私は寮の仲間たちと外に出かけるのが楽しみだった。メンバーは、中国人学生だけでなく、ヨーロッパやアジア各国から来た留学生も含めて十人前後。韓国、ベトナム、フランス、ブルガリア、ドイツ…出身地はバラバラだが、気づけば自然に集まり、何かしら一緒に過ごすのが習慣になっていた。
初めてみんなで出かけた日は、夕方から外灘を散策し、その後は田子坊の路地裏にある小さなバーに入った。ライトアップされた浦東の高層ビル群を背景に、誰かが写真を撮ろうと言い出し、互いにスマホを手渡しながら笑い合った。英語、中国語、日本語が入り混じり、時には意味が通じなくて身振り手振りになるが、それすらも楽しい時間だった。
別の日には、中国人の友人が「本場の火鍋を食べてみてほしい」と連れて行ってくれた。テーブルの中央でぐつぐつ煮える赤いスープからは、山椒の香りが立ち上り、辛さに耐えられず汗をかきながらも、箸が止まらない。韓国人の友人は辛さに強く、涼しい顔で追加の唐辛子を入れていたのが印象的だった。食事の途中で、中国語のスラングを教えてもらい、代わりに日本語の面白い表現を紹介した。お互いに発音を真似しては爆笑し、辛さも忘れてしまうほどだった。
文化や価値観の違いを強く感じたのは、休日に行ったカラオケだ。中国人学生は歌う曲をスマホで事前にリスト化していて、次々と歌いこなす。一方、ヨーロッパ出身の友人たちは知らない曲でも即興でハモりに参加する。日本のカラオケ文化を紹介すると、意外にも興味津々で、「今度は日本語の曲を覚えてきて」と言われた。こうした何気ない遊びの中で、互いの国の文化や習慣が自然に共有されていった。
こうした交流の中で気づいたのは、「日中友好」というと、公式な会議やイベントを思い浮かべがちだが、実際にはこうした日常の時間こそが最も関係を近づけるということだ。食事を共にし、冗談を言い合い、互いの違いを笑い飛ばす。そこに国籍や言語の壁はほとんど存在しない。むしろ、違うからこそ面白いという感覚が、友情をより深めてくれる。
また、中国人学生と直接過ごすことで、中国の若者の価値観や生活感覚を肌で感じられた。将来への不安や期待、家族との関係、仕事選びの基準など、日本の同世代と共通する部分も多い。一方で、社会の競争の激しさや家族からの期待の重さなど、中国特有の背景も垣間見えた。それを直接聞けたのは、机上の勉強だけでは得られない貴重な経験だった。
7月の終わり、留学も残りわずかとなったころ、私たちは寮の共有スペースで「お別れパーティー」を開いた。各自が自国の料理やお菓子を持ち寄った。「また会おう」と言葉を交わしたとき、国籍や言葉の違いを超えた絆がそこにあると感じた。これもまた、私なりの日中友好活動だったと思う。

中国人の学生四人、日本人二人で北朝鮮レストランに行きました

クラスの友人たちと日本語の曲を歌いました