「夢や希望を捨て、現実との戦いに備えよ」森下 雅洋(北京語言大学)

留学には夢も希望もない、あるのは現実である。

S大学の後輩学生A君はコロナの影響で長期間のオンライン授業を経験、オンライン上での大学の言語パートナーの同い年の中国人女性と長期の遠距離恋愛をし、2月の渡航で中国での対面を果たした。彼は私に「彼女とは結婚を考えているが、彼女は「愛国教育」の最もたる影響を受けており憂慮している。価値観上の細かくも確固たる違いが存在している。」と語ってくれた。

私の母親は上海出身であり、日本在住三十数年である。勿論、母親は自分の出生、親族には感謝しており、中国滞在中も「楽しんでいる」様子であるが、日本で目にする中国関連のニュース、または訪中、帰省時に中国での様々な「事象」を垣間見る度に「中国のこういうところがストレス。」「仮にも中国との縁が全く無くなれば、私は日本で暮らしていく。思い残すことはない。」と語る。つまり中国が「苦手」なのである。

かくいう私は日本生まれ日本育ち、大学に入るまで中国語も喋れず、母親が作る中国家庭料理を日本の家庭料理だと思っていた程の「日本人」であった。大学に入り、計10か月の中国留学を経験、更に2年の会社員経験、2年の待機、今回の語言大留学で、自分の「答え合わせ」が完了した。自分は母とは逆の事を思い、語る。つまり日本が「苦手」なのである。

留学(異国での長期滞在)は、我々に現実をこれでもかと見せつける。夢にまで見た中国渡航で自らの語学力、見聞した知識の浅はかさを知る。ある人には愛の形、ある人には出生地の現実、そして私には、自らの精神面、体調面の好転を見せつけてきた。(日本で崩していた体調は中国で軽快した。)暮らしているが故、自らまたは子息の志、仕事、血縁、友情や愛情等の原因で、一方的に否定できず、容認しなければならない、だが、自分では相容れない部分が確実に存在する。母親は自らの出生を否定できないし、私自身も出生を否定できない、だが、現実的に自らの国家が苦手なのである。このカオスを垣間見る、踏み入れる、入り込むのが留学なのである。

我々の奨学金生レポートを拝見いただき、留学の参考にしている方も多いと聞く。私は、以下の文章を以て、現在留学中の学生、これから中国を志す学生諸君への応援としたい。

留学は自らの人生を、確実に、絶対的に変化させる岐路である。留学という選択肢が自らに既に存在しているということ、更に選択し、実行に移した時点で、並大抵の所業ではないということは自ら認めるべきであって、偉大な自らへの挑戦だ。そして今後待ち受ける現実は「残酷」だ。留学を経て、二国間の画一的、絶対的な違いという現実と、それを容認、否認に至るまで残酷な対比選択、それを自らの天秤で伝えていくという使命を担う。という事を肝に銘じるべきである。

 

Ps.題名は毛沢東の名言「丢掉幻想,准备斗争」の一部引用一部改変である。