「留学の終わり」岡崎葉生(北京大学)

7月には授業はもうなく、帰国日までは完全に自由だったので(寮の退出日は15日と決まっていましたが、延長できるようです)どうやって過ごそうと考えた結果、北京でまだ行っていない場所を巡ってみることにしました。しかし、7月の北京は毎日が猛暑日で、最高気温38度という日も珍しくありませんでした。暑さで日中行動するのはなかなかつらい上に、夏休みシーズンであるため、中国各地から北京へ観光客が山のように押し寄せて来ていて、有名な場所はどこも人だらけという状態でした。

そして、帰国する前に留学中に仲良くさせてもらっていた人たちと会うことが何度かありました。不思議だったのは、お別れのはずなのに悲しい気持ちがあまりなかったことです。というのも、私は今まで行った短期留学などでの帰りの飛行機の座席では、もう2度と会わないかもと考えて悲しくなってしまうタイプだったので、一年近くの留学の別れの時はいかほどかとドキドキしていました。

全然悲しくないというのは自分でも驚きましたが、今回の留学を通して自分一人で行きたい場所に行くという経験をたくさん積んだことで、また会いたければ自分で会いに行けるだろうという不思議な自信を得ることができたのだと思います。また、実際に会わなくてもネットを通じて連絡を取ることができるので物理的な距離はもはや障壁ではないのかもしれません。

ただ、帰国前には物理的な距離を痛感する出来事もありました。7月の中旬からは新疆ウイグル自治区のカシュガルへ旅行に行きました。北京から飛行機で乗り継ぎも含めて1日ほどかかる中国の最西部とも言える地域です。カシュガルに到着して地図アプリで世界地図を見てみると日本は遥か遠く、むしろ中東やヨーロッパの国々が近いことが分かり、中国の国土面積の大きさと地球の小ささに慄きました。(その時ちょうどどこからかディズニーのIt’s a Small Worldの曲が流れていました)

しかし、旅程の途中で食中毒になってしまってからはカシュガルから日本への距離の遠さが否応なしに突き刺さりました。そもそもの計画ではカシュガルから北京へ飛行機で戻った次の日には日本へ帰国する予定でした。しかし出発日前日になっても体調が良くならなかったので、病院で点滴を打ってもらいながら(一緒にカシュガルに行った友人が薬を買って来たり病院に付き添ってくれて本当にありがたかったです)泣く泣く一日遅い北京行きの飛行機のチケットを購入しました。

幸いなことに病院の点滴によって体調はかなり回復したので、1日遅れでカシュガルを出発することができたのですが、なんとその飛行機が遅延。乗り継ぎ地であるウルムチについた時には、乗るはずだった北京行きの飛行機がもう飛び立ってしまった後でした。慌てて航空会社のカウンターに駆け込み、そのことを伝えると振替便のチケットを用意してもらえたものの、今からでは一番早い便に乗っても、翌日の日本へ帰る便の出発時間に間に合わないことが分かりました。そのため大慌てで日本行きの飛行機チケットも再手配する羽目になりました。(チケットアプリの担当者との電話でうまく説明できない私の代わりに南方航空のスタッフが事情を説明し手配を手伝ってくれたので本当にありがたかったです。)

結果的に元の予定から二日ほどずれてしまったもののなんとか日本に帰国できました。今回の旅から学んだ教訓は、

・夜市の肉には注意する

・乗り継ぎの場合は、同じ航空会社のチケットを取る

・乗り継ぎの時間に余裕を持つ

・困ったら周りの人もしくは空港のスタッフに助けを求める

です。

色々と残念な留学の終わり方になってしまったのですが、飛行機の便が変わったことで北京での待機時間が伸び、最後の最後にまた北京大学まで行くことができました。食堂で胃に優しい具材だけが入った麻辣烫を食べながら、次にここに来ることができるのは何年後になるだろうと考えていると、そばにいた学生達が「明天见!」と言い合っているのが聞こえて来ました。