テレビドラマが転機となり日中交流の道へ

2019年12月1日号 /

公益財団法人日中友好会館留学生事業部部長 夏 瑛さん

1969年浙江省生まれ。杭州大学日本語科を卒業後、早稲田大学MBA、浙江大学メディア・国際文化学院博士を経て、中国教育部の派遣で公益財団法人日中友好会館留学生事業部部長。2019年に『寮・生~後楽寮を生きる人々~』を上梓。趣味は俳句。

 

多くの中国人留学生が生活する「後楽寮」。現在は留学生事業部長として彼らをサポートする立場だが、かつては自身も寮生のひとりだった。その「後楽寮」を「修行の場」と表現する。早稲田大学に在学中、猛勉強に明け暮れた日々も楽ではなかったが、慣れない異国で頑張る若者たちを支える今の立場は、精神的にも肉体的にもずっときつい。

「後楽寮」への思い 日本語はドラマから

「この仕事に200%の精力を注ぎました。精神を病んでしまった子を救ったことも。そのときは命を削られる思いでした」

それだけに寮に対する愛着は深く、80年以上の歴史があることを知り、歴代寮生の声を集めて形にしたいとのアイデアが浮かんだ。その集大成が自ら編著を担当した『寮・生~後楽寮を生きる人々~』だ。みなが寮を我が家のように愛していたことを改めて実感し、この本を作り上げた充実感を噛みしめた。「我が子も同然の本です」

写真の中で手にしているもう一冊の本には「排球女将」との文字がみえる。これは1979年から放送されたドラマ「燃えろアタック」のこと。中国では日本以上の爆発的な人気を博し、主演の荒木由美子さんは国民的スターとなった。「中学生の頃でしたが、夢中になって見ていました。この作品を通して日本人の粘り強い精神力を学んだ気がします。その後、大学時代には実際にバレーボールも体験しました」

高校時代は復旦大学への推薦入学が決まり、時間の余裕ができたので、ドラマを思い出しながら日本語を独学。結局、手続き上のミスにより杭州大学へ進んだが、日本語学科で語学に磨きをかけ、1993年、運命に導かれるように初めて日本の地を踏んだ。友好交流代表団のメンバーとなり、訪れたのは浙江省と友好都市の静岡県だった。「静岡は第二の故郷といえる場所。今年、娘を連れて25年ぶりに再訪し、当時と同じところ、同じポーズで写真を撮りました(笑)」

憧れの人・荒木由美子さんの通訳を担当

アリババの創業者、ジャック・マー氏が2003年に来日した際、「影響を受けた日本人は」という問いに対し、松下幸之助氏ら著名な経済人とともに「コジカジュン」の名を挙げた。記者たちは「誰だろう」と首をひねったが、荒木さんの役名と判明し、空港での対面が実現。同年、マー氏の招きに応じ、荒木さんが杭州を訪問すると、1週間、彼女の通訳を任されるという栄に浴した。

「荒木さんは有名人。それはもう道行く人たちに大人気でしたよ。憧れの人の通訳ができ、夢のような時間でした。これを機に、荒木さんとはいまでも交流が続いています」

径山の学僧の道紅葉散る
冬銀河正倉院へ絹の道

趣味の俳句は、友人が絵を添えた俳画で個展を開いたほどの腕前で、定期的に吟行にも参加している。俳句を通じた日中文化交流も夢のひとつ。ドラマに触発されて学んだ日本語は、今や俳句へと昇華し新たな絆を紡いでいる。

(内海達志)