中国残留孤児の支援と多文化共生社会を地域で取り組む

2026年3月1日号 /

友好訪問プロフィール

ユッカの会 代表

なか和子かずこさん


1942年静岡県生まれ。1989年ユッカの会に加入。2012年ユッカの会代表。

高齢者対象の会食・配食活動、民生委員などの地域活動も行っている。行政等の委員として、神奈川県社会福祉協議会計画推進委員会委員を務め(2025年退任)、現在、公益社団法人かながわ国際交流財団理事、かながわ国際政策推進懇話会専門委員会委員を務めている。

会の名前の由来は

ユッカの木はメキシコあたりが原産地で、未来に向かって力強く伸びる若者を象徴する「青年の樹」とも呼ばれ、冬にも強い観葉植物です。母国を離れて日本に来られた人たちが、慣れない日本で、それぞれの道を切り拓いていってほしい、との思いを込めて名づけられました。

会の活動は

日中国交正常化後1980年代以降、中国残留孤児(現在は残留邦人と呼称)の方々が配偶者や未成年の子どもを連れて日本に帰国。所沢の中国帰国者・定着促進センターでは半年間、日本語や生活習慣を学ぶ機会が用意されましたが、それだけでは十分ではありませんでした。また、対象にならなかった方もいます。ユッカの会は任意団体として1988年に発足。その3年前の85年から2世の子どもたちのための「補習教室」をスタートし、91年には1世の方のための「日本語教室」を、92年には「パソコン教室」を開講しました。

この3つの教室活動にバス旅行などの「交流活動」を加えて4つの柱で取り組んできましたが、数年前より、夕食を用意し、どなたでも自由に参加できる「ひろば」を週1で開設しています。今は中国残留孤児家族だけでなく、多国籍の方々が参加しています。学習者数は昨年12月現在、358人、ボランティア数は216人です。また2002年にスタートした、交流の場も兼ねた中国残留孤児1世対象の日本語教室はその後「しゃべり場」と名称を変え、現在は横浜市からの委託事業となり、ここには130人が登録、12人のボランティアが参加しています。

さらに2021年に県社会福祉協議会との協働事業「多文化高齢社会ネットかながわ」を立ち上げ外国籍県民の高齢化の課題に取り組んでいます。

入会のきっかけ

1989年に新聞に掲載された残留孤児2世の学習支援の募集記事を見て参加しました。当時、孤児の家族は日々の生活に追われ、2世の子どもの教育まで手が回らない状況で、会は2世の子どもの学習支援に力を入れていました。ボランティアは10人程度、日本語教育のプロはおらず、仲間内で試行錯誤の連続。目の前の課題をコツコツと解決していくことを楽しみながらの日々でした。

間もなく私は80代半ばですが、振り返るといつもボランティア活動をやっていたなと我ながら驚いています。学生時代はセツラー(地域福祉活動を行う学生ボランティア)として学校に行けない子どもたちの学習支援を行い、子育てが一段落してユッカの会に参加し、今年で36年目を迎えます。会は学習者とボランティアが「共に学び、共に楽しむ」ことを大事にしています。誰もが安心してその人らしく暮らせますように……ユッカの会の願いです。

中国残留孤児への思い

終戦から81年、残留孤児や家族はずっと戦争の重荷を負って生きてきました。「皆さんに親切にされ、帰国して良かった」と言ってくれますが、本当はどうなのだろうかという思いが常に頭の隅にあります。そんな中、昨年4月から月1回、残留孤児の皆さん自身が主体的に「ひまわり」という交流会を開き、笑顔で生き生きと企画運営をされています。何よりも嬉しいことです。

取材後記

中さんはどんな時でも笑顔で接してくれますが、それは経験に裏打ちされた自信があるからだと感じ、頭によぎったのは宮沢賢治の「雨ニモマケズ」でした。取材を通し、それを地で行っている方だと確信しました。「多文化共生は平和にも繋がるのでは」と話を向けると、笑顔で頷いてくれました。

(聞き手:神奈川県日中友好協会専務理事 三浦修)