、キャッシュレス化が広く普及している、「中国製造2025」の策定により、製造業が急速に発展している、長い文化や歴史を持ち、観光地や世界遺産が数多く存在しているでした。一方で、近年の米中対立の激化、共産党の独裁的な政治体制や軍事力の強化に対して、不信感を抱いていました。また、中国人に対しては、気が強い、プライドが高い、マナーが悪いといった印象を抱いていました。そして、昨今の福島第一原発の処理水の放出に対する中国人の悪質な行為をテレビや新聞で見聞きし、嫌悪感を抱いていました。

しかし、中国訪問を通して中国・中国人に対する印象が大きく変化しました。数多くの高層ビルを目のあたりにし、経済成長や都市化が非常に進展しており、特に銀行が多く点在していると感じました。銀行の数の多さが金融業界の発展につながり、経済成長の促進や投資の上昇等の影響をもたらしていると考えました。

また、中国の大学生と交流をした際、日本に興味を持ち、私たちに積極的に日本に関する様々な事柄を質問したり、知識を探求しようとする姿を目にしました。私が想像していた以上に日本に興味がある大学生が多いということを知り、感銘を受けました。また、ホテルや飲食店を訪れた際、温かく迎え入れてくださったり、優しく接してくださったりする方が多く、親切で友好的な方が多いと感じました。私が中国訪問をする前に抱いていた中国人に対する印象が大きく覆されました。

一方で、空気やトイレ等の環境が悪い、交通マナーが悪いといった欠点もありました。北京を訪れた際、空気が濁っていて、大気汚染が深刻であると感じました。トイレは水が流れない、トイレットペーパーがない場所が多数あり、非常に不衛生で不便さを感じました。また、道路上では、車やバイクだけでなく歩行者が信号を無視したり、車線のはみ出しによって接触しそうになった時があり、非常に危険だと感じました。クラクションの使用頻度も非常に多いと思いました。改めて日本の空気・トイレや交通マナーの良さに気づかされました。

私は、将来、私の出生地と中国人観光客とをつなぐ架け橋のような存在となり、地域経済の発展に貢献したいと考えています。そのため、円滑にコミュニケーションを図ることができるように中国語の勉強に力を入れて取り組むと共に中国の文化や歴史、中国人の価値観を学んでいきたいと考えています。

今後は、私が中国訪問をする前に持っていたような先入観を持つ日本人にも中国の良さを知ってもらい、友好的な関係を構築していければ良いと思います。また、中国から日本に来た人に対して私たちが中国で受けた温かい対応をしていきたいと思います。

短い期間でしたが、大変有意義な時間を過ごすことができました。最後になりますが、今回の中国訪問に関わってくださったすべての方、関係者の皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。