「鑑真の道」― 文化を帆に

2025年8月1日号 /

6月3日から8日にかけて、揚州市・揚州公共外交協会が主催する「鑑真の道」友好訪日団(5名)が日本を訪れ、鹿児島、奈良、大阪、厚木、東京の五都市で十数回の文化交流イベントを実施しました。本活動は、唐代の高僧・鑑真和上の東渡精神を軸とし、その足跡をたどる民間外交の新たな実践として大きな成果を挙げました。

今回の訪問は、奈良・唐招提寺において鑑真和上の乾漆坐像が年に一度開帳される特別な時期と重なり、歴史的にも意義深いものとなりました。「困難を恐れず、志を貫く」鑑真和上の精神を広めるとともに、中日両国の民間文化への相互理解を深め、新時代の地方公共外交の可能性を探る機会となりました。

訪日団は、揚州公共外交協会会長の張躍進氏の総合指導のもと、江蘇省第六回青年友好使者であり、揚州市職業大学外国語学院の教師である呉玲氏と、鹿児島県日中友好協会副会長兼女性委員会委員長の天達美代子氏の共同企画により実施されました。天達氏の引率のもと、鑑真和上のゆかりの地である鹿児島と奈良、揚州市の友好都市である厚木など各地の友好団体から多大な支援を受けました。特に、鹿児島県日中友好協会会長・鎌田敬氏、奈良県日中友好協会会長・天根俊治氏、厚木市日中友好協会会長・高橋美紗子氏のご協力により、文化・教育・宗教関係者との交流が実現しました。

鹿児島では、鑑真和上が唐から上陸した地・坊津の鑑真記念館を訪れ、長い旅路に思いを馳せました。その後、中国庭園の影響が色濃く残る島津家別邸・仙巌園を、鹿児島県日中友好協会女性委員会理事の宮迫忠義・県立川内商工高等学校教諭にご案内いただき、薩摩藩が中国文化を積極的に学んだ歴史を実感しました。

鹿児島・坊津の鑑真記念館で
鑑真和上の来日と日中交流の歴史について、
航海の様子を再現した映像などを通して学びました

奈良では、歌手でもある天達氏が、鑑真和上の精神を後世に伝える目的で長年歌い続けているオリジナル曲「坊津旅情」を鑑真和上の墓前で奉納するという、重要な文化的行為を担いました。周囲は感動に包まれ、涙ぐむ団員もいました。また、東大寺の執事・上野周真上人が、鑑真和上の渡日後の功績を静かに語ってくださいました。さらに、揚州公共外交協会と奈良県日中友好協会は、両地域の友好交流促進に関する意向書に特別に署名しました。今後の継続的な交流と協力の枠組みが築かれることが期待されます。

奈良・東大寺にて
奈良県日中友好協会のご配慮により、
執事の上野周真上人にご案内いただきました
奈良・唐招提寺の、鑑真和上の墓前にて
奈良県日中友好協会のご高配により、
1979年から歌い続けてきた「坊津旅情」を
奉納歌として捧げるという念願が叶いました。
鑑真和上のご遺徳と、草の根における
日中民間交流に尽力される皆様への深い敬意が、
自然と胸に満ちてまいりました。

大阪では、大阪華僑江蘇同郷会会長・許士超氏の温かい歓迎と支援により、中華料理「興隆園」からは会場提供と運営支援での全面的な協力をいただき、地元華僑社会との絆がより深まりました。

東京では、在日華人文化代表者・日本中国文化交流センター理事長の呂娟氏の強力なサポートを得て、御徒町中華料理店雅亭にて、現地文化人や美食家と中日美食文化交流会を共催しました。唐招提寺に絵を奉納した東山魁夷画伯と親密な関係にあった美術ジャーナリストの飯野光男氏、(公社)日中友好協会の伊藤洋平理事、同広報部の田中麻衣子氏らも出席しました。

最終日、東京・上野公園の鑑真和上像の前で
全日程を無事に終え、ご協力いただきました
各地の協会の皆様に心より感謝申し上げます

今回の訪日団には、淮揚料理、伝統工芸、語学教育などの分野からの専門家が参加しました。とりわけ〝淮揚菜の泰斗〟居長龍夫妻と、揚州の友好都市・厚木にある中華料理店「揚州厨房」は、美食文化交流の場で実演と料理の提供をしてくださり、参加者から高い評価を得ました。

神奈川県厚木市の「揚州厨房」で
厚木市日中友好協会のお計らいで、
揚州の味覚を介した友好交流の機会をいただきました

「鑑真の道」は、単なる文化訪問ではなく、中日両国の心をつなぐ民間外交の具体的な実践です。文化を媒介とし、人と人とのつながりを礎に、地方から国際関係を育む中国の公共外交の姿が、ここに鮮やかに示されました。

文 ◎ 呉 玲
江蘇省第六回青年友好使者/揚州市職業大学外国語学院大学日本語教研室主任

写真説明 ◎ 天達 美代子
鹿児島県日中友好協会副会長兼女性委員会委員長