このレポートを書いている本日2月28日は、昨年8月28日に北京に渡航してからちょうど半年の節目でもあります。あの日の朝、緊張と期待を胸に始発で羽田空港に向かい、残暑の照り付ける中で大荷物を抱え北京語言大学の門をくぐった記憶が鮮明に思い出されます。新学期を3日後に控え正門には半年前に自分を出迎えてくれたように歓迎の横断幕やサインボードが並んでおり、新たに到着した学生を迎え入れ、或いはこの学期で帰る学生を送り出し、無常な出会いと別れの場であるキャンパスを演出しています。
この半年を通して、我々が高額な奨学金を貰い続けている意味を考えるようになりました。我々は公費生として中国政府から毎月3000元の生活費を給付され、加えて授業料と寮費を完全に免除されています。自費であれば一日120元の寮ですから、授業料、生活費も加えると日本円にして私立大学一年分の学費に相当する金額になります。北京の日雇い労働者の日給が300元である事を考えると、特権的な価格と言えます。
逆に言えば日本政府から奨学金を給付されている中国人留学生も数多く日本にいます。留学生に限らず就労者も近年は急増しており、在日中国人の総数は2026年を目途に100万人を突破すると見積もられています。ここ数ヶ月そうした状態を批判する報道や投稿も散見されるようになり、特に物価高騰に苦しむ日本国内で、ある意味特権的に高額な奨学金を貰い続けている留学生に対する批判を目にするようになりました。SNS上の情報は少なからず中立性を欠いているものもありますが、自分の生活が苦しい中で国内に暮らす外国人の数が急増し尚且つ自分よりいい条件を享受していれば、不満を抱くというのは当然の感覚と言えるでしょう。経済が閉塞している中国の人々が我々の事を知れば、やはり批判的な印象を抱くでしょう。
つい先日、「逆行人生」という昨年夏に公開された中国映画を観ました。不景気の中でリストラを受けた主人公が外卖のデリバリードライバーとして第二の人生を奮闘していく物語ですが、大学の宿舎に配達に行くシーンで(演出とはいえ)自分より遥かに年下の学生に邪険に扱われるシーンが非常に印象に残りました。我々の宿舎でも私を含め多くの生徒が毎晩外卖を頼んでいますが、中国の資金で留学に来ている事を考えると後ろめたさを感じます。こうした背景を鑑みれば、我々は懸命に勉強に取り組まなくてはならないの当然として、その上でこの厚遇を両国の友好に還元しなくてはなりません。しかし、友好とは果たして何を指すのでしょうか。
来月から日本に留学に行く仲の良い現地学生の友人に先日、「日本は好きだが、僕は中国人としてアメリカの原爆投下を絶対に支持する」と言われました。この発言の是非はここでは触れませんが(もちろん、そういった発言は決してするべきでないと厳しく嗜めましたが)、人間関係を構築しても尚これだけ理解し合えない部分があるという点に大きな衝撃を受け、渡航数か月目にして留学の洗礼を受けた気分でした。
この発言が、私の中で“友好”という言葉の在り方を考える契機になったのは事実です。「価値観の違いを受け止めつつ一致点を探す」というのが異文化交流の最も一般的な(或いは教科書的な)解釈だと思います。私自身、渡航前は多くの理解の相違に直面するだろうと覚悟してましたし、その上で一年間の生活を通して自分なりの“落としどころ”を見つけたいと考えていました。それが留学の一つの“理想像”だと思います。しかしながら、根本的な感覚というのはそもそも譲れないというのが国際交流の実際です。彼との例に限らず、身の回りの友人を例に取っても、ルームメイトと感覚の違いに耐えられず部屋を変えたなどという話は何度も耳にしました。
もちろんこれを単に綺麗事と片付けるのは余りに短絡的でしょう。本来交わらなくても生活できる様々な国の人間が自ら望んで一堂に会しているのですから、そもそも留学とは綺麗事に挑んでいかなければならないものです。そうした中で、“理想像”を追求するあまり本来譲るべきでない価値観まで譲ってしまう事を友好だと履き違えてはいけない。最近はそう考えています。
我々の留学は折り返しも超え、既に残すところ4ヶ月しかありません。その短い期間で結論を出す事は恐らく出来ないでしょうし、帰国後も長い時間を掛け考え続けなくてはいけません。ただ、考え続けるという事こそ重要なのかと感じています。“理想像”的な留学であれば帰国時に明確な回答を手にしている事が望ましいですが、現実は複雑です。折しも日中双方のビザ規制が緩和され、中国人の観光公害が日本の社会問題ともなっている今、私が中国に留学に来ているというのも何かの縁かもしれません。残りの4ヶ月、そして帰国後も、分かり合えずとも考える姿勢を捨てずに向き合い続けたいと思います。