各地の日中交流ニュース

2025年11月1日号 /

役員が初訪中

新宿区日中友好協会

NPO法人新宿区日中友好協会は協会設立2周年にあたり、当協会会長を兼務する全国本部の宇都宮徳一郎会長を団長とする初めての訪中団を9月22日から9月25日の日程で北京に派遣いたしました。当協会がこの6月末に24名の訪日(奈良、京都、万博など9泊10日)を受け入れた北京の国際学校Key stone Academyからご招待を受け、9月23日に学校で開催される中日友好交流会に出席することが今回の訪中団の主な目的です。

北京に到着後の22日の午後には、中国人民対外友好協会で袁敏道副会長を表敬訪問し、大変光栄ながら、日本で一番新しい新宿区日中友好協会の活動についてお祝いと激励の言葉を頂きました。また、新宿区の姉妹都市である東城区とも懇談し、今後の協力について話し合い、引き続き交流を深めることを申し合わせました。

(理事長 高橋秀華)

中国人民対外友好協会・袁敏道副会長(中央)表敬訪問
北京市東城区人民政府外事弁公室の羅海珊主任(中央)らと懇談

「中国駐名古屋総領事館と富山県青少年交流会2025」を開催

富山県日中友好協会

特定非営利活動法人富山県日中友好協会(金尾雅行会長)は、中国駐名古屋総領事館と共催にて、9月19日(金)に富山大学で「中国駐名古屋総領事館と富山県青少年交流会2025」を開催しました。

二回目である今回の交流会は、楊嫻中国駐名古屋総領事が来富され、黒部市長、富山市長を表敬訪問後、交流会に参加いただき、中日友好についてご講演されました。

金尾雅行会長は開会にあたり、「日本と中国間の悲劇の歴史を繰り返してはならないという認識は普遍的と考えます。これからは、未来に向けて、その友好関係を深化させてゆくことが大切です。」と挨拶しました。

続く講演で、楊嫻中国駐名古屋総領事は、「中国は、青少年の交流事業を大変重要視しています。青少年は未来であり希望であること、これは中国社会の共通認識です」と冒頭でお話しされた後、中国駐名古屋総領事館主催の雲南省大学生訪中団での、日本人大学生と中国人の子供達との温かな交流の例を挙げて、中日友好の重要性についてお話しいただき、最後に、平和を大切にすることは未来を紡ぐことであると講演会を締めくくられました。

スライド発表では、富山大学理学部三年山頭慎太郎さんが「Dif ference of Dishes~中国の背中を追ってみよう~」、富山大学中国学友会代表符瓊(ふ けい)さんは「日本留学を通じた富山とのご縁」の演題で、それぞれ発表がありました。

最後の自由時間では、楊嫻中国駐名古屋総領事は参加者と交流し、和やかで温かい雰囲気のなか、今回の交流会は成功裏に終了しました。

参加者からは、「日中の若者同士が実りある対話を深められたと感じました。」などの言葉をいただき、富山県と中国の友好の未来を感じさせる交流会となりました。

富山県日中友好協会は、これからも日中の青少年交流を促進していきたいと考えています。

(事務局 伊藤愛子)

楊嫻総領事(前列左から4人目)を囲んでの集合写真

中国大使館杯日中争奪戦
第26回東京都日中友好囲碁大会を開催

東京都日中友好協会

第26回東京都日中友好囲碁大会が2025年9月27日(土)日本棋院にて盛大に開催された。本大会は、中国大使館の全面的なご支援ご協力のもと、毎年行われている。会場は日本棋院1Fホールで行われ、東京近郊に在住する日中の囲碁愛好家48名が参加し、3回戦の対抗戦形式で熱戦が繰り広げられた。

第一部(司会:中野修都日中顧問)では、主催者を代表して東京都日中友好協会齋藤成常務副会長から「囲碁を通じて友情を深め、今日一日を存分に楽しんでほしい」との挨拶があった。続いて、大会審判長の翁子瑜六段(中国囲碁協会)、李青海七段(同)が紹介された。

その後、明立周二大会実行委員長による大会ルールの説明後、翁子瑜大会審判長の対局開始宣言とともに緊張感の中、石音が響き、対抗戦が始まった。

今年の対局は、まさに一進一退の接戦となった。第1回戦:日本チームが13勝8敗で先勝する。第2回戦:中国チームが11勝10敗で取り返し、1勝1敗のタイとなる。第3回戦:再び11勝10敗で中国チームが制したものの、トータル成績は日本チーム33勝30敗となり、中国チームの追撃を日本チームが振り切り辛勝し、日本チームが見事優勝を果たした。会場は大きな拍手と歓声に包まれ、参加者同士の健闘を称え合う姿が随所に見られた。

第二部では、主賓挨拶として中国大使館康暁雷参事官が「囲碁を通じた民間交流をさらに深めたい」と挨拶された。

そして、今年も設けられた「最優秀好局賞」には、宋恩銘四段と矢部智大四段の熱戦が選ばれ、宋恩銘四段が受賞した。李青海七段による大盤解説は観客の注目を集め、大きな拍手を浴びた。

次に、成績発表の後、日本チーム主将齋藤紀明八段に康暁雷参事官より中国大使館杯が授与され、全勝者には記念品が贈られた。最後に、東京都日中友好協会中野修顧問が「来年もまたここで再会しましょう」と閉会の辞を述べ、大会は和やかに幕を閉じた。

(大会実行委員長 明立周二)

康暁雷参事官(前列中央)を囲んでの日中囲碁愛好家による集合写真
熱戦を繰り広げる参加者

2025浙江省中日青少年野球大会

栃木県日中友好協会

8月21日、公益財団法人日本少年野球連盟(ボーイズリーグ) 東日本ブロック理事 菅原一浩宇都宮市議を団長とする30名の栃木県少年野球交流代表団一行は、空路、上海の浦東空港に到着した。

栃木県日中友好協会初の野球の親善試合を通じた交流であり、栃木県と浙江省との友好都市提携事業の一環として、浙江省人民対外友好協会の招きにより、2025浙江省中日青少年野球大会として実施された。

栃木県少年野球交流代表団(U15)は、菅原団長以下、栃木県日中友好協会理事長の瀧澤正幸を副団長とし、県内ボーイズリーグの各チームから選抜された16名の選手とそのスタッフ総勢30名が浙江省嘉興市を訪れた。

8月22日、平湖市林埭鎮徐家埭村国際野球場で開幕、日本からは他に静岡県富士市のU12少年野球チーム、中国からはU15、2チーム、U12、2チームの計6チームが親善試合を通し交流を深めた。

開会式では、在上海日本総領事館報道文化部長穀川綾子氏が開会の挨拶、両国の青少年が野球を通じ、スポーツ精神を十分に発揮し、友情を深める貴重な大会であり、その成功を祝った。

続いて、嘉興市対外友好協会王建軍副会長は、「野球は国境を超える言語であり、ここに集う青少年は、日中両国の未来を結ぶ希望の絆である」と挨拶の言葉を述べた。

試合は、江南の8月の暑さにも負けず、白熱したものとなった。少年たちは、親善試合にも関わらず、真剣なプレーを披露。全力で投げ、走り、小さな白球を追った。また、相手のファインプレーに対しても惜しみない声援を送った。わが、栃木ボーイズリーグの選抜チームは、統率の取れたチームワークで普段の実力を発揮、地元チームに2勝し見事栄冠に輝いた。

大会の後の交流会は、場所を変え嘉善県のホテルにて盛大に行われた。

本大会の主催者である浙江省外事弁公室、対外友好協会、嘉興市、嘉善県、平湖市の対外友好協会、大会参加チーム選手、スタッフが一同に会した。

まだ若い言葉も通じない中学生が、現地の中学生とどうやって交流するのか、少し心配であった。しかし、蓋を開けてみればお互いに野球選手同士すぐに打ち解け、お互いの健闘を称え合い、歌あり、ポップダンスありのとても賑やかな交流会となり当方の心配は杞憂に終わった。

8月21日から8月24日まで3泊4日の嘉興市、嘉善県、平湖市を巡る野球の旅は無事に終了し帰途についた。

(理事長 瀧澤正幸)

親善試合を通じて交流を深めた選手と関係者一同

長野県の高校生、北京と河北省で書道・吹奏楽交流

長野県日中友好協会

長野県日中友好協会は、公益財団法人日中友好会館の特別指名を受けて、9月22日から28日、長野県高校生文化交流訪中団を北京、河北省に派遣しました。

この間、一行は、北京での歓迎会に出席した後、河北省の石家庄外国語学校での書道と吹奏楽の交流会、雄安新区での演奏会などに出席し、文化を通じての青少年交流を深めました。

この団は、長野日大高校吹奏楽部39名と松本蟻ケ崎高校書道部13名はじめ、計63名で構成されています。両校とも全国的にそれぞれの方面で名前を馳せている有名校です。

名誉団長は元中国大使で日中友好会館の宮本雄二会長、団長は荻原芽・同会館事務局長、副団長は大月良則・長野県日中友好協会理事長。中国側の受け入れは中日友好協会並びに長野県と友好関係にある河北省の人民対外友好協会です。

24日、石家庄外国語学校では、日本語を学ぶ生徒を含む約150名から歓迎を受け、長野日大高校吹奏楽部の39人は軽快にアニメ曲など3曲を演奏。松本蟻ケ崎高校書道部の13人は迫力ある書道パフォーマンスを披露しました。

26日、雄安新区の学校では、現地の子どもらでつくる「北京荷風芸術基金会楽団」との合同演奏会に出演しました。長野日大高吹奏楽部メンバーと長野市の二胡奏者、高山賢人さんも加わって中国の民謡「茉莉花」と日本の人気アニメ映画の楽曲をメドレーで演奏すると観客から大きな拍手が湧きました。小学生から高校生までが所属する北京荷風芸術基金会楽団は日本語を交えながら日本の人気アニメ映画の主題歌を歌い、訪中団を歓迎。吹奏楽のほか、二胡や琵琶などの伝統楽器を使った音楽も披露しました。最後は両国の生徒が、日本語と中国語で交互に「歓喜の歌」を歌いました。

芸術文化の交流とともに、中国の歴史、文化、人々の生活に触れるプログラムも組まれ、中国に対する広範な理解を深めることができました。

(事務局)

松本蟻ケ崎高校書道部が制作した大作の前で記念撮影
「名探偵コナン」のテーマ曲を演奏する長野日本大学高校吹奏楽部

6年ぶりの中国大使館訪問

埼玉県川口市日中友好協会

1982年、「日中友好は子々孫々まで」をスローガンに小学生の大使館訪問を開始しました。市内の小学校児童に中国大使館を訪問してもらい、この中から何人かでも友好に関心をもつ人が生まれたらと思い、始めました。テレビで中国の話題が流れてきたら、大使館訪問のことと併せて、親子で話し合いが出来る様に「親子教室中国大使館訪問」という名称にしました。大使館訪問はその後、大使館改修、SARSのため5回中止されました。その後は順調に市内の小学校が交代で大使館訪問を実施しましたが、2020年から2023年の4年間は新型コロナのまん延により中止を余儀なくされ、大使館訪問は34回以降止まってしまいました。

中国大使館も新型コロナ以降交流担当が参事官と書記官の2名となり、小学生の大使館訪問のような大人数での対応は難しくなりました。

川口市日本中国友好協会は小学生の頃から国際感覚を養う、という大使館訪問の原点を忘れず、伝統ある「親子教室中国大使館訪問」の35回再開を目指して、埼玉県日中友好協会と協力して、2025年開催が決まりました。小学校は前川東小学校及び上青木小学校に決まり、40人近い団体で大型バスをチャーターし、午前中は科学技術館の見学、大使館には午後2時に到着しました。大使館入口では参事官、大使館職員の子供たちの出迎えを受けました。館内の見学の後、参事官挨拶、前川東小学校校長の挨拶と続き、「孫悟空」の映画鑑賞となりました。中国のケーキやフルーツの軽食を食べながら前川東小学校の児童と大使館職員の子供たちの質問タイムになりました。

「中国の名所で知っているところはありますか?」「アニメは何が好きですか?」「好きな中国の料理は何ですか?」大使館職員の子供たちから次々と質問が出ました。前川東小学校の児童の口からもようやく「日本のアニメは何が好きですか?」「日本の食べ物は何が好きですか?」と少しずつ質問が出ました。子供たちの交流会はもう少し時間が欲しかったと反省しました。

最後に大使館からパンダのヘア飾りのお土産を頂き、川口市日本中国友好協会からボールペンのお礼を渡して、大使館前で全員の集合写真を撮り帰路につきました。バスの中では子供たちの元気の良い声が聞こえ、6年ぶりの開催になりましたが、子供たちの交流の大切さを感じました。また大使館の歓迎ぶりにも感激いたしました。

(事務局長 林芳男)

上映前に挨拶する康暁雷参事官(左から2人目)と前川東小学校校長ら
質問タイムで互いに交流!
中国のフルーツなどでもてなしていただきました

第35回親善オープンゴルフ大会

千葉県佐倉市日中友好協会

9月24日(水)、この日は、台風がそれて、残暑が残るものの最高のゴルフ日和でした。第35回佐倉市日中友好協会親善オープンゴルフ大会を、芝山ゴルフ倶楽部で盛会に開催しました。開催にあたり長谷川稔会長から、日頃の佐倉市日中友好協会への活動に対しての理解とご協力についてお礼の言葉と、本日のプレーを楽しんでほしいとの挨拶がありました。また、同協会の田宮寿人特別顧問からも激励の挨拶をいただきました。

その後、アウト10組・イン11組に別れ、会員・会友と、中国出身者1名、初参加者を含め79名でプレーを楽しみました。それぞれ会話を交わしながらのプレーのなかで、親睦と交流を図りました。皆さん、小さなボールを飛ばすのは、思いのほか苦労があったようです。

なお、大会は日没を避けるため、表彰式は行わず、組ごとに参加者全員に賞品をお渡しして、コーヒーを飲み、ケーキを食べていただき解散としました。今回の優勝・齊藤勝一さん、準優勝の蕗幸雄さん、おめでとうございます。

(会長 長谷川稔)

最高のゴルフ日和に恵まれ、笑顔あふれる参加者のみなさん

美唄市の「日中友好平和不戦の碑」
会員ら犠牲になった中国人を追悼

北海道日中友好協会

戦後80年、日本の戦争責任を私たちは心から痛感しました。9月20日、北海道美唄市の「日中友好平和不戦の碑」で中国人強制連行者の犠牲者追悼式が行われ、北海道日中友好協会の会員約30人を含む約100人が異国の地で亡くなった中国人に鎮魂の祈りを捧げました。

この追悼式では北海道日中友好協会の会員が多数活躍しました。犠牲者追悼式の主催団体である実行委員会の委員長は弁護士田中貴文さん(札幌日中会員、中国人強制連行・ 強制労働事件北海道訴訟弁護団事務局長)、追悼の挨拶は鳴海良司さん(旭川日中会長、北海道日中副会長)、司会が八島はるみさん(札幌日中会員、北海道女性委員会委員長)。不戦の碑は昨年9月に設立されました。

戦時中、中国人労働者を受け入れた旧三菱鉱業(現三菱マテリアル)関連では三菱美唄のほか三菱大夕張、雄別(釧路市阿寒町)の各炭鉱に中国人労働者1637人が連行され、357人が亡くなりました。この日は三菱大夕張関連の遺族や親族ら36人が河北省などから来日しました。

式典では僧侶の読経の後、参列者を代表して鳴海さんが「私たちは加害責任をしっかり反省し、そしてその上に立って日本と中国の不再戦、平和と友好の関係を築いていかなければなりません」と挨拶。この後、私たちの胸を打ったのは遺族代表の黄騫翰(こうけんかん)さん(35)の言葉でした。「祖父は13歳で強制連行され、生きて祖国に帰ることができ今年で95歳です。祖父は夕張で奴隷のように働かされ、一緒に連れて来られた同胞が何人も死んだことを私たちに話してくれます。そういう歴史を忘れないことで同じ悲劇を起こさないようにしていきたい。」

中国人参列者たちは不戦の碑に設置された墓碑銘板に祖父や父たちの名前を見つけては指でなぞってあふれそうになる涙をこらえていました。北海道日中友好協会の会員たちはその光景を目に焼き付けながら碑に花を捧げました。

(副理事長 種田英朗)

日中不戦を誓い、参列者に挨拶する
北海道日中友好協会の鳴海良司副会長