今年3月、岩手県にある小さな水沢競馬場で、大きな出来事があった。中国出身の陶文峰調教師が、嬉しい初勝利を挙げたのだ。陶さんは中国出身者として初であり唯一の騎手から調教師に転身したばかり。中国出身の調教師としても唯一無二の存在であり、日本の競馬史に記録される歴史的な1勝となった。中国に限らず、外国出身の調教師も陶さんだけである。
厩舎がある岩手県盛岡市を訪ね、「夢は競馬文化を通じた日中交流」と意気込む陶調教師に話をうかがった。
祖母の祖国で騎手の道に
数々のビッグレースが行われる中央競馬の東京、京都をはじめ、全国に競馬場は25ヵ所存在するが、岩手県の2場は非常に個性的といえる。大谷翔平選手の出身地、奥州市にある水沢競馬場は、いい意味で「草競馬」という言葉が似合う素朴さが魅力だ。
一方、盛岡競馬場のほうは、市街地から離れた山の中にあるため、豊かな自然を満喫することができる。また、地方競馬15場の中で、管理が大変な芝コースを有するのはここだけ。規模では桁違いの南関東4場(大井、船橋、川崎、浦和)ですらない芝のレースを楽しめるのは、盛岡の自慢といえるだろう。
陶厩舎は、その盛岡競馬場の裏手にある。若い2人の女性スタッフとともに、10頭を管理している。赤を基調に黄色い星をあしらったユニフォームは、騎手時代の勝負服(胸に星が5つ)をイメージしたものだ。赤地に星といえば――。そう、中国の国旗「五星紅旗」がモチーフであることは言うまでもない。
馬が好きでこの世界に飛び込んだ下長根澪さんと工藤柚朱さんは「陶先生はとてもコミュニケーションを大切にされ、優しく馬のことを教えてくださいます」と口を揃える。開業2戦目での初勝利は嬉しかったものの、「大きなレースを狙うとかいうよりも、まずは目先のことをしっかりこなしていきたい」と抱負を話してくれた。これは作業中だった彼女たちが合流する前に陶さんが答えた内容と同じで、「ちゃんと指導が行き届いているね」と言うと、笑いに包まれた。師弟の良好な関係が伝わってくる。

1980年、黒竜江省生まれ。日本のイメージについては「侍みたいに、髷と着物の人がまだいるのかと思っていました」と振り返る。
12歳のとき、日本の地を踏んだ。祖母は残留孤児。まったく言葉が分からないなか、祖母が生まれた国での暮らしが始まり、本来は中学生の年齢だった陶さんは、妹と同じ小学5年のクラスに入った。
「私も妹も、若かったこともあり、特に苦労は感じませんでしたね。勉強はついていけなかったですけど。小学校を卒業し、私は中学2年に飛び級となりました」
そして、水沢農業高校の馬術部に入部したことで、運命が大きく変わっていく。中国では農耕馬に跨ったくらいの経験だったが、めきめきと頭角を現し、国体に出場するまでに。「岩手県はレベルがそれほどでもないので」と謙遜するが、まさに馬と〝ウマが合って〟いたのだろう。
水沢競馬場のとなりが馬術部の練習場で、ある日、関係者の目に留まり、「騎手になってみないか」とスカウトされた。デビューは2000年。こうして日本で初めての中国出身騎手が誕生したのである。
常に危険が伴う職業であり、ケガに苦しめられたこともあったが、25年の騎手人生で実に913もの勝利を積み重ねた。昨年11月26日がラストラン。そこで見事に有終の美を飾ることができたのは、競馬の神様からのプレゼントかもしれない。
引退を決意したのは、体力的な限界が理由ではなく、「次のことを始めるなら、元気なうちに」との思いがあったから。厩舎の日常は、朝が早いうえ、365日休みがないハードな仕事だから、「元気なうちに」という言葉は納得だ。若い2人に騎乗技術を伝授しつつ、いまも自ら管理馬の調教をつけている。

内蒙古と雲南に〝凱旋〟
長い騎手生活の間には、思い出深い出来事が少なからずあった。「強い馬と巡り合って結果を残せたことがなによりの思い出です」と話すが、その「強い馬」の代表が、4つの重賞レースを制した岩手の名馬ドリームクラフトである。23戦中、実に22戦で手綱を取った名コンビで、「陶騎手といえばドリームクラフト」と記憶しているファンが少なくない。

また、中央競馬の福島競馬場で騎乗した経験も。「競馬場がきれいだったことと、お客さんが多かったことが印象に残っています。最後の直線が長いなと感じました。」
中央競馬の中で、福島は直線が短いコースとして知られているのだが、挑戦した馬はレベルの差がかなりあり、必死に追えども、前の馬との差がなかなか縮まらなかったのだ。
ところで、香港では日本の実力馬も多数出走する国際レースが行われており、現地観戦に訪れるファンも多いが、中国にも南方を中心に競馬場がいくつかあることをご存じだろうか。陶さんは内蒙古自治区と雲南省から招待され、遠征した経験もある。それは遠征であると同時に、母国への〝凱旋〟でもあった。
「貴重な機会をいただきました。馬券こそ発売していませんが、クラブなどの組織が競馬を開催しており、頑張っている人がたくさんいます。いつかスタッフとともに自分の馬を連れて行き、中国でレースに出ることができたとしたら、とても夢のある話ですよね。競馬文化を通して関係者と交流を深め、日中友好の一助になれば。あとは日本へ遊びに来る中国人観光客のみなさんにも、ぜひ観戦していただきたいと思っています。」

騎手から調教師へと立場は変わったが、馬を愛する気持ちに変わりはない。来場したオーナーに届けた初勝利は「嬉しいよりもホッとしました」という。厩舎には長くお世話になっている中国人オーナーの愛馬もおり、「なんとか結果を出したい」と意気込む。
「競馬に関わる仕事は自分の天職」と言い切る陶さん。夢の実現に向け、ケガなく「無事是名馬」で走り続けることを期待したい。
(内海達志)