「これから留学する人達へ」森下雅洋(北京語言大学)

レポートを作成するのも最後となった。やっと「テーマ」に沿ったレポートを提出できそうだ。私が留学を志す人達へ送りたい話は2点である。

1点目、日本を知る事の絶対的必要性だ。中国に留学に行く際、必ず体験する事がある。それは学生、街中の一般人、日本人と、必ず「日本に関して語る時」が来ると言う事だ。

中国人はその政治構造上、自国を含め、近隣諸国の軍事、政治的な教育を我々より触れる機会が遥かに多い、友人同士で話題に出すことも多いのだ。また正当性を信じる事、アピールする事を「無意識」に会得している。また、日本人との「会話の仕方」を心得ていない。日本人は日本人同士でも、友人同士でも政治的な話題を出すのはリスクが伴う。考えて見れば、我々中国という文化の「真」の物に触れていない日本人も中国人との「会話の仕方」を知りえないので当たり前の事だ。

「刷り込まれている」「アピール」が「無意識」に行われる。この3点が加わる事で、彼らは我々に悪気もなく(もちろんある場合もある)政治的な話題を話してくる。そんな場面が必ず訪れる。その際に頭の片隅にでも、日本の政治、歴史の知識を入れて置かないと受け流す返答すらできなければ、真に受け止めてしまいダメージを追ってしまう。また、カルチャーに関してもそうだ。我々日本人に関わってくる中国人(外国人留学生)は好意があろうが、悪気があろうが日本の何かに興味があり、調べ、好きで、何かを伝えたくて、確認がしたくて話しかけてくる。その際にアニメ、ドラマ、スター、文化でも何でもいいが、自国に深い愛があり伝えられれば、彼らは満足気にコミュニケーションを取ってくれる。また、簡単に日本の良さをアピールし、共有する事ができる。私はカルチャー面で、それができなかったのが今回の留学の一番の後悔だ。

2点目、対比する事だ。我々は様々な背景があろうが「日本人」である。日本に生まれ、日本に育ち、母国語は日本語である。中国に自ら足を運び長期間滞在する事を決意できた留学生は必ず何かの理由がある。勿論、「中国語の勉強がしたい。」「中国が好きだ。」という素晴らしい夢があるかもしれない。ただ、好きだけでは、現在の日本での生活や友人、家族関係を長時間放棄し――。という選択を中々選べる事はない。我々は「何か」を得る為に異国に長期滞在する事を決断することができたのである。

そもそも日本が好きで幸せに暮らしているのであれば、日本で暮らし続ければ、我々日本人は十分幸せな人生を送れるはずだ。わざわざ外国に行く必要なんかない。しかしそうではない。1人の同期は「純血の日本人でありながら、日本の文化が堅苦しく、息苦しく生きづらい。」と考えていると訴えてきた。私は純血ではないがやはり、同じような考えを持ち合わせていた。私も含め、やはり息苦しかったということに気づき共有できるということは、実際に中国で長期間生活しないと得る事ができない。日本と中国の対比の結果だ。対比し、やはり日本が好きだったでもいい。日本と相手国の何某を対比すると言う事、自らの考えを再確認する事は現地留学でしかすることができない貴重な体験だ。

単純に「好き」という興味や「就活に生かす為」の箔をつけるための留学は意味をなさない場合が多い。簡単に崩れ、剥がれてしまい、留学中に心が折れてしまう。それほど甘くない。

まず日本を理解する。日本さえ分からない人に外国は分からない。母国語の語彙の土台が無いのに中国語の語彙は上に乗らない、上達しないと言う事と一緒である。異文化と自国文化を対比する事によって、俯瞰性、客観性をもって理解し、伝える。このような力が無ければ、一時の対中、対日感情のブレに簡単に左右され、これから受け持つ日中友好人士としての使命を果たせない。その力を養うのが留学の目指すべき目的であって、ただ中国で時を過ごすというのは、時間と金と日本での幸せで貴重な時間の浪費である。

過去のレポートでも書いたが、留学にあるのは夢でも希望でもなく現実であり、我々は少なからず中国の「紅外線」を浴びることとなる。その中国に留学をするという一般人ではそうそうできない選択肢が出来た諸君は、日本に暮らし一生を終える日本人と違う、自らが持ち合わせている「特異性」「力の強さ」「挑戦性」を自覚し、自らを褒めたたえ、存分にその力を発揮し、昇華させてほしいと願っている。

帰国日

帰国日、北京首都空港にて

文化祭にて