ちょっと乱暴な口調でキャッチ―なフレーズをテンポよく繰り出す、チャイナドレス姿の中国人女性が話題を集めている。北京出身のお笑い芸人いぜんさんだ。吉本興業に所属し、人気番組に出演するなど活躍する傍ら、東大大学院で核融合の研究に情熱を注ぐ才女でもある。端正なルックス、優秀な頭脳と芸風のギャップが、彼女の魅力と個性を引き立たせているといえる。
芸名は本名の怡然の日本語読み。紆余曲折はあったものの、日本で芸人になる夢を叶え、怡然(喜ぶ、楽しむ)の意味のとおり、多くの人を喜ばせ、楽しませている「笑星」に、吉本興業東京本社でお話をうかがった。

嵐の番組に魅せられて
―芸人を目指し、留学生として来日する前、日本に対してどんなイメージを持っていましたか
子どもの頃から日本のアニメをみてきました。当時は日本の事情をよく理解していなかったので、日本人はみな「ドラえもん」の「のび太」みたいな家に住んでいるのかと(笑) たまごっちも流行っていましたし、かわいいキャラクターグッズも集めていました。また、日本の文学に興味があり、中学時代は三島由紀夫や東野圭吾の作品を読んでいました。日本へ来たあと、「スラムダンク」の映画をやっていたのですが、授業中、こっそりマンガを読んでいたのを思い出したりして感動しました(笑) ですから、日本という国には良いイメージがあり、憧れのような気持ちを抱いていました。
―お笑い芸人を目指すきっかけは
嵐のバラエティー番組です。私は松潤(松本潤さん)が好きでしたが、アイドルなのにMCやお笑いもできて、中国や韓国の芸能人にはいないタイプだったので新鮮でした。
もちろん、松潤もカッコよかったのですが、それ以上にカッコいいと思ったのが、共演していた森三中さんです。女性なのに体を張った芸に驚かされ、あのクールな松潤を爆笑させていたのが凄いなと。自分もあんなふうになりたいと思いました。
―中国のお笑い番組事情を教えてください
最近はスタンダップコメディが流行っています。内容はエピソードトークが多いですね。男女コンビはいますが、女性のトリオやコンビ、ピン芸人は少ないと思います。日本のみなさんが思っている以上に、中国人は日本のお笑い番組をよくみていますよ。
―実際に訪れた日本の印象はいかがでしたか
高校のときに旅行で訪れたことはありますが、観光客と生活者では、印象がまったく違っていました。観光客はただきれいな景色なんかを楽しむだけで、みなさんも親切にしてくれますが、日本での生活を始めると、外国人として、どう認めてもらうか必死でした。
来日してしばらくは、まだ日本語を上手にしゃべれなかったので、考えていることをうまく表現できず、これでは相手も楽しくないだろうなと、話かけるのを遠慮したり、ビビってしまったり。しかも、大学時代はちょうどコロナ禍でしたから、ますます話す機会がありませんでした。
来日1年目の大失敗
―どうやって日本語がここまで上達したのですか
嵐の番組で字幕をみて、自然に身につけました。いまも常に文庫本を持ち歩いて(この日は平野啓一郎の作品)、気になる表現などをチェックしています。
来日3ヵ月目に日本語能力検定のN1(最高レベル)にも合格できました。最初は会話に入れなかったのが、頑張って話しかけるようになると、周りの人たちが、その姿勢を認めてくれるようになったのが嬉しかったですね。
―日本へ来た年、大学とともにNSC(吉本芸能総合学院)にも申し込んだところ、とんでもないミスをされたそうで
行列ができていたので、NSCの手続きをする人たちかと思っていたら、なんと人気のラーメン店で……。結局、面接時間に間に合わず、このために日本へ来たのに、私は縁がないのかと悲しくなり、泣いてしまいました。
中国には、もちろんお笑いの養成所などないので、どんな場所なのか興味があり、いろいろ調べてみました。やはりお笑いの本場は大阪だから、大阪の養成所に入って、京都大学に通う(注・NSCだけでは在留資格が得られないので)のは可能だろうか、とか。私は北京大学の附属高校で、勉強は得意でしたから(笑)
―そして2年後、ついに念願のNSCへ。どんなお気持ちでしたか
最初からピン芸人を目指していたわけではなく、漫才がやりたかったので、相方を探したのですが、全然見つからないのです。同期は400人くらいいて、何十人も連絡を取ったのに、ちゃんと断ってくれるのは優しい人で、無視する人も少なくありませんでした。
日本で有名な中国人といえば、いまだにジャッキー・チェンですよね。もっと才能がある若い人はたくさんいるのに、誰も目立っていないので、自分の挑戦など無理かなと、夢を持つことを怖れた時期もありました。
いまはこういったスタイルで活動していますが、漫才を諦めたわけではなく、M1を目標に頑張っています。昨年は先輩(渡辺ポット)とコンビを組み、私が書いたネタで3回戦まで行ったのですよ。
「カタコト風」も武器に
―いまの芸風はどうやって完成したのですか
飲み会の席などで、誰かの口調や関西弁をマネしてツッこんだらウケたり、日常生活からヒントを得ることが多いですね。
ネタに関しては、たとえば、春節と言ったら日本人には伝わりにくいだろうから旧正月にしよう、といったように工夫しています。私はちょっと毒のあるネタも多いので、カタコトくらいのほうがマイルドになって、ちょうどいいのかもしれません。あまり流暢すぎると、キャラが生きないように思うので。
(「でも、本当はもっとお上手なのですよね」との筆者の問いに)
まあ、確かに、就活で企業のインターン活動をするときなどは、「社長、お世話になっております」みたいな感じで、もっと丁寧に、滑らかにしゃべっていますね。ネタ用に使い分けているのかと言われれば、そうかもしれません。
―日本での活躍をご家族は喜んでいますか
両親はあまりわかっていないのですが、幼なじみが動画をみてくれ、社内のグループで話題になっているよと。ただ、日本人向けのネタなので、面白さはあまり伝わっていないようですが。
―在留資格が必要となり、東大大学院に進まれたのは凄いことですが、学生生活はいかがですか
お笑い芸人との両立は苦労ではありません。芸のことで考え方が硬直化したり、アンチコメントに悩んだりしたときは、研究に没頭すると落ち着きますし、逆に研究で煮詰まったときは、お笑いに接して脳を活性化させるなど、うまくバランスがとれています。
本郷キャンパスは神保町の劇場から近いのですが、ネタ見せの道具で使った大きな段ボールを持って学校へ行ったら、「それ、発電機?」と声をかけられたことがあります(笑)
―来春、大手企業への就職が決まっているそうですね。芸人として、社会人として、それぞれの目標をお聞かせください
いまはエネルギー系の研究をしていますが、M&Aにも興味があるので、地方の中小企業支援につながるような貢献ができればと思っています。会社に勤めて、社会人と接する機会が増えれば、また違った日本人に共感してもらえるネタができそうですね。
M1は大きな目標ですし、いつかアメリカと中国で、それぞれ英語と中国語を使ったスタンダップコメディにもチャレンジしてみたいです。
(内海達志)
いぜん
1998年、北京市出身。高校を卒業後、留学ビザを取得し、東京都立大学に入学。念願だったお笑い芸人を目指し、NSC(吉本芸能総合学院)に申し込むも、思わぬミス(本文参照)で入学が叶わなかった。しかし、夢を諦めきれず、2021年に改めてNSC(27期)に入学。NSCに通いながら東京大学大学院に一般入試で合格。現在は東大大学院に通いながら芸を磨き、活躍の場を広げている。特技は太極拳。




