2025年度定期総会を開催
日中友好交流会議に向け結束
茨城県日中友好協会
NPO法人茨城県日中友好協会の定期総会が5月14日(水)、水戸駿優教育会館で開催され、204名(うち、委任状による出席が120名)が出席しました。
総会では、冒頭に主催者を代表して川津会長、岩下副知事からの挨拶があり、続いて中国大使館の郭強参事官や西野茨城県議会議長、小川日立市長、そして公益社団法人日本中国友好協会の宇都宮会長からご挨拶をいただきました。
議事に入る前に、五十嵐副会長・理事長から、今年10月に日立市で開催される「第18回日中友好交流会議」についての説明がありました。また、小川一成県議から、4月15日からの大井川知事、西野県議会議長、川津会長らの陝西省訪問について、友好覚え書調印の様子やこれまでの経過を含めた報告がありました。
今年度の事業計画では、これまでに引き続き「パンダアートコンテスト」「中国語スピーチコンテスト」「パンダフェス」の開催に加え、パンダフェス内で「パンダンスコンテスト」を開催する計画が承認されました。また、各地区日中友好協会との共催活動も承認されました。
2025年度は「役員改選」も行われ、新たに選出された役員を代表して、副理事長・事務局長に就任した岩田氏から挨拶がありました。
(副理事長・事務局長 岩田光造)


2025年度総会を開催
活発な質疑で課題を共有
福岡県日中友好協会
5月10日、13時30分から15時過ぎまで、福岡県日中友好協会の2025年度定期総会が行われました。福岡県内7地区友好協会から、会長をはじめとする代表者20名あまり(定員は20名)が参加しました。
森山会長のあいさつの後、中国駐福岡総領事館の楊慶東総領事と福岡県企画・地域振興部国際局国際交流課平山裕章課長(服部知事(顧問)の代理)より、来賓の祝辞を頂きました。
楊総領事は、反ファシズム戦争勝利および戦後80年の今年、3月の日中友好交流・地方都市間交流大会の成果に基づいて、さらなる友好協会の活性化を期待すると述べました。また、平山課長は、この数年、中国の指導的地位にある方々の福岡県訪問が続いていることに触れ、ますます経済・環境・文化・青少年交流が必要とされていると述べました。
その後、記念写真を撮り、活動・会計報告に続き、5号議案までの審議が行われました。また、福岡市や行橋・京都地区・北九州市などの活動が紹介され、活動を再開した筑紫地区の河野敏生会長(大野城市議会議員)からは決意表明がありました。さらに、新時代の日中関係を踏まえ、2か月に1回ほど、理事会終了後に学習会を実施することも確認されました。
討議では、各地区で異なる会費や予算状況をめぐり、活発な意見交換が行われました。
今年度は役員改選の年ではありませんが、今後の理事会提案などに備え、三役会の設置が承認されました。
(事務局長 高尾淑江)

筑紫地区からの2名の参加も
仙台国際ハーフマラソン2025
開催される
宮城県仙台市日中友好協会
5月11日(日)、「仙台国際ハーフマラソン2025」が開催され、仙台市陸上競技場をスタートした選手たちが、青葉茂る仙台大路を走り抜けました。今回も1万人を超す選手がエントリーし、仙台市の国際友好都市・長春市からは4名の選手団(団長:宋大勇、男子選手:杜斌、女子選手:夏麗麗、同行者:尹冬姣)が来仙。男女両選手ともに、完走いたしました。ちなみに成績は、杜斌選手が2時間1分34秒で680位、夏麗麗選手が1時間41分15秒で92位でした。
選手団は5月8日、新幹線で来仙し、9日に郡和子仙台市長を表敬訪問。10日には仙台市日中友好協会主催の歓迎昼食会に出席し、11日にマラソン大会に参加。12日、滞在中にお世話になった方々に感謝の意を表しながら、仙台空港より帰国いたしました。
マラソン後に開催された「国際姉妹都市等交流会」では、リバーサイド市、アカプルコ市、長春市、ダラス市、光州広域市、台南市の各テーブルが設けられ、3つに分かれた長春市のテーブルでは、宮城県日中友好協会・女性委員会・青年委員会・オンライン交流推進委員会、仙台大学、宮城華僑華人女性聯誼会、日中友好協会宮城県支部連合会、仙台市日中友好協会より参加した23名が、選手団と交流を深めました。参加された皆さんに感謝申し上げます。
(理事 武智英生)


松島ウォーキング交流会
団体連携で広がる友好の輪
宮城県仙台市日中友好協会
去る5月18日、仙台市日中友好協会(佐々木謙会長)は、宮城の観光地として知られる松島でウォーキング交流会を開催しました。交流会は松島町国際交流協会(石田堅会長)と東北地区中国学友会(丁俊中会長)との共催。ウォーキング参加者は41名(留学生30名、大人11名)でした。当日は初夏を思わせる陽気の中、観光客があまり行かない景色の良いコースを約2時間半かけて歩きました。初めて訪れた富山観音からの景色は、松島に何度も行ったことのある私も見たことのない絶景でした。
食事会では、松島町国際交流協会の方々にご用意いただいた日本のおにぎりと中国のスープ、葱油餅を味わい、日中友好を食でも楽しみました。留学生は「暑かったけど、とても景色の良い場所に行くことができて良かった。おにぎりもスープもおいしくて満足です。このような交流会にまた参加したいです」と笑顔で話していました。
交流活動を日中友好協会の単独事業で行うばかりでなく、このようにいろいろな団体と協力することで、日中友好の裾野をさらに広げるきっかけになればと考えています。
(理事 吉澤千明)

米中のはざまの日本、今こそ石橋湛山氏の先見の明に学ぶ
リチャード・ダイクさん講演
岐阜県日中友好協会
石橋湛山の研究者で米国人実業家リチャード・ダイクさんを講師に招いて5月31日、岐阜市のハートフルスクエアで日中ぎふフォーラムを開いた。ダイクさんはどの国とも共存を図ろうとした石橋の思想や先見の明に学ぶべきだなどと語った。
ダイクさんが石橋湛山(1884-1973年)を知ったのは1970年代、ハーバード大学院生のとき。ハーバード燕京研究所フェローの松尾尊兊京都大学教授から学ぶ機会を得た。
講演は「米中対立と日本~今なぜ石橋湛山か」と題し、ダイクさんは、石橋は早稲田大学でプラグマティズム哲学を学び、個人の生活が基礎である考えを身につけたと紹介。東洋経済社時代、植民地放棄、自由貿易の尊重、普通選挙などを主張したと戦前の先見性を評価した。
戦後、石橋は第55代首相に就任する。自由主義者として価値観が一致する米国に対し、言うべきことは言い、共産主義の国家とも共存共栄の道を歩むべきだと考えた。首相を辞めてから国交正常化前の中国を2度訪問、周恩来首相と日中関係の構築に力を尽くした。
ダイクさんは「(石橋)湛山の思想や考え方は今でも参考になる」と述べた。
(理事長 土屋康夫)

(写真提供:土屋康夫)
設立15周年記念訪中団派遣
青島音楽家協会合唱団と交流
北海道小樽日中友好協会
小樽日中友好協会は、設立15周年を記念し、4月20日から8泊9日の日程で訪中団を派遣した。
当協会は、2010年に設立1周年事業として、青島市音楽家協会合唱団22名を招待。小樽市民合唱祭に出演していただくなど交流を図っている。その招待は、寺山ユリヤ理事(現副会長)が青島市出身で、合唱団の姜さんと幼なじみだったという縁で実現した。前身の歴史ある小樽日中友好協会が、小樽と青島を結ぶコンテナ航路が就航した直後に解散したことを残念に思い、再設立したことも背景にあった。以来、両者の相互交流が続いている。
今回の訪中団は4人と少人数であったが、合唱団は温かく迎えてくれ、青島、曲阜、揚州、上海を案内していただき、厚いおもてなしを受けた。
青島では、対外友好協会を表敬訪問。青島市人民政府外事弁公室の王祥瑜副主任にお会いし、両市の交流拡大に努めていくことを話し合った。次に、札幌の渡辺淳一文学館を運営する青島出版社を訪問。馬代表にお会いし、渡辺淳一氏の先生にあたる河邨文一郎(1972年に開催された札幌冬季五輪の歌の作詞者)が小樽出身であることから、小樽文学館と連携できることを伝えた。さらに、札幌から参加した中澤さんが二胡を演奏できるので、青島迷胡胡琴文化館に寄り、展示されている貴重な二胡の説明を受けた後、同館の先生や生徒と「北国の春」を合奏した。
その翌日は、旧市街地を訪れた。日本の明治期、それまで一漁村であった青島をドイツが租借し、国際的な都市として赤い瓦屋根で統一されたまちづくりを行った後、第一次世界大戦後に日本が引き継ぎ、1923年に中国に返還するまでの街の歴史について、歩きながら説明を受けた。この旧市街地は、小樽を大きくしたような雰囲気で、ドイツ風の一般住宅や駅舎、青島ビールの工場と博物館、日本の銀行街などが点在する。現在は五つ星の歴史的景観地区として国に指定され、地区内の建物を国が買い取り、修復を進めている。
さらに、道教発祥の地・労山も訪問。奇岩もあり、北海道の積丹や雷電海岸を合わせたようなところで、ここも景観保全に努めていた。
曲阜では孔子廟や孔子邸、孔子と孔子一族の墓がある孔林を見学し、揚州では大運河博物館、鑑真ゆかりの大明寺、痩西湖を訪れた。上海ではフランスの街並みを復元した南京路界隈と、360度ぐるっと広がる高層ビル群がライトアップされた夜景を見て回った。いずれの都市も、景観を保全しながら観光に力を入れており、中国の都市整備のスピードとスケールの大きさに驚きを隠せなかった。
団員の姜さんはマスコミ関係の仕事をしており、黄さんは青島市にある約20の大きな博物館の総責任者を務めていた。そのため、2人とも歴史や文化、料理に造詣が深く、旅の間、懇切丁寧な解説をしてくれた。
旅の最後には、合唱団の衛元団長に上海でお会いした。衛さんは昨年末、青島から故郷に戻り、ご子息の下で療養を続けておられる。15年前に来樽して以来、小樽愛が強く、個人的にも小樽に来るほどで、今回の小樽からの訪問を楽しみに待っておられ、ご家族と共に私たちを温かく迎えてくれた。
旅の間、深夜にも関わらず空港まで迎えに来てくださり、9日間にわたり同行し、お世話していただいた青島合唱団の方々に、心から感謝申し上げます。
(事務局長 山岸康治)


わたしと中国との関わり発表交流会開催
世代を越えて分かち合った友好への想い
神奈川県日中友好協会青年学生部会
5月31日、かながわ県民センターにおいて、【主催】チャイ華(神奈川県日中友好協会青年学生部会)【共催】上海大学日本校友会【協賛】青島ビールによる「わたしと中国との関わり発表交流会」が開催され、小学生から80代の方まで約20名が参加しました。
県日中の二川事業部長による開会挨拶後、西湘日中友好協会の小早川会長による講演では、長春でのご誕生から今に至るまでの中国との関わりについてお話しいただきました。印象に残ったのは、河南省安陽市との都市交流のお話です。「梅」がきっかけで交流が始まり、「歴史」を共通のテーマにして続けられており、今後の展開から目が離せません。
パネルディスカッションでは、上海大学日本校友会許秀萍副会長、西湘日中友好協会中村條二理事、チャイ華の宮下大河、山田由実が登壇し、これまでの日中との関わり及び日中友好についての考えを発表いただいた後、参加者の皆様と意見交換を行いました。中でも多かった意見は、日中友好や二国間関係と大きな枠組みで捉えてしまうのではなく、一人ひとりができる範囲で身近な交流を大切にしていくというものでした。
そして、最後に上海大学日本校友会龔鳴鳴副会長兼秘書長から閉会の挨拶を頂戴し、交流会は盛況のうちに幕を下ろしました。
(全国青年委員会副委員長 宮下大河)

