国際文化交流として、写真家の役割を考える

2022年3月1日号 /

写真家

竹田 武史さん

1974年京都市生まれ。東京都在住。同志社大学卒。
大学を一年間休学して一限レフカメラを携えてオーストラリアを一周する。帰国後、写真家井上隆雄氏に師事。アシスタント業務の傍ら、1997年から5年にわたり日中共同研究プロジェクト「長江文明の探求」(国際日本文化研究センター主催)の記録カメラマンとして中国各地に撮影取材を行う。2001年フリーランスの写真家として活動開始。日本文化のルーツとされる中国西南地域を広く踏査し、近代化により失われつつある生活風景を記録し続けている。貴州大学、雲南大学への留学経験を持つ。日本写真家協会(JPS)正会員。写真作品集『長江六千三百公里をゆく』(2021年)、著書に『桃源郷の記~バーシャ村の人々との10年』(2015年)、『茶馬古道の旅~中国のティーロードを訪ねて』(2010年)など多数。受賞歴はコニカミノルタFOTOPREMIO大賞(2010)、京都府文化賞奨励賞(2014)ほか。

 

急速に進む経済発展により失われていく古き良き中国の生活風景を記録する。祖国日本文化のルーツでもある長江中流域を中心に、その原風景を記録し続けてきた。それが自分の使命であるかのように。

大学二年を終えて休学、ワーキングホリデー制度を利用してオーストラリアに赴いた。現地で中古車を買い、各地でアルバイトをしながら旅を続け、撮影を行った。それが第一歩だった。

独立への道

帰国後の1996年5月、写真家井上隆雄氏に師事。同年10月には四川省成都市新津県の遺跡発掘調査の記録撮影に10日間同行する。そして翌1997年から5年間、日中共同研究プロジェクト「長江文明の探求」(国際日本文化研究センター主催)に参画し記録カメラマンとして中国各地に取材を行った。その間、稲の原産地とされ黄河文明よりも起源が古いとされる長江流域の営みと、北方民族に侵入されて貴州、四川、雲南へ逃れ、かたや南下して海を渡った私たち日本人との間に共通する様々な文化や生活習慣について学ぶ。

プロジェクトが終盤に入る2000年、さらに専門的な写真技術を学ぶためにヨーロッパに留学するか悩むが、中国が急速に経済発展をとげ旧来の風景、風習が失われつつある今こそ撮影して記録に残さなくてはならないと感じた時であり、押し寄せる近代化の波とは時間との戦いでもあった。また写真を撮りながら旅ができる醍醐味、これぞ我が道!迷いを振り切って、中国の貴州大学に留学。2001年にプロジェクトが終了すると同時にフリーの写真家として独立した。

写真家活動と役割

独立して間もなく、源流を求めて長江沿いをジープで遡り、道なき道を自らの足で歩き、幾度も川を渡って辿り着いた標高5500メートルのチベットの高地。そこで出会った人々の澄んだ瞳と青い空は、言葉にならない感動だったそうだ。

その後は、雑誌、広告、ブライダル、撮影ツアー講師等幅広く活動を行う一方で、ライフワークとして中国、アジアへの旅を続け、出版物や写真展を通して作品の発表を続けている。主に少数民族が多く住む中国西南地域を広く踏査し、いくつものテーマで継続して取材活動を行ってきた。

近1~2年はコロナ禍により中国訪問も儘ならないが、それにより後年の作業と考えていた記録写真の数々を整理する機会が確保できたことで『長江六千三百公里をゆく』(2021年)の出版につながった。1997年から11年間に渡って源流から河口(チベット~上海)までの長大な流れに暮らす人々の姿を捉えた写真で、2022年1月には個展も開催した自身初のモノクローム作品集だ。

今年は日中国交正常化50周年に当たり、中国を記録し続けてきた8名の写真家たちのビジュアル記事を近々「和華」(アジア太平洋観光社)で特集する予定だ。

「写真を撮りながら大好きな旅行もできる」―カメラマンとして熱く語る眼は、旅先で出遭った少数民族の少年のように、純粋で輝いている。

(本紙 鵜澤晃子)