見どころ満載の「中国館」へ行こう!(前編)

開幕前はネガティブな報道もあったが、人工島の「夢洲」を会場に10月13日まで開催中の大阪・関西万博は、そんな前評判を覆す人気ぶりだ。「外観がカッコいい」と評判の「中国館」は、各国が独自に建設した「タイプA」のパビリオンの中でも最大級となる約3800㎡もの敷地面積を誇る。広い館内には、新旧の中国を学べる見どころが満載で、見学後は中国への興味がいっそう増すに違いない。

そこで今回と次回の2回にわたり、その「中国館」の魅力を紹介したいと思う。百聞は一見に如かず――
まだ訪れていない人はぜひ!

「書」が演出する外観

夢洲駅を出て正面にみえる東ゲートから入場すると、万博会場に現れた〝万里の長城〟の如き大屋根リングが目に入る。リングの下を抜け、歩いて数分の便利な場所にあるのが「中国館」だ。

多くのパビリオンが予約制となっているなか、「中国館」は予約不要なのが、筆者のようなアプリ操作が不得手なアナログ人間には嬉しい。多少の行列ができていても、なにせキャパが大きいので、それほど待たされずに済む。

外観が注目されている「中国館」

遠くにいても目を引く外観は、古代の書物「竹簡」をイメージしたもので、「金文」「篆書」「隷書」「行書」「楷書」の5つの書体で119の漢詩や名句が記されているという。漢文の授業は苦手だったなと思い出しながら壁の文字を追っていると、有名な「論語」の一節「有朋自遠方来、不亦楽乎」(朋有り、遠方より来たる、また楽しからずや)が見つかった。

建物全体は書道の巻物を広げたようにデザインされており、流麗なシルエットが実にスタイリッシュだ。中国工程院の崔愷氏が手掛けたそうだが、いろいろなパビリオンを見た中で、個人的には中国がナンバーワンだと思う。

また、国旗と並んで通りに面して設置されている「中國」の赤いロゴは、篆書体の「石鼓文」と呼ばれるもの。こちらも非常に味わい深く、日本人は「こんな書体で自分の印鑑を彫ってほしい」と思うのではなかろうか。

竹簡はエコな材料でもある

「中国館」のテーマは、「自然と共に生きるコミュニティの構築~グリーン発展の未来社会~」。このコンセプトのもと、「一章 天人合一(人と自然と宇宙は一体である)」「二章 緑水青山(青い山と緑の水)」「三章 生生不息(絶え間ない発展)」という3つのゾーンによって構成されている。

「天人合一」ゾーンでは、古代中国文明の歴史ロマンに触れられる、貴重な出土品のレプリカを展示。3Dタッチパネルを通して、わかりやすく解説がなされている。このほか、天井からさまざまな書体がシャワーのように降り注ぐ「文字の滝」も圧巻だ。

「緑水青山」ゾーンでは、ジャイアントパンダや東北虎など、稀少な保護動物を生息エリアごとに紹介。また、世界遺産にも登録されている都江堰(四川省)の水利技術や、各地のエコプロジェクトなど、人と自然との共生事例を伝えている。

中国の稀少動物について学ぶことができる

館内を歩いていると、伝統工芸の体験コーナーがあった。職人が作っているのは、無形文化財の「風筝」(凧)と「面塑」(蒸し菓子細工)。中国における凧文化の歴史は古く、春秋戦国時代にまで遡るという。風で壊れてしまうのが心配で、空に揚げたくないと思えるほど精緻な作品であった。菓子細工のほうは、アニメの美少女キャラや宇宙飛行士などもあり、伝統作品の中に時代を映し出しているのが面白い。

職人の巧みな技が光る
これがお菓子とは思えない

日中友好の歴史を辿る回廊

今回の万博は両国の友好も主要なテーマの一つとなっている。その象徴といえるのが、友好交流に尽力した人たちのレリーフが並ぶ回廊だ。

名前だけが記されており、どういう功績があった人物かといった背景の説明がないため、つい先を急いでしまう人も見受けられたが、少しだけ予備知識を得てから眺めると非常に感慨深いので、ぜひ足を止めてご覧いただきたい。

このうち、一般にはそれほど詳しく知られていないと思われる人物について、それぞれ簡単に補足しておこう。

「日本商品展覧会」の席で周恩来総理と固い握手を交わしているのは、藤山愛一郎氏、稲山嘉寛氏、佐伯勇氏の3人。藤山氏は元外相で、1970年に日中国交回復議員連盟を結成するなど、国交正常化の実現に多大な貢献を果たした。

稲山氏は元経団連会長で、中国の鉄鋼業発展の礎を築いた。佐伯氏は、年配の野球ファンには近鉄バファローズのオーナーとしておなじみ。大阪商工会議所の会頭として訪中し、国交正常化の足場固めに汗を流した。

遠山氏の奮闘は「プロジェクトX」でも放送された

木々をバックにたたずむ老人は、農学者の遠山正瑛氏。外務省の事業である「中国の土地と農業の調査研究」を任され、1935年から37年まで黄河流域や内蒙古を精力的に歩いた。その後、しばらく中国とは縁遠くなったものの、1972年に日中共同声明が発表されると、以降、私財を投じて何度も中国へ渡り、ゴビ砂漠の緑化などで顕著な実績を残した。

70代になってからの活動であり、その情熱には敬服するほかない。内蒙古自治区には稲山氏の記念館が建設されている。

机上の書面に署名している女性は、高良富(日本語名はとみ)氏。元国会議員で、成立まもない新中国から招請され、1952年に北京で初の民間貿易協定を締結した。

となりに座る南漢宸氏は、山西省出身で初代の中国人民銀行行長。のちに中国国際貿易促進委員会委員長も務めた。

穏やかな表情を浮かべている僧侶は、唐招提寺長老の森本孝順氏。師と仰ぐ鑑真和上の坐像を中国に里帰りさせた功労者である。

握手している相手は趙朴初氏。安徽省出身で、仏学者、書家、政治家など多彩な才能を発揮し、中日友好協会副会長を務めた。

卓球を通して交流を続けた松﨑氏

卓球のラケットと茅台酒を手にしている女性は、1961年に北京で開催された世界卓球選手権で活躍した松﨑君代(日本語名はキミ代)氏。シングルスでは敗れたものの、その爽やかな戦いぶりが人民の心をつかみ、その後も長く中国との交流が続いた。「大会を終え、帰国する際、みな大泣きするほど中国が好きになっていた」と述懐している。

ラケットと茅台酒とはミスマッチだが、茅台酒は周恩来総理から贈呈されたもの。長く家宝にしていたが、50年後に瓶を返還し、現在は貴州茅台集団の博物館に展示されている。ちなみに、松﨑氏は酒屋の長女である。

米中関係を大きく動かす契機となった、世界卓球選手権名古屋大会での「ピンポン外交」より10年も前に、こんなサイドストーリーがあったのだ。

次号につづく

(内海達志)