どの風景を切り取っても絵になる香港は、映画のロケ地に事欠かない街といえるだろう。
日本でも大ヒットを記録した、新旧の名作「トワイライト・ウォリアーズ」と「恋する惑星」。その舞台となった九龍城砦と重慶大廈は、まさに「異世界」と呼ぶにふさわしい。前者はすでに解体されて久しいが、このたび映画のセットとして復活し、展示スペースが大人気スポットとなっている。
このほか、レンガ造りの城壁が異彩を放つ客家の曾大屋も、時代がタイムスリップしたかのような不思議な空間だ。
映画の世界を忠実に再現
日本では2025年に公開された「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」は、ルイス・クー(古天樂)、サモ・ハン・キンポー(洪金寶)、レイモンド・ラム(林峯)、アーロン・クオック(郭富城)ら超豪華俳優陣が出演した話題作で、香港映画史上、ナンバーワンの興行収入(約1億香港ドル)を記録した。監督はソイ・チェン(鄭保瑞)、音楽は川井憲次氏が担当している。
舞台は1990年代の九龍城砦。闇社会で生きる男たちの抗争と友情を描いた作品だが、実際に麻薬、売春、賭博などが横行し、「魔窟」「無法地帯」と畏怖された治外法権的な場所であった。
中国返還を3年後に控えた1994年に完全撤去されたが、惜しむ声も少なくなかった。負の歴史を背負った建造物ではあったものの、カオス、アンダーグラウンド、ノスタルジー、エネルギッシュ――等々、その根強い人気は九龍城砦が発散する多彩な魅力を物語っているといえるだろう。現在、九龍城砦の跡地は九龍寨城公園に生まれ変わり、市民の憩いの場となっている。
MRT屯馬線の宋皇臺駅で下車。タイ華僑の移住者が多いことから、タイ料理店が軒を連ねる通りをしばらく歩くと、緑豊かな公園の入口が現れた。こんな爽やかな場所に、かつて伝説の九龍城砦があったとは、とても信じられない。展示していたジオラマの説明によると、約28万平方㍍のエリアに、3万3千人以上が暮らしていたという。

公園内では2028年5月23日までの期間中、映画のセット展(電影場景展)を開催中で、たくさんのファンが集まっていた。香港滞在中、日本人の姿を他ではあまり目にしなかったのだが、ここでは随分と日本語(ほとんどが女性)が聞こえてきた。
事前に無料の整理券を受け取り、15分の入れ替え制で見学する。公開されているのは、作品内に登場した「士多/跌打館」(雑貨屋と整骨院)、「魚蛋工場」(魚のつみれ工場)、「牙醫診所」(歯医者)、「窄巷内街」(通りの名称で、仕立屋、修理屋、プラスチック工場など)「龍城髪廊」(理髪店)、「七記冰室」(喫茶店)の6部屋。当時の雰囲気を忠実に再現することが作品の大きなテーマとあって、セットといっても作り物といった感じは一切なく、90年代に引き戻されたような気分に浸れた。




3部作だった原作に倣い、映画も「前日譚」「後日譚」の続編制作が予定されているという。また新たな九龍城砦の風景がよみがえるはずで楽しみだ。
重慶大廈は人種の坩堝
再びMRT屯馬線に乗車し、沙田圍駅へ。西へ5分ほど進んで行くと、四方をレンガの壁に囲まれた、いかにも堅牢そうな建物「曾大屋」が忽然と視界に飛び込んできた。壁の内側は、採石場の経営で財を成した客家の曾貫萬が1848年から1867年にかけて一族のために造った村(山下圍)だ。外壁が城壁のようになっているのは、盗賊の侵入を防ぐためで、監視塔も残っている。

入口は3つあり、その奥が住民の生活空間になっている。長屋式の家が密集しており、中庭もあって、思った以上に広い。玄関先で掃除をしていた主婦に一声かけて、祖先を祀った廟堂など、内部を見学させていただいた。沙田圍駅周辺の喧騒とは別世界の静かな時間が流れており、壁の中と外では、こんなにも違うのかと思う。貴重な城壁村体験であった。


ホテル料金がとにかく高い香港で筆者が定宿にしているのが、1961年に建てられた重慶大廈(チョンキン・マンション)だ。A~Eの5棟(最高は17階)に、800以上のゲストハウスがひしめいており、世界中から集まったさまざまな国籍・人種の人が行き交う。なかでもインド系の人が多く、重慶大廈と聞けばスパイスの匂いを連想するほどで、本格的なインド料理店は定評がある。

5つの棟は不思議な構造になっており、10階から10階といった同一階の移動ができない。初めての人は、間違いなく困惑するだろう。各棟に奇数階のみ、偶数階のみに停まる狭いエレベーターが設けられているが、いつも混み合っており、目的階へ行くのも一苦労なのである。

九龍城砦ほどではないにせよ、ひと昔前までは「治安の悪い怪しげな場所」といわれていた。ただ、その後、環境は大幅に改善され、いまは火災時のリスク以外、それほど危険は感じない。

MRTの尖沙咀駅から近く、目抜き通りのネイザンロード(彌敦道)に面しているので便利だが、周囲は華やかな高級店ばかりゆえ、いっそうディープさが目立つ。筆者の場合、安さに加え、この唯一無二の個性を求めて足が向くのだが。

アジアを代表する歌姫、フェイ・ウォン(王菲)が主演(金城武が共演)を務め、日本でも大ヒットした1994年公開の映画「恋する惑星」は重慶大廈が主要な舞台となった。また、沢木耕太郎氏の名著「深夜特急」を通して憧れを抱いた旅人も少なくないだろう。

スパイスの匂いに食欲が刺激される
窓もない部屋に泊まるのはちょっと…という人は、館内をブラブラし、カレーを味わうだけでも「異世界」をそれなりに堪能できるはずである。
(内海達志)




