西方教の教主(その二)・準提道人

2025年10月1日号 /

封神演義

準提道人(じゅんていどうじん)は、その名から分かるように仏教の准胝観音(じゅんていかんのん)に由来する神である。『封神演義』では接引道人と共に西方教の二大教主であることは以前に紹介した。

日本の真言宗では、空海が高野山を開いた際、僧房の次に准胝堂を建立し、得度の本尊として准胝観音を祀ったことは広く知られている。また、真言宗醍醐派の聖宝尊師は、醍醐寺の開基に准胝観音を勧請している。

真言宗系では六観音の一尊に数えられ、天台では観音ではなく仏母とされる。その姿は二臂、四臂、六臂、十八臂、五十四臂、八十四臂など様々あるが、日本では唐代の不空が漢訳した『七倶胝仏母所説准提陀羅尼経』が広まり、そこに記される一面三目十八臂の姿が最も多い。また、醍醐寺准胝観音坐像のように、眷属の二大龍王である難陀と跋難陀が蓮華座の下にいる造例が多い。

物語では、準定道人のもとを広成子(こうせいし)が訪れ青蓮宝色旗を借りた際に登場している。その後、孔宣(こうせん)を相手に土行孫(どこうそん)や燃燈道人が手を焼いている時、西方から準定道人がやってきて、東南で縁のある者を済度すると言い助力する。

準定道人は七宝樹(しちほうじゅ)を手に孔宣を相手していると、孔宣の放つ紅光によって弾き飛ばされる。そこで準定道人は本来の姿を現す。その姿は、十八本の手、二十四の頭を持ち、瓔珞(ようらく)、傘蓋(さんがい)、花缶(かかん)など十の宝器を持っていた。そして加持神杵(かじしんしょ)で孔宣を押さえつけ、真の姿を露にさせる。孔宣を折伏すると、準定道人はどこかへ去って行った。

その後も、元始天尊が通天教主と戦う際や誅仙陣、万仙陣を破る時に接引道人と共に闡教に協力し、最後は戦いの中で済度した者たちを連れ西方に帰っていく。また、第七十回の冒頭には「準定菩薩は西方に生まれり、道徳の根深く妙なること量り知れず。荷の葉に風有らば色相生じ、蓮華に雨無くんば津梁立つ」とあり、仏教の菩薩であることが明示されている。

文 ◎ 二ノ宮 聡
1982年生まれ。中国文学研究者。中国の民間信仰研究。関西大学大学院文学研究科中国文学専修博士課程後期課程修了。博士(文学)。北陸大学講師。

絵 ◎ 洪 昭侯
1967年、中国北京生まれ。東京学芸大学教育学部絵画課程卒業。(株)中文産業のデザイナーを経て、2014年、東方文化国際合同会社設立。