卓球がつなぐ絆 ― ANA井上社長が語る日中民間交流

2025年7月1日号 /

友好訪問プロフィール

全日本空輸株式会社 代表取締役社長

井上いのうえ慎一しんいちさん


神奈川県生まれ。1982年、早稲田大学卒業。三菱重工業を経て1990年に全日本空輸(ANA)入社。北京支店総務ディレクター、アジア戦略室長などを歴任し、2011年に日本初のLCC、Peach Aviation のCEOに就任。2020年にANAの専務執行役員に就任、2022年4月より現職。

2025年6月11日、全日本空輸(ANA)の井上慎一社長と、当協会の宇都宮徳一郎会長との対談が実現した。井上社長は、学生時代に卓球部で汗を流し、中国への留学や現地駐在も経験されるなど、中国と深いご縁をお持ちの方である。宇都宮会長の質問にひとつひとつ応える井上社長の話しぶりには、卓球への情熱と中国への親しみがにじみ出ていた。

卓球がつないだ郗恩庭選手との出会い

私が卓球を始めたのは、子供の頃身体が弱かったからです。医師から激しい運動は無理だということで、卓球を勧められたのがきっかけでした。ところが、中学で卓球部に入った初日から、医師の言っていることが真逆だと分かりました。卓球は想像以上にハードなスポーツでした。

練習が辛くてもめげずに続けていたところ、やがて体が強くなり、卓球の技量も上がり、1973年、地元・藤沢で開催された「日中交歓卓球大会」で、地元の中学生代表に選ばれました。今で言えば、メジャーの最強軍団ドジャースが来日したようなもので、中国から世界トップレベルのスター選手たちがやってきたのです。その中のひとりが、当時の世界チャンピオン、郗恩庭選手でした。私は幸運にも、郗選手と対戦する機会をいただきました。あのときの感動は今でも鮮明に覚えています。

試合の後には、なんと郗選手から直接ご指導までいただきました。ただ、言葉が通じなかったことがとてももどかしく、千載一遇のチャンスを逃した悔しさが、大学で中国語を学ぼうと思った動機になりました。

それから幾星霜、ANAの北京支店に駐在していた2006年、人民大会堂で開催された中日卓球友好交流50周年の記念式典に出席した私は、思いがけず郗選手と再会を果たしました。中国語で話しかけると、すぐに当時の話に花が咲きました。そして何より心を打たれたのは、往年の日本・中国の名選手たちが、人民大会堂のステージの上で涙して抱擁しあう姿でした。スポーツが人と人をつなぐ――そのことを改めて実感した瞬間でした。

来たる8月には貴協会の主催により日中友好交流都市中学生卓球交歓大会が開催されます。同大会においても、かつて私が身震いした感動を、若い選手たちにも経験してもらいたいと思います。スポーツを通じた生身の人間どうしの交流は、彼ら彼女らにとって、きっとかけがえのない宝物となるはずです。

人との交流を通じて生まれた中国観

社会人になってからは、「中国に行きたい」という思いが強くなってきました。思い切って、会社にお願いをして北京大学に短期留学しました。それは1980年代後半。当時の中国は今とは比べものにならないほど貧しい国でした。

それでも私は、不思議と中国人の人柄に惹かれていました。休日に先生が観光に連れて行ってくれたり、帰国の際に、同級生たちが手厚い送別会を開いてくれたり、どこか情に厚い、温かい人たちでした。たまたま運が良かっただけかもしれませんが、少なくとも私には良い思い出しか残っていません。

そうした原体験もあってか、私は中国という〝国〟と中国人という〝人〟を分けて考えるようになりました。たしかに国々という政治レベルでは、日本と中国の間にはいろいろと難しいこともあります。しかしそれと同時に日本人と中国人との間には、私自身の体験も含め、個人個人のレベルで無数の心温まる交流があったのも事実です。

私が留学したころとは違って、今はインターネットを通じて海外の情報に簡単にアクセスできる時代です。中国の若者の日本観も変化していると思います。長年、民間交流に尽力されてこられた貴協会におかれましても、そうした時代の変化を柔軟に受け止めつつ、引き続き日中交流を〝明るく、楽しく〟盛り上げていただきたいと思います。

日中友好の未来に向けて

私の心に残っている言葉があります。「日本と中国の間には過去に不幸な出来事があった。歴史を消し去ることはできない。だからといって、過去にとらわれてばかりでもいけない。大事なのは未来に目を向け、共に良い日中関係を築くことだ。そのためには日中の若者同志がもっと活発に交流することが大事だ」と。これは、私が中国に留学していたとき、同級生たちがよく語っていた言葉です。私は中途採用でANAに入社しましたが、転職を決めた背景にも、この言葉があります。

日本と中国の縁は切っても切り離せないものです。時に関係が冷え込むこともありますが、本質的なつながりは変わらないと、私は信じています。ANAは伝統的に中国を大切にしてきた企業です。これからも、本質を見失うことなく、長い目で日中両国の交流に貢献してまいりたいと考えています。

(構成・文 佐野 聡)