「中国で流行っていること、自身の関心のあること~上海City Walk~」齋藤あおい(華東理工大学)

マンスリーレポートのお題一覧をざっと見たとき、なんとなく11月は難航する気がしていた。今まさに流行していることを掴んで書くというのは、一事が万事スローテンポな私にとって大変なことのように思えた。スラムダンク、メイリアさん、陳情令、上野千鶴子氏(の中国での受け入れられ方)……やっとキャッチアップできたものの、2023年11月の話題として扱うにはちょっと遅い気がするのである。

City Walk

そんなことをぐだぐだと考えるうちに月末になってしまった。そしてレポートの締め切り日である11月30日、私は「City Walk」なるものに参加した。大众点评や小红书には、よく「○○City Walk」という見出しの記事がある。この言い方はずっと流行っているようで、たとえば「上海City Walk」なら、上海のおしゃれなストリートを紹介するショート動画が見られる。

今回私が参加させてもらったのは、「北京西路」の上海の歴史を紐解きながら練り歩くシティウォークだ。南京東路や南京西路ではなく、北京西路。正直ぴんとこない、だからこそすごく興味を持った。北京西路は静安寺や久光百貨店の裏手にある愚園路からさらに北にある通りであり、その先は黄浦区へと続いている。落ち着いた雰囲気の街並みで、「上海優秀歴史建築」に認定された建物がいくつかある。

北京西路、上海の秋はきれい

日本語で丁寧に説明してくれるガイドさんのもと、築110年(!)にもなる、今もなお人が住んでいる老房子に立ち寄りながら解説を聞いた。イギリス・アメリカの共同租界地、フランスの疎開地の成り立ち。1870年代にはもっと北にある虹口に日本人が居住し始めたこと、でも老板のようなお金持ちはフランス租界に住んでいたこと。いずれも興味深い。当時の上海市内において田舎とみなされていたエリア、逆に居を構えることで格の高さを見せつけることができたエリアとが、今の上海しか知らない私の感覚とずれていたので驚いた。上海出身の方の語りを聞くとき、私が上海人のもつアーバンとローカルの感覚を分かっていないせいで話に水を差している気がしていたので、こういうディテールが重要なのだろうなと思った。

さて、今回のシティウォーク、私は「有名な上海裏社会のドンに重用されていた人の住居」という煽り文句に惹かれていた。やくざの家(上海優秀歴史建築)、気になりすぎる。1910年に建てられた花園洋房は、ダンスホールもあるような西洋風建築である。

玄関、階段

設計図を買い取ったものの実際に施行したのは中国人の大工さんなので、ところどころ中国テイストらしい。それにはなんだかほっこりした。ハイソなデザインに寄せていこうとしたときに取り入れられる中国モチーフは独特でかわいい。

手すりの唐獅子

この重要そうな建築物には、主がいなくなってからは一般の人たち(ご高齢の方)が長く住まわれているという。同じ時期の建物で、部屋の壁を壊して居住空間を拡張し、赤の他人同士の10世帯で住んでいるという話も聞いた。スペースは貴重なので、屋敷のダンスホールも当然なくなっている。そういった話は少し切ないが味わい深くもある。

同屋敷で、地位の高さは部屋のドアの高さに比例すると説明された。見上げた先には、天井に届くほど高いドアと、その出っ張りを利用して引っ掛けられた洗濯竿があった。私は力が抜けた。使えるものは使う。当時の大物の見栄など、現代を生きる人には関係ない。

干された洗濯物

笑いの沸点を一気に超えてきたが、こらえた。しかし次に行った建物で、「こちらの住居には、本当のお金持ち、本当の文化人たちが住んでいました」と聞いた瞬間、私はついに噴き出してしまった。ガイドさんに他意はないだろうが、なかなかしっかりと煽っているのである。さっきは一言もセンスが良いといった賛辞が出てこなかった。ダンスホールを作ったくらいでは、だめなのか。「彼は良い趣味していました」と素直にガイドしてもらえないほど、すぐ近所に本物の文化人がいたというのか。館の主(やくざ)へのいたたまれなさで胸がいっぱいになった。これがディスタンクシオン、なんて冷酷なのだろう。上海でイケていると認定してもらうのは、これほどまでに難しい。心して上海という街に向き合わねばと決意を新たにした。