1-A

この目で中国を見て、感じ学んで得たこと

訪中を終えて、中国は産業が盛んであり、また技術力は世界をリードしているということを肌で実感した。また、中国の歴史に触れる機会が多く、勉強になった。
まず産業が盛んだという点だが、街中には無数のレンタサイクルが置かれ、提供される我々の食事は腹八分目まで食べてもまだまだたくさん料理が残っているくらい毎食大量だった。残った料理については、すべて捨てることになるのかと思うともったいない気もしたが、中国の「食事は残すのがマナー」ということを考慮すると異文化理解の方向に自分の考えを転換させた。上海の建物はここが世界の中心だと言わんばかりに高層ビルばかりであり、物やサービスが大量に生産される国だと感じた。
次に技術力についてだが、上海理工大学にお邪魔した際、ロボット技術の研究・開発の一部を見させていただいた。具体的には、指示した絵がかけるロボットや二足歩行できるロボット、人の首や目の動きをマネできるロボットなどだ。私はロボットについて詳しくないが、それでもこの技術が進歩するとスマホの登場のようにまた世界ががらりと変わるかもしれないと考えた。
また、歴史については豫園や万里の長城、故宮や中国人民抗日戦争記念館に行き、中国の歴史を座学ではなく資料や実際の建造物の見学、動画などを通してこの目で感じることが出来た。豫園では、緻密かつ精巧な技術がいくつも見られ、先人の技術力の高さに驚かされた。万里の長城は実際に上ると想像以上にきつく、自分が攻める側の人間をイメージするともう撤退したくなったと同時に命がけで自国を守ろうとした昔の人の、生きる執念のようなものを感じた。
中国の大学生との交流は私にとってとても新鮮であった。私は留学生や外国人と話した経験がほとんどなかったので、彼らと中国語で会話が出来た時はとてもうれしかった。また、彼らはとても優しかった。私が荷物を多く抱えていると、持ってあげるよと言うように手を差し伸べてくれた。さらに、私の好みを聞いてくれたり、自分から物をとってきてくれたりととても思いやりがあり、私の心は温かくなった。これから日本在住外国人は増加すると予想する。共存していくために、これからも中国語や英語の上達を目指していきたい。
訪中に期待していた中国の文化を肌で感じることや視野を広げることはできた。また、中国人は自我が強く、個人個人で一生懸命に生きていると感じた。訪中前後で衛生面については考えに変化はなく、帰国後日本の清潔感を客観的にありがたく思えた。
今回は中国のきらきらした部分を多く見た。特に上海の高層ビルや夜景は、中国の経済成長を物語っており圧巻であった。今度は中国の負の部分も見てみたい。例えば、新疆ウイグル自治区や中国の貧困層の生活の実態などだ。今回の訪中は中国政府からの招待なのでそのような負の側面を我々には極力見せないと考える。まだ浅くしか知らない中国の負の面をこれから調べていきたいと思う。急速な経済成長によって豊かになった人、置いて行かれた人、様々いるはずである。中国については経済格差が訪中を終えた今の私の一番の関心ポイントである。


訪中を通して得た真義

今回の訪中を経験し、自分の目で実際に見て考えたことは数多くある。今日も日本では中国に対する悪印象や偏見が散見されるが、私は幼い頃より中国文化や建築物に興味があったこともあり、これまでの人生で中国に対しそれほど悪印象を抱いたことがなかった。また、幼少期より国際交流などに積極的に参加し、中国を含む様々な国の人々と関わってきたことで、国民性はあれども個人の性格や思想は出身地に関わらず異なることを理解していたつもりだった。したがって、自分は中国や中国の方に対し偏見など持っていないと思っていた。しかし、現地に到着し数日過ごす中で、滞在先や訪れる先の中国の方々が皆親切であり笑顔を向けてくださることに内心非常に驚いたとき、自分の中にある中国の方の像と自分が実際に受けた印象が大きく食い違っていることに気が付いた。よく考えれば、個々は別の考え方を持った人間だということ自体は理解していても、その根底には「中国は反日教育を行っているため大半の中国の方は日本や日本出身の人々に好印象を抱いておらず、日本の人に対して反抗、攻撃的である」という思い込みがあった。これは私が教育課程において学校関係者や周囲の人、マスメディアから見聞したことである。もちろん全員が日本に対し友好的ではないことは理解しており、この内容すべてが間違っていたとは思わないが、周囲の情報だけで形作られたものがどれほど不透明かつ不正確か学ぶことができた。今回の訪中によってこの潜在的な思い込みが覆っただけでなく、環境や教えによって無意識のうちに形成されるものに懐疑心を抱くことの大切さ、実際に自分で見ることの重要性や一部を全体だと認識しない心構えなど、今後の人生にも通ずる気づきを得ることができた。また、同様のことが中国国内でも起こっている可能性を考慮すると、月並みな意見だが日本と中国がお互いにお互いを実際に見てよく知り、コミュニケーションを取る機会を増やすことが今後良好な関係を築く上で最も有効であるように思う。一般的な人間関係や、さらには物事に対しても言えることだが、「よく知らない」ということは最も対象と自分の距離を遠ざけ、偏見や嫌悪を生むように思う。人間関係は想像に難くないと思うが、例えば嫌いな科目などもその苦手意識には「よくわからない」「よく知らない」「最初に受けた悪印象をずっと引き摺っている」などの要因が潜んでおり、勉強を重ねて向き合ってみると意外と面白く、思っていた印象と異なることがよくある。したがって、何かとの間でわだかまりがある際には、その対象を良く知ることがそれを解く上で重要であり、日中間もそういった場が多くあると良いと思う。今後自分の目で実際に見ることや国内外問わず様々なバックグラウンドの人々とのコミュニケーション、及び相互理解を大切にしたいと思うと同時に、自分が今回の訪中で感じたことを周囲の人にも共有したいと思う。

また、今回は複数の大学から参加者が集っていたがこれも非常に良い交流となった。同じものの見学、同じ経験を共有してもひとりひとり考えることや感じることが異なり、こういった意見交換は視野を広げることに大きく貢献した。自分にはない気づきや、自身の専攻科目を通した視点での意見、歴史に詳しい方がそれを加味して見て考えたことはどれも新鮮で面白く、様々な新しい視点の会得に繋がった。特に、歴史に詳しい参加者が「抗日戦争記念館での展示内容や歴史の解説は日本が主張している内容とは少し異なっていた」と言っていたのが興味深かった。どちらが悪いとか嘘をついているということではなく、日中間で解釈や認識、教授内容に差異があること自体が面白いと感じた。中国の大学生と交流した際も、中国側からの視点や日中間の相違点、当たり前となってしまっている日本の良さや課題点など交流によって得られた気づきが多かった。そういった意味では日中間、そして訪中団の中でも非常に有意義で刺激的な交流をすることができた。

今回の七日間の訪中を経て、中国の内情を自身の目で確かめることができたのはもちろん、既述のような様々な発見があり自分自身がすごく広がった期間であったと思う。ここで得られたものは人生に大きな影響をもたらし、知り合った人々も私の人生において大きな存在となった。今度は細部を観察しに、また個人で中国を訪れようと思う。


自分の目で見ることの重要性

「1号車には字引さんがいるので、わからないことがあったら字引さんに聞きましょう」。上海到着後に乗車したバスの車内にて、中日友好協会の郭寧さんから突如放たれたお言葉に一人若干の冷や汗をかきながらも、和んだ雰囲気の中で、私にとって初めての訪中が始まった。今回、有難いことにご縁をいただいたことで、初めて中国に訪れることができ、それまで直接目にしたことのなかった”中国”を実際に自分の肌で感じる貴重な経験となった。

しかしながら、訪中以前の自身を振り返ると、中国に対するプラスなイメージはほとんどなく、むしろマイナスなイメージを多く抱いていたのが正直なところである。反日感情による運動が起きる毎に大々的に報道されているのを度々目にしていたことや観光地等で訪日中国人のマナーの悪さが顕著であったほか、COVID-19に関する不十分に思える対応などが影響して、否定的な側面ばかりに意識が向いていたのである。そのため、否定的なイメージが自分の中に色濃く残ってしまっていたのである。

このように中国に対して多くの否定的なイメージを抱いていたものの、訪中団に興味を持ったのは、マスメディアやSNSを通した情報のみならず、一度は自分の目で”中国”を確かめたい思いがあったからである。現代は、地域や時間を問わず、世界の情報を得ることが簡単になった。しかし、私は、所属学科の講義を通して、自分にとっての「当たり前」は他者にとっては「当たり前」ではないこと、加えて、誰もが異なる文化や思想を持っていることを念頭に置いて当事者の立場に立って考えることの重要性の高さに改めて気付かされたのである。それゆえ、今回の訪中は、私の中でマイナスなイメージに覆われていた中国を再度見つめ直し、実際に自分の目で確かめる機会になると考えた末に参加を決意したのである。

では、中国に訪れたことで、自身の考えにどのような変化が生じたのだろうか。結果的には、以前まで抱いていた否定的なイメージからポジティブなイメージへとやや好転したのである。現在、日中関係があまり思わしくないため、多少の不安を抱きながらの訪中ではあった。だが、今回交流をした上海理工大学や北京第二外国語大学の学生たちの中には、日本語学習者や日本に関心を持った学生が多かったこともあり、私たちを快く受け入れてくれていた印象を受けた。学生間の会話では、多少の言語の壁はありながらも、まるで同じ学校の学生同士であるかのようにコミュニケーションをとることができたのは、良い意味で想定外なことであった。同時に、良い交流ができるよう学生や職員の方々に尽力していただいたことは、率直に嬉しさを覚えた。先ほども述べたように、現在の日中関係は良好とは言い難い状況である。それにも関わらず、学生たちと和気あいあいとした雰囲気で交流ができたのは、相手の文化や言語を知ろうという好奇心を基に、自然と互いを尊重できたからではないだろうか。

他方で、大気汚染については、メディアが報じているよりもかなり深刻な状態であると体感した。特に北京では、マスクが手放せないほど私にとっては苦しい環境であった。また衛生面においても、日本で暮らす者にとってはネガティブな意味で不慣れなことが多々見られた。そのようなことも含めて、「中国」を自分の肌で感じ自分の目で確かめ、それまで抱いていた固定観念を改めるきっかけとなり、生涯忘れることのない経験になったといえよう。

また、隣国同士である日中間の関係は、想像以上に複雑なものであることを痛感した。現在も芳しくない状況下ではあるが、私たちはメディアやSNSなどのある種のフィルターを通した情報をただ見聞きするだけでなく、学生同士の交流のように、互いの文化を学び、実際に触れるなど、相手について知ろうとする姿勢を持つことを絶やしてはならない。微々たるものであるかもしれないが、日中の将来において前向きな影響を与えてくれるだろう。

最後に今回の訪中に際して支えてくださった方々に厚く御礼申し上げます。


中国への認識の変化

1)中国(人)に対する気持ち・考えの変化

・中国という土地のイメージ

場所によって、街の外景が元々持っていた中国へのイメージと違うところ(少しメルヘンな雰囲気の場所やメカニックな場所など)や古風な中国の建造物がある映画のようでイメージ通りのところなど、地域によって全然違う印象を持っていること、国土が広いからか自然も豊かで日本よりも緑や川が身近にあること、日本よりも雲が地上から近いということ

・文化、食生活について

水を飲むという行為が危険であるという認識から、スプライトやコーラといったジュースが置いてあるということ、炒飯は中国ではメジャーではなく日本の味付けとはだいぶ違い、おかゆのような優しい味付けであるということ、料理はマナーとして少し残しておかなければいけないということ、店員さんが食器を下げるまでが早いこと、日本とは違った気遣いの面でサービスがしっかりしているということ、万里の長城を登った時、段差の高さとバラバラさが強かったこと、中国の人がこれを登れたら一人前の男と呼ばれる意味がわかるほどにきついということ

・中国の未来について

大学の学生さんたちと中国の大学や文化について話し自分の見識が広がりました。交流した中国の方々は日本語がとてもうまく、中国語で話すことが少なかったため自分から意識的に使うことが大切だと感じ、日本のことにとても興味がある方が多く僕らに対しても気を配っていただけているということに有難さを感じました。大学でおこなっている研究について僕の班はロボットと線について見学させていただき、実際に研究成果の体験もさせていただきました。中国では大学の研究に力を入れているらしく、研究内容について広く深い物を扱っていると感銘を受けました。文化の面では中国画を見学させていただき、筆での表現力に圧倒されました。大学とは別に、新しいイノベーションを生み出すための取り組みとして上海都市企画展示場に行って上海の未来のビジョンについて学びました。自然や人との関わりを大事にしようとしているのが見え、計画性、将来性の面で有意義なものがあるということに衝撃を受けました。他にも北京中日イノベーション協力モデル区のコーナーを主に、充電器を作っている会社などを見学しました。個人的な感想としては、やはり中国は国力、技術力、思考力に長けていると感じました。例えば、モデル区は北京市協力のもと、多くのイノベーションを生み出すために、それを生み出したい人に寄り添った環境をつくり、目的、方法等を明確に示している所が日本との違いとして挙げられます。日本も中国のように先を見据えた計画をより多く増やしていただきたいです。

これらが訪中団として参加し中国に訪れたときに感じた気づきと考えの変化です。

 

2)日本はそして自分は、隣国隣人として今後どのように中国(人)と付き合っていくべきか

大学の学生さんたちと中国の大学や文化について話したり、実際に中国が今どのような政策、取り組みをしているかを見学することで自分の見識が広がり、それを踏まえて改めて感じたのですが中国は日本よりも若者に対してとても熱心に援助をすると同時に世界の最先端ともいえるほどのイノベーションを生み出しているようなテクノロジーに対しても積極的な国でありその分多様性が多く生まれているという点で、いろんな人がいるということに気づきました。そのため、日本は経済的に見ても中国に劣っている点や、国民性の点で、見習うべきこと、ものが多くあるということを感じました。現在日本では反中意識の強い国民性があるためあまりいいイメージを持っている日本人は多くないかもしれませんがその意識も踏まえて少しずつ変えていく必要があるかと感じました

この7日間が自分の人生にどのような影響があったか

中国に訪れることの意味として、中国語を話すということ、中国の文化、人、生活について少しでもきづくことがあったという点で自分の見識にとても大きい影響があったと考えます。


自分の目で見て理解を深めることが重要

今回、私の訪中にあたっての目標は二つあった。中国文化に触れることと、日本文化について話し合える中国人と交流することだ。

まず文化について、今回、私の中国に対するイメージは大きく覆されることとなった。そもそも私の中国に対するイメージは、横浜中華街のような細部まで精妙な彫刻が施された建築や、世界史の科目で学ぶような藍の模様付けがされた陶磁器など、古代中国のイメージが主だった。今回訪れたのは上海と北京という大都市であり、そこで実際に目にしたものは高層ビルが立ち並び、広い道路が何本も整備された、近代的と言える中国の姿だった。

事前のイメージと異ならなかった点は、色彩の豊かさだ。初日に訪れた上海のテレビ塔は目立つ部分が蛍光ピンクに塗られており、日本ではまず選ばれない主張の強い色だと感じた。上海の夜ともなるとビルというビルがスクリーンになり、様々な映像や文句を色とりどりに映し出す。観光用の店の裏に見えた一般住宅はコンクリートそのままの色や茶などの無難な色に塗られていたため全てが多色であるわけではないことも分かったが、色彩感覚に中国独自のものがあることが感じられた。

中国は歴代の文化を喧伝しているイメージが強かったが、今回の訪中で、過去よりもむしろ未来に意識を向けていると分かった。上海都市企画展示館は上海という都市がどのように発展してきて、これからどのように発展するのかを示していた。あまり丹念に見ることはできなかったが、私の見た限り第二次世界大戦のことは全く展示内容になく、その後の時代、つまり現代についてばかりだったように思う。また、北京中日創新合作示範区についての展示を閲覧したときも、未来へ視点を向けていることを感じた。特に未製作の建築物についての展示は、そのようなものを見たのは初めてで驚いた。

しかし、未来ばかりに目を向けているのかと言えば、中国人民抗日戦争記念館を訪ねて、それも違うことも分かった。そこでは、日本が満州をどのように侵攻したかについての展示の最後に、中日友好についての意志が記載されていた。そこからは、中国が過去を置き去りにしたわけではなく、過去の出来事を見つめた上でこれからどうするか考えている国なのだと読み取れた。歴史を学ぶ上で、このような姿勢こそ理想とすべきだと思った。古代中国文化に触れることが目標だったが、現在の中国の姿は過去から続いてきた軌道上にあるのだと学ぶことが出来た。

二つ目の目標の交流について、具体的には、日本文化にどうやって出会ったのか、どの分野に興味があるのか、興味があるのが音楽やアニメなどのコンテンツならばどのような手段で閲覧しているのか、などを聞きたかった。しかし今回訪れたどちらの大学も歓迎のために多くのイベントを用意してくれていて、落ち着いて雑談する時間が短かったと感じる。それだけ濃密な時間を過ごしたと言えるのかもしれないが、上記を目標に掲げて今回の訪中団に参加した身としては、目標が達成されず不完全燃焼に終わったと言わざるを得ない。

今回の旅で、全体を通して感じたことは中国人のあたたかさだ。旅の間に何度も話に出たように、日本では中国人は日本に対して悪感情を抱いていると言われていると聞くことがある。また、抗日戦争記念館の展示をみると悪感情を抱くのもむべなるかなと感じられる。しかしながら、上海のホテルでは、中国語を話せない私の要求を組むべく諦めずに何度も話を聞いてくれたり、英語の通じるスタッフを探してきてくれたりと親切な対応をいただいた。訪れた大学では心づくしのもてなしが用意され、こちらから何か質問すると、丁寧に答えようとしてくれる。特に人のあたたかさを感じたのは、歌った時である。訪中二日目のパフォーマンスの折は、プロや実力者の揃う中で素人集団が歌を披露することになり、泣いて家に帰りたい気分だった。しかし壇上で歌い始めれば、観客は手拍子で盛り上げてくれ、最後には大きな拍手をくれた。別の意味で泣きたくなった。その後北京外国語大学で一芸を披露することになったので私はそこでも歌ったが、同様に手拍子と拍手をいただけた。日本では芸に対して反応が薄いのが一般的だと感じるのに対して、中国人は反応が大きいと感じた。

国と個人では交流方法が異なるが、どちらにせよ互いを理解しようと努めることが大事なのだと改めて気付ける経験になった。


異文化の実感とヒトとしてのつながり

  • はじめに

私はこの訪中団で初めて海外の土地に足を踏み入れた。日本語が通じる、日本の文化下でしか生活したことがない。国際交流も学校の教員や街中にいる人と関わった程度だ。そんな私は、この訪中で異文化を体感することが一番の目的であった。

今回の旅を通じて、私たち日本人の普段の環境とは異なる生活を目にした。しかし実際の中国人との交流では異文化間であっても親しくなることができることを学んだ。環境面から感じた日中の文化の相違点と、人と人との関わり合いについて述べていこうと思う。

  • 環境面から感じた異文化

環境面では日本との違いを感じた点が何点かある。

一番日本との違いを感じたのはトイレである。日本ではどこへ行ってもトイレットペーパーを流すことができる。さらに近年ではほとんどが洋式トイレになっている。また、不潔だと感じることはほとんどない。中国ではトイレットペーパーを流すことができなかったり多くの場所が和式トイレであったり、また日本に比べて清潔さを保たれているところは少なく感じた。世界トップクラスであるとされる日本のトイレにある意味慣れてしまっていた私は環境の違いを大きく体感させられた。

次に、交通道路でも日本との違いを感じた。特に北京市に着いたとき、道路の広大さに衝撃を受けた。日本ではあまり見ないほどの車線数が長く伸びていた。また、夕方に見られた龍に例えられるほどの車の渋滞にも衝撃を受けた。もちろん中国の交通網の発達が遅れていることが一因として挙げられると考えられる。しかし私はこの2点の気づきから、中国の人口規模がいかに大きいかを体感した。

また、紙幣価値にも日本との違いを感じた。中国では未だに偽装紙幣が蔓延しており、偽装の心配が要らないQRコード決済が発達していることを訪中前の事前知識として持っていたものの、私は半信半疑のままであった。しかしながら北京市内のスーパーマーケットに訪れた際、貨幣の信ぴょう性の低さを体感する出来事があった。スーパーマーケットでの購入の際、私が紙幣を取り出して店員さんに渡すとその紙幣が正しいものなのかを確認する素振りを見せたのだ。日本ではそのような素振りを見たことがなかった。

  • 人間面で考えた日中間のこれから

上記のように環境面では日本との違いを感じる点が多かった。しかし関わった人々はみな優しく日本人を受け入れてくれていた。

まず2大学との交流では、みな我々日本人を歓迎してくれている姿に心温まった。原発の汚染水問題が大きく取り上げられ、日中の関係がより悪化している中での訪中だったため、大学との交流でも歓迎されないのではないかと懸念していた。しかし学生同士の交流では「反日精神」などは欠片も見えず、親日の気持ちで接してくださっているのが伝わった。

また、それだけでなく北京市内のスーパーマーケットの中でも日本人を受け入れてくださっている様子がうかがえる出来事があった。スーパーマーケット内をまわっている際、ある年配の中国の方から「日本人?」と尋ねられたのだ。私はその時、とっさに非難されるのではないかという思考が働いてしまった。しかしそんな心配とは裏腹にその中国の方は笑顔を向けてくれた。その笑顔には日本や日本人を非難しようという感情は1mmも見えなかった。

  • 訪中経験を通じて

メディアや一部の人の中国に対して負の感情を持たせるような意見が多くみられる。確かに、中国政府や一部の中国人は日本にとって良くない影響を与えることもあるだろう。また、反日的な感情を持った中国人は少なからずいると思う。それはかつての日本人が中国に行ってきた負の遺産や、日中間の少しのすれ違いから起きているものだと思う。地理的にも近い日本と中国は互いに無視しあうことはできない関係にある。環境面で文化の違いを感じたように、日本と中国では近隣国でありながらも異なる点が多い。そういった少しの違いが日中間の関係にも影響を与えることもあるかもしれない。しかし中国人との実際の交流で分かったように個々のつながりには「日本」「中国」という大きな枠組みでの対立状態は関係しない。もし日本と中国が大きく対立するような出来事があったとしても個々のつながりが国同士の対立に歯止めをかける一因にだってなり得るかもしれない。そのような期待を持って中国と接していきたい。


訪中で得たもの

“北京歓迎你”。

今回の訪中の旅行で知った言葉の一つです。意味は日本語で“北京はあなたを歓迎します”。とてもやさしくて心が暖かくなる響きの言葉だと思いました。帰国する道中、この言葉が何度も心に浮かぶような旅の終わりでした。

私は、この度の訪中団に自身の所属しているゼミの先生の紹介で加わりました。中国語を勉強したことはなく、また訪中の経験もない、中国との関わりが他の学生らよりも薄いといえる私が今回の訪中で一体何を感じ取ったらよいのか、出国する前は正直わかりませんでした。しかし早朝に羽田空港に集まった面々との1週間に及ぶ中国滞在は、私にとってとても濃い時間になったと帰国した今感じています。

まず、中国に到着して一番の思い出は中華料理です。見慣れない回転式の丸いテーブルの上に置かれた中華料理の種類と味、そしてその量にはとても驚いた記憶があります。本場中国でしか味わうことのできない料理にまさに中国を“体感する”ことができたと思います。

また、現地で印象に残っていることの一つに現地の中日友好協会の方々のもてなしがあります。まず、皆さんの日本語の流暢さに驚きましたが、その日本語で、バスに乗って次の目的地まで移動する道中に窓から見える建築物や交通機関について説明してくださり、また慣れない中国滞在において感じる様々な不安が解消されるように細やかな気配りをしてくださったおかげで、一つひとつの行程がとても楽しく充実したものになりました。また、皆さんとの交流の中で表面上の付き合いでは生まれないような配慮や言語能力の高さを感じて「中国人全員が日本人を嫌っているわけではない」と少し安心しました。また、私自身、「中国人だから」という理由で彼らをひとくくりにして偏見の目で見てしまっていたことにも気づかされました。

4日目に訪れた中国人民抗日紀念館での学習も、私にとってとても重要な時間になりました。世界大戦前後の日本と中国との摩擦については、中学・高校でも学習したとはいえ、私が持ち合わせていた知識は満州事変とその周辺事実のみで、世界大戦についても日本は原爆によって甚大な負債を抱えることになったという程度の認識しかできていませんでした。紀念館で館員の方の説明を受けながら見学を進めるうちに、事実として日本は中国に5度侵攻しており、日本は戦争の被害者であると同時に紛れもなく加害者であったということに気づきました。また、現代の日本人の戦争観に大きな影響を及ぼしている2度の原爆投下の事実は、中国ではあまり注目されていないことにも気づきました。膨大な量の史実のどこを拡張し、どのように伝えるか、によって人の持つ史実に対する印象が決まること、そしてそれが解釈の違いにも直結することを学びました。

そして、これは私自身の個人的な気持ちですが、今回の訪中は私にたくさんの学びと経験と自信をもたらしてくれました。私はここ数年のコロナ禍で、同年代の人と交流することの少ない閉塞的な日々に消極的になってしまい、何かに挑戦しようとする気持ちが薄れていました。そんな中4年ぶりの訪中団に加わるという機会が訪れて、久しぶりに何かに思い切り挑戦することができました。そして7日間にわたる活動の中で、これまで自分の価値観に無意識のうちにとらわれていたこと、そして、自分の見える世界をもっと広げるには自分から行動を起こして経験や学びをつかみ取ることが大切であることに気づきました。何より、たくさんの人と縁が繋がって、その方たちと活動できたことが楽しかったです。

結びになりますが、改めて、この度の訪中に携わってくださった日中・中日両友好協会の皆様、また、突然の予定の変更にもかかわらず温かく受け入れてくださった現地の大学生の皆さんや、ホテル・飲食店の皆さんに感謝を申し上げます。私がこの先中国とどのような関係を持つのか今はまだ具体的に想像できてはいませんが、この度の訪中で得た知識や経験は、これから先の人生を変える原動力の一部になるような気がしています。このような貴重な機会を提供していただき、本当にありがとうございました。


訪中から学んだこと

今回の訪中が決まってから、私はとても不安だった。海外に行ったことがそれまでなく、ずっと海外に行くことに対して強い憧れを持っていたこと、現地に行ってそこの文化を自分の目で見てみたい、身近な国であり歴史的にも深い関わりがある中国についてもっと知りたい、そう思ったのがこの訪中団に応募をしたきっかけであった。期待が大きい反面、不安も多かった。自分の語学力で会話が成立するのか、何か良くないことに巻き込まれはしないか、最初はそんな漠然とした不安だった。そこに、処理水放出に関する日中間の問題が報道され、不安はより大きくなった。日本に対して悪い印象を持たれているのではないか、現地で会う人にそういう人がいたら自分はどのように対応すればいいのか、そもそもこんな状態で中国に行ってもいいのか、そんな風に思った。しかし、そんな不安は杞憂に終わった。

今回の訪中で私は様々なことを学び、感じたが、一番強く感じたのは「自分は中国のことをほとんど知らない」ということだった。私はこれまでの生活の中で、日中間の歴史、中国の文化などについて少しは知っているつもりでいた。しかし今回の訪中を通して、自分が知っている中国のことはごくごく一部に過ぎなかったのだと気づかされた。それを実感したのが二つの現地の大学との交流だった。二日目に交流した上海理工大学の学生も、四日目に交流した北京第二外国語大学の学生も、一生懸命に日本語で私たちと話そうと努力してくれたし、日本の音楽やアニメについて話をしてくれた学生も多くいた。そんな現地の学生の姿を見て私は、「中国の学生はこんなにも日本のことを知ってくれて、日本語で話してくれるのに、私は中国語も話せないし中国のことを何も知らないのだ」と痛感した。第二外国語を取っておらず英語で話すのが精一杯だったというのもあるが、なんだか悔しい気持ちになった。現地の学生との交流だけでなく、見学をさせてもらった様々な施設でも、急速に発展を遂げており今も開発が進められていることや中国の長い歴史を学び、まだまだ知らないことだらけだと感じた。また、今回の訪中で出会った中国の人たちはみんな優しくて、日本で見た報道に出てくるような中国人は一人もいなかったことにとても安心した。もちろん、中国国内を探せばそういう人はいると思うが、日本に理解を示してくれる中国人がたくさんいるのだから、私たち日本人も中国のことをもっと理解しなければならないと感じたし、互いに理解することが日中友好の鍵だと思う。

今回の訪中を終えて、私は今まで知らなかった中国のことをたくさん知ることが出来た。しかし、まだまだ知らないことがたくさんある。訪中を通して中国についてもっと知りたいと感じたし、中国語で会話出来るようになりたいと思った。幸いにも第二外国語で中国語を学べることに決まったので、これから一生懸命勉強したいと思う。この先の人生の中で、また中国に行く機会があるかどうかは分からないが、もし次行くことがあるとしたら、今度は中国語で現地の人たちと話したいし、中国の学生が日本のことをたくさん知ってくれていたように、もっと中国のことを知った上で中国を訪れたいと思う。その機会がなくても、今回の訪中で学んだことを忘れず、中国のことを知らない日本の人たちに私が今回見たものを伝えていきたいと思う。


訪中を通じて変化したもの

私は多くの日本人がそうであるように、中国という国に対して反日の人が多いなどあまりいいイメージは持っていませんでした。しかし、日本で実際に関わった個々の中国人は皆いい人ばかりだったため、日本から見た中国の漠然とした悪い印象と自ら関わった中国の人々の良い印象のギャップに疑問を持ち、この訪中団への参加を決めました。

訪中団では日中の大学生交流や施設見学をしましたが、そこで関わった中国の人々は皆優しく、丁寧に私たち日本人をもてなしてくれました。特に大学生交流では、関わった中国の学生と互いに歩み寄り、良い絆を築くことができました。想いを伝えようと懸命に日本語で話してくれる彼らの姿に感動し、他言語を習得することの意義を改めて感じて自分も中国語を学びたいと思えました。一方で、日本語を学んでいる学生は元々日本に良いイメージを持ってくれている人が多いと思うので、実際の中国人というよりは中国の中でも親日の人々としか深く接することができなかったことは、少し残念に思いました。

中国では、列に並んでいなかったり、飛行機の席を随分汚したりと、私の感覚からすると驚いてしまうような行動も多く見られました。私が大学生交流などで関わった人達がそのようなことをするとは思えませんが、そのような所を見ると元々のイメージの中国らしい、と思ってしまいました。しかし、やはりいい人もたくさんいて、汚染水の件で日中情勢も不安定である中、日本人である私たちを歓迎してくれているのが伝わってきました。この訪中を通し、私は中国では反日の人、驚くような行動をする人が多いというイメージは間違ってはいないのかもしれないけれど、それは人口の母数が多いからで、その分いい人はもっと多いのだと思いました。中国には日本や他の国と同じように、当たり前にいい人も悪い人もいます。しかし、日本より人口が10倍の分、悪い人も多く見えてしまって、日本ではそこばかりが強調されてしまっているように感じます。中国にはいい人も10倍いるのだということをこの訪中を通して知ることができました。このことは日本全体が知るべきことだと思います。

また、私が印象に残っているのは中国人民抗日戦争紀念館の見学です。今までの私の感覚では戦争と言えば原爆で、日本は被害者だという意識がどこかにありました。しかし、中国人民抗日戦争紀念館で中国側から見た日本との戦争を見て、日本が加害者となって中国をはじめとする他の国々を深く傷つけてきた事実もあるのだと思い知りました。特に南京事件についてのブースでは信じられないほど悲惨な写真に衝撃を受けたと同時に、日本人として必ず知っているべきことだと思い、この機会に学ぶことができて本当に良かったと思いました。戦争について日本国内では原爆での被害を強調されがちですが、日本が他国にしてきたことにも目を向けるべきだと思います。

訪中団に参加し、今まであまり触れてこなかった中国の文化や歴史に触れ、中国の人々との交流を経験しました。今までの中国のイメージと同じところも、全く違うところもあり、日本のメディアからの情報だけでなく、やはり現地で自分の目で見ることがとても重要なのだと改めて考えました。一週間で充実した学びと貴重な経験をさせていただき、訪中団に参加できたことに本当に感謝しています。大学生という時期に、大発展を遂げこれからも世界の中心に成長していく中国という国に実際に行き、現地ならではの様々な学びを得られたことは自分の一生の財産となると思います。


中国の印象と意識の変化

私が中国に行くまでに抱いていたその国のイメージは、ものすごいスピードで発展していて、日本人に対しては一部の人が悪印象を持っているというものだった。というのも、中国はここ十数年で世界の経済の中心に位置するようになったし、最近話題になった処理水問題でもわかるように、日中関係はお世辞にも非常に良好であるとは言い難いからだ。実際に中国を訪れて、その印象はおおむねあっていたと思える。まず、前者の発展につ いてだが実際にものすごい速さで進んでいた。上海の二日目に見学した、上海都市企画展示館では上海がここ数年でどのような都市に発展したか、そして今後数年でどのような発展を遂げていくのかを聞くことができた。それはおそらく日本ではできない規模感の発展だと感じた。しかし、上海でも北京でも意外だったことが一つある。それは、上海でも北京でも経済格差がかなりありそうなことである。大学で中国語を教わっている先生から、中国は実質共産主義ではなく資本主義に変わったという話を聞いてはいたが、それは私が想像している以上にものだった。この格差は、あくまで高速道路で移動しているバスの上から見たものに過ぎず、実際はもっと格差があるのかもしれない。だから次に中国を訪れる機会があったら、実際に自分の足で市内を歩いて回り、現状を見てみたいと思う。

次に、後者の日中関係についてだ。まず、今回の訪中で様々な中国人の方たちと関わらせていただいた。中日友好協会の方々をはじめ、ガイドの方々、そして私たちと交流してくれた上海理工大学と北京第二外国語大学の生徒たちである。彼らはやはり日本と深くかかわりを持っていたり、日本のことが好きだったりで、私たちと友好的な関係を築いてくれた。私は、この機会にできた関係を続けていき、いつか将来大きなつながりにするか、その足掛かりにしたいと思っている。そのため、この機会を設けてくれた方々には本当にありがたく思っている。そのうえで、私は個人的には日本人にいい印象を持っていない中国人と話してみたかった。もちろんこれは無理難題だろうが、それこそ日中友好には欠かせないことだと思うからだ。

私は以前から中国とは友好関係を築くべきだと思っていたが、今回の訪中でその必要性をより一層強く感じた。これほどまで経済的に強く、これほどまで日本と文化が近い近隣国と友好関係を築かないのは非常にもったいないと思う。そしてそのためにはやはり対話を続けていく必要があると思う。そしてそれには中国語を十分に学ぶ必要があると思っ た。これが今回の訪中で最も強く思ったことだ。当然だが、自分の考えを伝え、相手の考えを理解するためにはその言語を理解しなくてはならない。またこれは個人的なことだ が、訪問先で交流した学生の多くが日本語を流暢にしゃべることができていて、日中友好協会の学生の何人かが中国語を流暢に話すことができているのを見て、自分が情けなくなったからだ。そのためこれからは中国語の勉強に力を入れたいと強く思った。

今回中国を訪れて、多くのものを見て学ぶことができた。今回のこの経験を活かしてこれから先も様々なものを見ていきたいと思う。


中国への扉

実は、中国で反日的動きが高まっているとはいえ、今回は客として団体で訪中したため、私は訪中に対してそれほど不安は抱いていなかった。だからこそ南京訪問が中止になったとき、だからこそ南京訪問が中止になったとき、反日運動の激しさと危険さを初めて明確に感じた。「中国に対して怖いと思ってしまうのは、歴史的背景によるところが大きいのかもしれない」。上海理工大学で交流した学生の方と別れ際にかわした言葉を思い出した。反日思想の根 源にある歴史的事実を日本人は知る必要がある。日本の戦争教育では、太平洋戦争を中心に、日本が被った惨劇ばかりが語られる。日中戦争について触れられることは少ない。被害者としての日本は戦争を一面的に見た結果にすぎない。加害者としての日本を見なければならない。中国人民抗日戦争紀念館では、日本の敗戦は「ファシズムへの歴史的勝利」であると断言されていた。見学の最後に、旧日本軍の押収品がガラス張りの床に展示されているのを見た。日本の博物館で、兵士の日の丸国旗が憎きものとして床に並べられることはまずない。その日の丸国旗の上を踏んで退館したとき、事実は一つだとしても、それに対する解釈は視点の数だけ存在するので、歴史は複数存在しうると実感した。そして、自分が支持する歴史は一つだけであるとしても、他の複数の歴史のすべてを尊重する必要があると感じた。根拠に乏しい対日批判を肯定する必要はないと思う。しかし、その根底にある事実を正しく理解することは必要で、それが私にできる日中友好への第一歩である(また、このことは日中間だけでなく、あらゆる国との友好のために一個人ができることだろう)。

当たり前だが、中国というものはたった一回の訪問でつかめる国ではなかった。いろいろな意味での大きさを知れただけでも十分な収穫     かもしれないが、どうも表面的なよそ行きの部分しか見ることができていないような不満足感は拭えない。今回、私たちは客として招かれ、いたるところで丁重なおもてなしを受けた。毎回毎回豪勢な食事、ガイドや飲食物の配布付きの貸し切りバスでの移動、快適なホテルでの滞在はもちろん、行く先々で歓迎された。そのことはとてもうれしかったし、私はそうした歓待を十分満喫した。しかし、本当に中国に触れることができた気がしないのである。訪中前の「なんか怖い」という印象で中国をくくることは大間違いであるが、今回交流した親日的な人々のイメージだけで中国はよい国だと判断することも間違っていると思う。私が中国をどう判断するにしても実体験が足りないのだ。北京のスーパーマーケットでの買い物のような、中国での暮らしが体感できる体験をもっとしたい。だから、今度は個人的に訪中してもっと素の中国に触れよう!…と思ってしまうから、今回の訪中は中国への扉を開いてくれたのだろう。

「だけど、中国は美しい国です。残りの日も中国を楽しんでください」。中国を怖いと思うのは歴史的背景が原因だと述べた後、上海理工大学の彼はこう続けた。私は、彼が中国を美しい国だと言い切ったことに感動した。日中間の複雑な過去を直接経験していない私たち若者が、過去のことを忘れて仲良くしたって、真の日中友好は果たされないだろう。彼のように自国に対して誇りを持ち、日中間のわだかまりを正視し、それを背負ったうえで、中国への扉を叩きたい。


中国旅⾏についての随想

1 週間の⻑く短い中国への旅が終わった今、⾃分の中で変わったものと変わらなかったものがある。中国という⾔葉で表される地域や、そこで⽣活を送る中国⼈と呼ばれる⼈たちについて、解像度が少し上がったと感じられるのは⼤きな変化だと思う。

上海の⾼速道路を⾛るバスの窓から⾒た初めての中国の景⾊は、コピーとペーストを繰り返したように延々と続く無機質なマンション、本当にその形にする必要があったのか分からない⾼層ビルやタワー、そしてそれらを今まさに殖やしている剥き出しの建設現場たちであった。開発の進む⼤国とはこのことを⾔っていたのだなと、教科書やニュースで得た知識に⽣の体験が加わるのを感じた気がした。

旅程の多くを占めることとなった北京では、現地のコンビニやスーパーを物⾊する機会を得た。⽬当ての商品の在処を近くの店員に尋ねたとき、或いはレジで軽い決済トラブルが起こった(問題を完全に理解する前に何となく解決した)際、中国語の喋れない⾃分が拙い英語でコミュニケーションを試みると、諦めたように⾸を横に振ったのち中国語で強⾏突破されそうになった。最近中国に⾏っていた友達から案外英語が通じないという話を聞いてはいたものの、⾸都の⼩売店でも英語が通じなかったこと、⽇本では割とよく⾒かける英語ができなくて申し訳ないという素ぶりが全くなかった(そのような様⼦を⾒せるべきだと⾔いたい訳ではない)ことが、とても興味深く印象に残っている。あまり変わらなかった、もしくは改めて確認できたような感覚になったものもある。現地の⼈たちと⼀定以上の意思疎通ができた際に抱いた、彼らに対するイメージである。上海理⼯⼤学で交流した学⽣の、⽇本語を勉強する傍ら⽇本のお笑いを楽しんでいるというエピソードを聞いたとき、また中国⼈⺠抗⽇戦争記念館で案内をしてくれた⽅の、中国共産党の歴史観に⽴っているであろう解説を聞いたとき、そして北京を案内してくれたガイドさんが⾒せてくれた、旅⾏先で親や⼦どもと撮った家族写真を⾒たとき、ぼんやりと、やっぱりそうだよなという感じを受けた。何が良い悪いなどの話ではなく、擦られた表現をあえて使うならば、同じ⼈間であるのを感じた。〇〇⼈という括りは、彼らを理解するにあたって便利な⼟台にも、邪魔なバイアスにもなりうるということなのだろうと思う。

このような感想を抱くことになった理由を考えたとき、いくつか仮説が浮かんだ。結局のところ⼈は皆分かり合える、というのは少し能天気すぎるかもしれない。逆に、会話できた時間の短さや⾮ネイティブによる⾔語使⽤がコミュニケーションを制限し、互いの嫌な部分が伝わりづらくなったとも考えられる。そして何よりも、今回の旅では、⽇中友好を掲げる⽇本中国友好協会主催の訪中団だから当然であるが、中国の綺麗なところや⽇本に好意的な中国⼈に接する機会が圧倒的に多かったことが挙げられよう。急な旅程変更を始めとして、学⽣の安全に最⼤の配慮をしてくださった訪中団関係者の⽅々に感謝した上で、次のステップとして、⾃分の責任で中国を訪れる必要性も感じた。