各地の日中交流ニュース

2026年1月1日号 /

鹿児島市日中友好協会創立40周年・鹿児島県日中友好協会創立20周年
記念式典に200名が出席

鹿児島県日中友好協会
鹿児島県鹿児島市日中友好協会

鹿児島市日中友好協会40周年・県日中友好協会20周年の記念式典が2025年11月3日(祝)に鹿児島市のカクイックス交流センターにて、午後1時から開催されました。

来賓として、中国側からは中華人民共和国駐日本国特命全権大使・呉江浩閣下、駐福岡総領事・楊慶東様ほかが、日本側からは公益社団法人日本中国友好協会会長・宇都宮徳一郎様、同副会長・森山沾一様、日中友好議員連盟会長衆議院議員・森山裕様、地元鹿児島からは、公明党参議院議員・窪田哲也様、鹿児島県知事・塩田康一様、鹿児島市長・下鶴隆央様が列席されました。

残念ながら、この記念式典の開催をいちばん心待ちにしておられた海江田順三郎名誉会長が去る2025年5月5日に逝去され、出席がかなわなかったことが悔やまれます。式典の冒頭、97歳で亡くなられた海江田氏に黙とうを捧げて在りし日を偲びました。

式典は、鹿児島に暮らす多くの中国人(留学生も含め)を含め200名ほどの出席者で行われました。

各来賓のご挨拶の後、休憩を挟んで本日のメイン、呉江浩駐日大使の講演会が行われました。タイトルは「地方協力の拡大と民間友好の深化を」。流ちょうな日本語で話されました。最後には質疑応答も行われ、とても充実した時を共有することが出来ました。

式典は時間通り5時に終了し、お楽しみの懇親会が同じ敷地内にある県政記念館2階のレストラン『ビストロ・ド・レヴィ』で6時から始まりました。オープニングは劉美佳子さんの奏でる二胡演奏、喜多郎の「シルクロード」で幕を開けました。くつろいだ談笑の間には、協会女性委員会委員長・天達美代子さんが演出した『沖縄の琉球舞踊』や、鑑真和上を偲ぶ天達さんの持ち歌『坊津旅情』などが披露されました。丁玥大使夫人が飛び入り参加で、劉さんの二胡に合わせ日本の童謡「ふるさと」を天達さんと一緒に唄われる嬉しいハプニングもあり、大喝采を受けました。

時はゆるやかに流れ、ぴったり8時に岩元経済同友会会長による「締めのご発声」を迎えることができました。

この先、何十年かのち、参加者それぞれの人生の「途中下車駅」のひとつとして、この夜の〝ひととき〟が頭に浮かぶことがあると嬉しいです。

希望大家偶尔会想起今晩的美好!

(理事 大石慶二)

来賓と関係者による記念撮影
鮮やかな琉球舞踊などでおもてなしをした懇親会

苦しみはされど 歴史は残る
「映画・戦後中国残留婦人考」上映

東京都西東京市日中友好協会

当協会は2025年11月3日、西園寺一晃氏((公社)日中友好協会顧問、東日本国際大学客員教授)の企画運営、北京電影学院・王乃真監督、ドキュメンタリー映画「戦後中国残留婦人考」を戦後80周年、平和を祈念し上映しました。

本篇は2019年に初上映、22年にNHKスペシャル番組放送、その後の再編集版。

1930年代、国策で両親が中国に渡り、45年敗戦、中国から引き揚げ時にソ連の侵攻に遭い、いろいろの事情で両親と別離、生きるため中国に残らざるを得なかった若い女性達、その悲しみと、彼女たちを優しく支えた中国人の夫、もうけた子供達との愛情、そして中国文革の混乱を経て、家族と帰国までの長い道のり、その実話を描いた王監督の力作です。

残留女性達の困難を乗り越える芯の強さ、優しさも表現されています。

王監督は1980年代に日本留学し、その折、過去の戦争を恥じ、平和の大切さを思う日本人との出会いをきっかけに、戦争と人間性にある善と悪を思いながら、平和を願い、未来にのぞむ思いを映画で表現しました(傍線は監督のメッセージ)。

2013年から北京電影学院留学生小林千恵さんが残留婦人8名の証言を王監督のもと、訪問インタビュー、神田さち子さんが舞台劇にした内容も盛り込まれ、日中友好人士の協力作成です。

観客は悲劇を生む戦争の虚しさを8名の残留婦人たちの証言から学び取ることができます。また、日中友好の次世代を担う多くの子、孫に囲まれた残留婦人たちの笑顔も印象的でした。

西東京市では西東京三田会、西東京稲門会、西東京シネマクラブ会員を主体に50名ほどの市民が鑑賞し感動を受けました。

鑑賞後西園寺氏を囲んで懇談会も開催し、日中友好、不再戦の大切さを確認しました。

映画は11月中に西東京日中での上映を皮切りに、東京では豊島区日中・立教大学、港区日中・中国文化センター、途中、神奈川県日中の上映をはさみ、東京都日中・国際善隣会館で順次上映。その後、福島、石川、長野等各地でも上映予定が有ります。

(副会長 前田久男)

企画の意図を語る西園寺氏(右)
鑑賞後の懇談会

てくりば
世代と国境をこえて最新技術を楽しむひろば

宮城県日中友好協会青年委員会

てくりばは、シニアと大学生、中国からの留学生など、立場の異なる人びとが集まり、ロボットや生成AI、3Dプリンタといった最新技術を、暮らしに関わる身近な道具として一緒に体験するひろばとして、仙台でスタートしました。少子高齢化の進行やデジタル技術の急速な発展の中で、シニアの孤立を和らげること、技術への苦手意識を和らげること、多世代・多文化の交流を促すことをめざしています。

初回のプログラムでは、架空の地域ニュースを題材に、情報をうのみにせず自分の手で確かめるワークに取り組みました。スマートフォンを片手に、自然と画像検索やストリートビューを活用し、考え方の違いや共通点を見つけていく姿が印象的でした。

続く回では、生成AIを使って文章や画像、音楽づくりに挑戦し、「思っていたよりずっと楽しい」「家でも試してみたい」といった前向きな感想が多く寄せられました。

運営は宮城県日中友好協会青年委員会と Kotaro Design Lab. が共同で担っており、参加費や協力企業からのご支援により、小規模ながら黒字運営も実現しています。今後は、この持続可能なモデルをいかし、他地域の日中友好協会とも連携しながら、各地での開催やオンライン連携企画へと発展させていきたいと考えています。てくりばが、世代や国境をこえて最新技術を分かち合う温かなコミュニティとして育っていくことを願っています。

(奥山彪太郎)

立場や世代の異なる参加者の皆さまと笑顔で記念撮影
事業概要スライドより
2025年11月1日に第1回、15日に第2回を開催しました

西野知賀子副会長講演会
昭和20年8月20日 内蒙古から長城を越えて

《再訪》80年振りの中国「張家口」

奈良県日中友好協会

2025年11月9日、奈良市中部公民館において、奈良県日中友好協会の西野知賀子副会長による3回目の講演が行われました。

2025年8月号「プラットフォーム」欄で予告された通り、西野さんは昨夏、引き揚げ80年となる節目に、敗戦を迎えた張家口の地を再び訪れました。今回の講演では、その追体験の報告をしていただきました。

西野さんは、1942年、満州国の中でもわずか4年間だけ存在した四平省で生まれました。お父様は、満州に本社があった会社の社員でしたが、敗戦1年前に内蒙古の職員として招集され、その首都であった張家口へ一家で転居し、この地で敗戦を迎えました。

3回目の講演では、以前の講演と違って、2025年8月に80年振りに、脱出行の現地・張家口―北京―天津をお嬢様と訪ねた様子が中心でした。それも、汽車で張家口を脱出した80年前と同じ、8月20日に出発したということです。

2時間を越える熱弁で、時間の過ぎるのがアッと言う間でした。それと、ところどころに写真の説明もありました。張家口の町、脱出の途中経路、日本への引揚げ船を待っていた天津の小学校の体育館、天津から博多港への移送などなどの写真がありました。

当日の聴衆の中には、旧満州からの帰国者も20名ほど参加され、帰国者からは、「この話はよく分かったよ」との声が聞かれました。

講演会の結びとして、西野さんは「戦後80年の今年、永遠の戦後を続けられるよう、そして、新しい戦前を迎えないために、新たに歴史を学びつつ、現実を正しく認識し、行動できる力を持ち続けたいと思う」と述べました。

(事務局長 神澤章)

再訪について話す西野知賀子副会長
天津の小学校跡の写真

第76回 国慶節を祝う会を開催

秋田県秋田地区日中友好協会
秋田県日中友好協会女性委員会

秋田地区日中友好協会(小木田喜美雄会長)と秋田県日中友好協会女性委員会(石黒かほる会長)は、2025年10月11日(土)に秋田市の「アキタパークホテル」で会員や県内三大学の中国留学生など34名が参加して第七六回国慶節を祝う会を開催しました。

冒頭、参加者全員で日中友好ソング「友好の翼」を歌って開会しました。

初めに、主催者である小木田会長と石黒会長のあいさつに続き、中国留学生学友会の孫瀚林会長(秋田大学四年)が留学生の近況とコロナ禍で途絶えていた県内各大学の中国留学生とのネットワークを復活させたことなどを述べました。また、このたびの役員改選で一一月から新しく会長に就任する劉博涵君(秋田大学三年)が紹介され、劉新会長は「引き続き協会の皆さんと楽しく交流をしていきたい」と述べました。

その後、八月に北京で開催された「日中友好交流都市中学生卓球交歓大会」の映像が流され、秋田県・甘粛省チームが三位入賞したことが紹介されると、初の快挙に参加者は大いに沸きました。

続いて、工藤嘉範副会長の乾杯で会食が始まり、アトラクションとして秋田民謡の「梅若会」社中の皆さんによる民謡や手踊りが披露されました。初めて見る郷土芸能に留学生達は興味津々となり、終了後は出演者の皆さんと一緒に記念写真を撮るなど交流しました。

会の後半には、全員に賞品が当たる恒例のビンゴゲームに興じたほか、カラオケで日中双方の歌を唄うなど楽しく過ごしました。

最後に、佐藤惣良理事長が「次は年明けの春節を祝う会で再会しましょう」と述べ祝う会を終了しました。

(理事 山脇幸美)

アトラクションの出演者と中国人留学生たちの記念撮影

錦秋の京都での日中友好写真展

京都府日中友好協会

第25回日中写真芸術展が2025年11月12日、東山の麓、紅葉に彩られた京都市国際交流会館において開幕しました。開幕式では、訪日団長である陝西省咸陽市人民対外友好協会の聶永社秘書長、京都府日中友好協会・田中彰寿会長、国際交流会館・林建志館長が挨拶を交換。咸陽市からの写真愛好家を含む六名と日本側友好人士が、コロナ後初となる京都での開催を祝い合いました。

私は展示準備から開幕式のテープカットまでの運営に携わり、両国の都市景観、自然風土、生活文化等を鮮やかに映し出した八十四点の作品を前に来場者が親しく言葉を交わす様子を見守りながら、写真の持つ力と文化交流の大切さを改めて実感しました。

これからも、文化・芸術を通じて日中の友好が発展する事を願わずにはおられません。

(会員 趙端)

作品を背に行われたテープカット
陝西省の皆様を〝熱烈歓迎〟!

未来に繋ぐ 和歌山県と中国の青少年交流

和歌山県日中友好協会

今年度、和歌山県は、友好提携先である山東省や四川省、及び交流実績のある貴州省との青少年交流を実施しました。

昨年7月には、9名の四川省学生を受け入れ、民泊体験や現地学生との交流を行いました。

また8月には、和歌山県青少年交流団として、山東省に27名、貴州省に24名を派遣しました。

派遣者達は、現地の学生と心を通わせ交流する中で、「対話」や「自分自身で見聞きする事」の重要性を学びました。

「后会有期/またかならず会おうね」

変化の激しい時代だからこそ、直接世界の動きを知ることが大切と考えます。和歌山県と中国の友好を未来に繋げていくため、青少年交流を引き続き積極的に実施します。

(和歌山県企画部企画政策局国際課)


山東省を訪れた和歌山県青少年交流団
青島科技大学の学生との意見交換の様子

日中友好協会創立75周年記念
長野県日中友好訪中団 北京、河北を訪問

長野県日中友好協会

日中友好協会(全国)創立75周年を記念し、西堀正司会長を団長とする長野県日中友好協会訪中団10名は、2025年10月22日から26日にかけて北京と河北省(承徳・石家庄)を訪問した。中日友好協会、河北省外事弁公室や人民対外友好協会など関係機関を表敬し、長年の交流の深化と今後の協力について幅広く意見交換した。

初日は北京に到着後、長富宮飯店に宿泊。23日には中日友好協会を表敬訪問し、程永華常務副会長らから温かい歓迎を受けた。程常務副会長は、長野県との深い交流の歴史に触れ、近年の日中関係の動向、経済政策、第15期5か年計画策定の背景などを説明。西堀団長は、青少年交流やスポーツ・文化交流の重要性を強調し、地方民間レベルでの友好深化を進めたいと述べた。

その後、北京市中心部の王府井を散策し、発展と伝統が混在する現状を視察。夕刻には北京駅から高速鉄道で承徳南駅へ移動し、承徳市外事弁公室の出迎えを受けた。歓迎夕食会では閻洋主任が承徳市の歴史・地理・資源・観光の特色を紹介し、両省県の交流発展に期待を寄せた。参加者は「北国の春」を披露し、和やかな雰囲気の中で友情を深めた。夜には旧友との再会もあり、承徳の変貌ぶりに感慨を新たにした。

24日は世界遺産・避暑山荘を参観。広大な御苑と外八廟の歴史文化に触れ、自然と調和した清代皇室文化の魅力を体感した。続いて高速鉄道で石家庄に移動し、友人らとの再会を楽しみながら懇談の場を持った。

25日午前は石家庄外国語学校を訪問。1万数千人が学ぶ一貫校で、全人教育や幼稚園から高校までの充実した教育環境について説明を受けた。9月に長野県高校生文化訪中団が同校で交流した時の様子も紹介された。

続いて、中国飯店にて河北省人民対外友好協会会長・王建峰外事弁公室主任を表敬訪問。王主任は、長年の友誼と近年の交流活性化に触れ、長野訪問への意欲、そして今後の交流拡大について①青少年交流の強化、②冬季スポーツ交流(張家口を中心とした五輪レガシー活用)、③卓球・武術・雑技などスポーツ・文化分野の協力推進という三つの提案を示した。西堀団長は42年に及ぶ県省友好関係を振り返り、長野県日中友好協会設立70周年(2026年)への招請や、卓球・スキー・太極拳・囲碁など多様な交流推進を提案した。王主任も卓球大会やマラソン、囲碁親善試合などの実施に前向きな姿勢を示した。

会談後の歓迎昼食会では鄭軼副主任が今年の相互交流の成果に触れ、特に河北省スキー選手団の長野訪問など、スポーツ・青少年分野の連携が順調に進んでいることを報告。訪中団に対しさらなる友好発展への期待が述べられた。

その後、訪中団は河北省友好協会の見送りを受けて高速鉄道で北京へ戻り、最後の夕食会で紀竑氏ら関係者と改めて友情を確かめ合った。26日早朝、北京首都空港に向かい、見送りを受けながら帰国の途へ。団員は最後まで心温まるもてなしに感謝しつつ、長野での再会を約して別れた。

5日間の旅を通じ、政府機関・教育機関・旧知の友人らとの交流を重ね、地方民間レベルでの友好の力を再確認する実り多い訪問となった。青少年・スポーツ・文化など多方面での新たな協力の芽が示され、75周年にふさわしい意義深い旅となった。

(副会長 布施正幸)

中日友好協会表敬訪問

第43回中国語スピーチコンテストに16人が挑む

長野県日中友好協会

長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂の主催による第43回全日本中国語スピーチコンテスト長野県大会が2025年10月25日(土)、信濃教育会館講堂で開催され、高校生や大学生、一般社会人16人が出場しました。

朗読部門には高校生の部4人、大学生の部1人、一般の部6人が出場、それぞれ全国統一課題文を発表し発音や表現力、熟練度を競いました。

スピーチ部門には大学生の部に5人が出場し、自作文で内容や表現力を競いました。中国語学習を通じて感じた文化の違いや子供時代の思い出、将来の夢、音楽と生活、地震から学んだことなど様々なテーマで熱弁をふるいました。

スピーチ部門で優勝したのは、島こころさん。中国と日本の書道をテーマに取り上げました。

審査委員長の夏丹さんは講評の中で「今年の高校生の部の朗読課題文『按馬索驥』は少し難しかったですが、出場した皆さんはとても頑張っていました。もちろん、中国語の学習は難しいですが、努力して何度も練習すれば、必ず上達できると信じています。スピーチに参加した皆さんの原稿は、文の流れが自然で、文法の使い方もおおむね正確でした。中国語を学ぶことで自分に起こった変化、子どものころの思い出、自分の夢や興味、体験した出来事などを語り、聞く人に深い印象を与え、心を打ちました。中国語スピーチコンテストに参加することは、中国語力の向上に大きく役立ちます。是非これからも積極的に参加してください。言葉は、その国を理解するための最良の鍵です。皆さんの中国語がますます上達し、中国のことをよりよく理解されることを願っています」と激励しました。

入賞者は次のとおりです。

  • スピーチ部門 島こころ(長野ビジネス外語カレッジ)
  • 朗読部門 高校生の部 湯本真凛(長野西高等学校)
  • 朗読部門 大学生の部 黒木遥(信州大学)
  • 朗読部門 一般の部 関崎朋子(孔子学堂)

(長野県日中友好協会ラジオ孔子学堂事務局長 戸井田靜男)

出場者と関係者の記念撮影

中国学者画《世世清白図》
―身近な食材に込められた寓意

栃木県日中友好協会

昨年4月号で、中国伝統の文人画を現代に発展・継承させた「学者画」の分野を開拓した王振徳教授の個展(栃木県日中友好協会設立75周年記念・王振徳「中国学者画」展)をご紹介した。今号では、その代表作のひとつをご紹介する。

王振徳《世世清白図》

王振徳の《世世清白図》は、日常の果物や野菜を題材とし、大胆な筆致で描かれている。中国の伝統文化では、しばしば物に寓意(教訓など)を込めるが、本作に描かれた白菜、大根、柿も同様である。

白菜はその色と形から「清白」を、柿は「すべてのこと(事事)が思い通りになること」を、それぞれ表している。この白菜(潔白)と柿(事事)の二つを合わせることで、「世世清白」(代々潔白である/「事事」と「世世」は同音)という意味になる。

《世世清白図》に描かれた白菜、大根、柿は、人々が日常的によく使う食材で、節約の象徴でもある。

画題文には、次のように記されている。

節約生活は清廉な品性を養い、節制した食事は胃腸の健康に良く、質素な衣服は身体を楽にし、思考や心配を減らせば心が安らぎ、わがままを抑えれば物を失うことへの不安が減る。些細なことにこだわらなければ健康につながり、無駄な時間を減らせば余裕が生まれ、遊びを減らせば学業が進み、欲望を抑えれば正しい品行を保つことができる」
節約は人の頭を冴えさせ、頭が冴えれば心も開く。節約のもつ意味は、極めて深く、果てしない。

老子は、次のように述べている。

「我に三宝有り、持してこれを保つ。 一に曰く慈、二に曰く倹、三に曰く敢えて天下の先と為らず」
(私には三つの宝物があり、それを大切に保っている。第一に慈しみの心、第二につつましく暮らすこと、第三に人に先んじようとしないこと)

この言葉は、節約という美徳の尊さを物語っている。

《世世清白図》を描いた王教授は、節約の利点を称賛するだけでなく、現実の生活に即して、また自身の生活体験に基づいて、人生の哲理を人々の身近なものに込めて描いている。多くの人々が見聞きしやすい芸術形式を使って表現することにより、見る者に直感的な視覚体験を与え、奥深い道理を分かりやすく示し、それによって、人々の理解と人生の悟りを深めているのである。

資料提供:栃木県日中友好協会
文責:副会長 鷲谷アンナ、理事 成田金城


草の根活動に対する強い思いを感じさせたフェスタ

神奈川県日中友好協会

「2025かながわ日中友好フェスタ」(以下「フェスタ」)が12月6日(土)、400人を超える参加者を集めて横浜市技能文化会館で開催された。

このフェスタは一昨年、日中平和友好条約締結45周年を記念して初めて開催され、今年が第3回にあたる。開催の目的は、県民の皆さんに中国の文化などを楽しんでいただきながら、参加団体の草の根の活動を広く知っていただくこと。今年も県日中が県内の日中友好団体に参加を呼びかけたところ、県内8地区協会をはじめ、聶耳記念碑保存会や中国留学生援護会、中国養父母謝恩の会、横浜華僑総会など計30団体が参加した。

催しは、ブースでの参加団体の活動展示やバザーのほか、中国茶芸や中国結びの体験、舞台での専門家による変面や京劇、古筝演奏、参加団体会員による中国舞踊や合唱、太極拳、漢詩朗詠などの発表と多彩。子ども向けのスタンプラリーも行われた。

開会式では須藤浩之県日中会⾧があいさつの中で、「このところ連日、残念なニュースが続いているが、日本と中国は引っ越しができない隣人であり、2千年以上にわたる交流の歴史を考えれば、現在のような様々な諸課題は必ず良い方向で解決できると信じている。また、このような時期に民間あるいは自治体間の交流は大変意義深く、本日のフェスタはいつも以上に大きな意味を持っており、このフェスタを通し日中友好の大切さを改めて実感していただければ幸いです」と述べた。

来賓の脇坂道裕県グローバル戦略担当部⾧は、県と遼寧省との交流を紹介しながら「地域間の関係は国家間の状況に左右されず常に信頼関係の醸成に努めることが求められている」と述べ、森正明県議会日中友好議員連盟会⾧は、11月に訪中団を結成し北京、天津を訪問したことに触れながら「文化・スポーツ交流など我々ができる交流を今後も積極的に行ってまいりたい」と述べた。陳宜華横浜華僑総会会⾧は、「県と県民が国際的な広い視野で日中友好の進展に取り組んでいる姿勢に感銘を受けている。『親仁善隣と平和共存』が私たち横浜華僑総会の活動の指針であり、皆さんとともに日中友好の推進に努力してまいりたい」と述べた。

今年のフェスタは、思わぬ両国政府間の展開の中で行われることになったが、関係者の一人として、参加団体の強い思いに支えられ無事開催できたことに安堵する一方で、陳会⾧の「親仁善隣と平和共存」の言葉に会場から大きな拍手が上がったことに注目、現状を憂え将来を心配する人が決して少なくないと感じた。両国政府には対話を通した関係改善の努力を切にお願いしたい。

(専務理事 三浦修)

須藤県日中会⾧あいさつ
横浜華僑総会会員らによる中国民族舞踊
ブースでの県民との交流

みかん狩りで日中交流

神奈川県日中友好協会
神奈川県湘南日中友好協会

恒例の県日中・湘南日中共催の「みかん狩り交流会」が11月30日(日)、小田原市下曽我にある神保みかん農園で、日中両国の市民28人が参加して賑やかに開催された。

この日は久しぶりの好天。参加者は午前10時にJR下曽我駅前の「梅の里センター」に集合し、上島保則県日中副会長の挨拶の後、全員で農園へ続く山道を元気に登った。

みかんがたわわに実っている農園に着くと、神保さん夫妻が一行を温かく出迎えてくれた。奥様の神保るりさんから摘果の説明を受け、参加者はさっそく食べ放題のみかんを味わいつつ、持ち帰り用のビニール袋に美味しいみかんを詰めた。中国人参加者の中にはみかん狩りが初めてという方も多数おり、あちこちで歓声が上がっていた。昼食は全員でブルーシートに座り、各自が持ち寄ったお弁当やおにぎりなどを食べながら、自己紹介などで交流を深めた。焚き火で作った焼き芋も一役を買い、香ばしい焼き芋を頬張りながらの楽しいひとときでした。

昼食後は子どもたちを中心に農園の坂道を登って高台に上がり、青空に映える富士山や太平洋の海を眺めることができた。全員で記念撮影をしてから現地解散したが、参加者からは「来年も来たいね」の声も。ごく普通の「みかん狩り交流会」だが、毎年参加希望者が多く、40年以上も続いている理由が分かる気がした。

(理事長 上野篤志)

青空の下、参加者全員で記念撮影