「友好とは何なのだろう」森下雅洋(北京語言大学)

友好とは何なのだろう。

 

1月中旬から3月にかけて、改めて中国理解、友好とは何なのだろう。と自問自答する日々が増えた。理由はいくつかある。1つ目は語言大で交流する中国人や外国人らとの交流、2つ目は語言大に在籍中の別団体、別方法で留学に来ている同じ母語を持つ人(あえてこう書かせていただく)との交流、3つ目は北京外国語大学に留学しているK君の存在によるものだ。

K君の存在は衝撃的だった。まさにこのような人が将来の対中(共産圏)の様々な概念、知識の理解者であり教授者になるのであろう豊富で深い知識量、そして飽くなき「紅色」への探求心は共に行動した中で私に大きな影響を与えている。

彼とは、ネット上で既に幾何かの会話をし、お互いの素性は知っていた。初対面の会話は「21年に開館した中国共産党歴史展覧館に行った後、北京望京にある、北朝鮮国営レストラン「玉流館」で食事をしましょう」だった。展覧館内部の規模、物量、情報量すべてが規格外。彼のガイドを聞き、興奮を共有していると、4時間程度だった制限時間はあっという間に過ぎ、残り5分の2を見れずに退館した。その後は玉流館での食事だが、衝撃的だった。「そうか、これが「あの国」なのか」と感激し、まるでお化け屋敷に入るかのような興奮を覚える一方、言葉で表現できない何か紅黒い感情がむくむくと沸き上がり、蠢いていた。彼と北朝鮮と国境、遼寧省丹東旅行にも行った。目の前に広がる北朝鮮の国境都市、鴨緑江を挟み中朝友誼橋で結ぶ対岸の北朝鮮国境都市新義州市。彼に色々と質問しながら要所を回る。魅力、そして孕む危険性、「存在する」という事実。K君は好事家とはいえど、夢にまで見た初訪問の国境、私はつい先日やっと触れただけ、お互いの意味するところの「無言」の意味は180度違うが、対岸に動く「世界」を見た我々が共有した「無言」は何よりも印象的だった。

K君との出会いを含めた様々な訪中在中人士達の、その経歴、考え、意見、知識等、その研ぎ澄まされた刃物で刺されると、刺し傷はむしろ綺麗すぎて血を流さないのである。紙で突然指を切った時のようなあの感覚である。ただ刺されたという事実が存在している。目視できないものである。あくまで「同じ領域(議論の場)」に達し刃を交えたもの、刺されたものにしか体験し得ない衝撃と傷である。「紅黒い感情」「無言」「刺し傷はきれいすぎて血を流さない」など抽象的な言葉でしか表現できない困惑した感情がここ数か月渦巻いているが故に、この経験の結論をまとめる術がないのが事実である。(一言でいえばただの語彙不足であるが。)

「知之为知之,不知为不知,是知也」は知的謙虚を説く孔子の言葉である。今更この言葉に感銘を受けるのも甚だ恥ずかしいが、知的謙虚という言葉の重さを知る。大っぴらに我々国際人材が語ってしまう「友好」という単語、垂大使の「主張すべきことはしっかりと主張する」の言葉、様々な中国関連のキーワードの重みを改めて知り、気軽に表現できない物だなと考えさせされ、では何で表現すればいいのだろうと、さらに悩んでいく日々である。

永遠と変容し続けている「友好」の意味合いは、その時折の当人同士の様々な要因によって生み出される「一時の回答」なのであって、正解はない。広義的な友好に関連する矛盾は、まるでモグラたたきのようなもので、叩けば新しい問題点が噴出し、叩けば・・・。と続いていく、しかしものモグラたたきこそが「友好」その物であって、モグラを取り除いてしまえば、それは「モグラたたき」ではなくなってしまう。一見すれば、「叩き」であってこの矛盾こそが問題なのではないかと思われがちだが、そうではない。これこそが本質なのであって、ルールが分からなければ遊べないし、叩かなければゲームではない(もちろん国際関係はゲームでは語れない)、加減が分からず壊してしまえばそれはただの暴力だ。一定数の人間性や理解力がありこのモグラたたきを正しく理解し遊ぶことができる。この答えがあるようでない問題の噴出や矛盾から目を背けることはするべきでなく、直視しつづけ、お互いに矛と盾を持ち対話を続け、切磋琢磨しあう気概、そしてそれを理解する国民性の養成こそが真の「友好」につながるのではないかそう思うのである。

丹東

郊外から望む

北朝鮮

北京の若者間で流行中らしい鼓楼

鸭绿江断桥