8月、約1年間の中国留学を終え、日本へ戻る日が近づいている。上海の蒸し暑い夏の空気を吸いながら、私はこの一年で得たものを一つずつ思い返していた。語学の習得や学業上の成果はもちろんある。しかし、それ以上に心に刻まれたのは、人との出会いと、自分自身のルーツに対する理解の深まりだった。
私の家族の歴史は、日中関係の歩みと深く重なっている。曾祖母は戦後、中国東北部に取り残された日本人「残留孤児」の一人だった。幼い頃、家族からその話を聞くことはほとんどなかったが、年齢を重ねるにつれ、その事実が自分のアイデンティティに影を落とすようになった。日本で生まれ育ちながらも、中国との血のつながりを持つ私にとって、両国の関係は他人事ではない。二つの国の歴史的な距離と人々の感情の間で揺れる感覚は、物心ついた時からずっと私の中にあった。
だからこそ、今回の留学は単なる語学研修以上の意味を持っていた。復旦大学での授業では、中国語を学び、中国社会の変化や課題を客観的に理解しようと努めた。教室の外では、上海の摩天楼や欧風建築が並ぶ外灘、路地裏の庶民的な市場や下町の暮らしまで、この国の多層的な姿を全身で感じた。地方への旅行では、経済発展の波がまだ十分に届かない地域の現実にも触れ、日本での生活が当たり前だと思っていた価値観を揺さぶられた。
特に印象的だったのは、留学生仲間や中国人学生の前で中国残留日本人について発表したことだ。中国では日本以上に満蒙開拓団や残留孤児について知っている人がほとんどいない。日本だけではなく、中国の学生や留学生にも開拓団や残留日本人を知ってもらう場を創出できたのは意義のあることだった。
留学生活を通じて実感したのは、日中関係の改善や発展は、政府間の協議や経済取引だけでなく、人と人との小さな交流から始まるということだ。政治的な緊張がニュースで取り上げられる中でも、目の前の人との信頼関係は築くことができる。そこから互いの国への理解が広がっていく。その積み重ねこそが、長期的な関係改善の基盤になる。
私は日本で育ちながらも、中国での生活経験や中国語の習得を通じて、二つの国の間に立つ自分の存在価値を実感した。この一年間は、自分のルーツを再確認し、同時にそれを将来のキャリアや生き方にどう活かすかを考える時間でもあった。大学時代から取り組んできた日中学生交流活動や、日本における残留孤児問題の発信も、この経験によって方向性がより明確になった。
これからの私は、経済やビジネスの分野で日中の橋渡し役を担いたい。例えば、貿易やインフラ、エネルギー分野など、両国の協力が不可欠な領域で、人と人、企業と企業をつなぎ、信頼を築いていく仕事だ。単なる利益の追求ではなく、互いの文化や背景への理解を基盤とした関係構築を目指したい。それは私自身の家族の歴史への敬意であり、次の世代に託すべき役割でもある。
上海では浦東の高層ビル群と、外灘の歴史的建築が同じ景色の中で共存している。その姿は、異なる背景を持つものが共に存在し、新しい価値を生み出している象徴のように見えた。私もまた、日本と中国という二つの世界の間で生き、その間に新しい道を切り拓く存在になりたい。