「ここから」 木村水映(北京外国語大学)

北京外国語大学での生活が早くも1ヶ月を過ぎようとしている。
目に映るもの全てが新鮮で、毎日が驚きの連続。
学びと戸惑い、そして挫折も多きこの1ヶ月は、この目でこの耳で、確実に自らの成長を実感できる日々だった。
北京外国語大学は、多くの留学生を擁する大学である。
私もこの1ヶ月だけで、韓国、ロシア、ウズベキスタン、アルゼンチン、コスタリカ、タジキスタン、ハンガリー、ベルギー、インドネシアから留学する大変優秀な仲間たちに巡り逢えた。それぞれが全く異なる背景を持ちながら、同じ中国語を学ぶ環境に大きな感動を覚えた。
特に驚いたのは、多くの留学生が漢字文化圏以外の出身にも関わらず、漢字に関する膨大な知識を備えていたことだ。単純な漢字から複雑な漢字まで自由自在に操ることができるのはもちろん、部首や旁の意味、一文字一文字の成り立ちまで学んでいると知った時は驚きを隠せなかった。意欲に燃えながらひたむきに中国語を学ぶ仲間の姿が、大きな刺激と原動力になっていることは言うまでもない。

毎日のように通い詰める北京外国語大学図書館

所属学部・中文学院の一階ホール

中文学院ホールの階段傍に刻まれる「上善若水」。 他でもない自分の名前の由来となった字句が刻まれているのを初めて目にした時は、縁を感じずにはいられなかった。視界に入る度、老子に見守られているような心地がして自然と身が引き締まる。

初月から様々な場所に足を運んだが、関心事である「水」との結びつきが特に深かったのはやはり什刹海(じゅうさつかい)だろう。故宮の北西に位置するここの正体は、西海・後海・前海の3つからなる湖である。元の時代には、北京の水源であるとともに、江南から運ばれた食糧・雑貨が集まる埠頭として機能していたという。ライブのあるバーや雑貨店が立ち並び、大変賑やかな印象を受けた。北京の経済発展を見守ってきた湖面を眺めていると、かつてここに居を構えていた皇族や埠頭で働く人々の息遣いが感じられるようだった。

クラスメイトと一緒に訪れた什刹海。漢詩を思わせる空と湖の対比が美しい。

恩師を尋ねて北京大学へ

最後に、どうしても書き残しておきたい出来事がある。個人的な事情であることは承知の上、留学の記録としてこの場をお借りすることをお許し願いたい。

先日、叔父が亡くなった。
間違いなく、私の人生で最も辛い出来事だった。
最愛の家族の死を受け入れることができず、勉強が手につかなくなってしまった時もあった。叔父のそばにいられない事、そして、家族と悲しみを分かち合う空間を共にできないことを、辛く、悲しく感じた。胸の奥の奥が、全身の関節が、どうしようもできないほど痛かった。
次から次へと、浮かんでは消えていった。
他愛もない話をしながら食事を共にした時間が。
一緒にテレビを見ていた時間が。
一緒にバドミントンを、オセロをしていた時間が。
楽しい思い出しかないはずなのに、思い出すと涙が溢れて止まらないのはなぜだろう。
過去へ戻りたいとどれほど強く願っても、時間は絶対に巻き戻せない。
この痛く、苦しく、しかし揺るぎない現実を、改めて突きつけられた。
もっと叔父の話を聞きたかった。
もっと叔父に話をしたかった。
「大好き」と目を見て伝えたかった。
悔やめど悔やめど、もう叶わない。
喪失によりぽっかり空いた後悔という名の穴は、何を以っても埋められない。
人と人とが出会う時、そこには必ず奇跡が宿っている。
今の私はこう考えている。
照れくさいという一時の恥は、いつか取り返しのつかない後悔に変わることを知った。
自分の意見を思い切って周囲に伝えること。自らの成長のために、勇気を振り絞ってほんの少しだけ背伸びをして挑戦をしてみること。
そして、直接伝えられるうちに、愛と感謝を伝えること。
もう恥ずかしがってはいられない。