北京電影学院で教鞭を執るリウ・ジアイン監督の、14年ぶりの新作『来し方 行く末』が4月25日に公開された。これまで実験的な作風で知られた監督だが、今回は新たなスタイルに挑戦。第25回上海国際映画祭で最優秀監督賞・最優秀男優賞を受賞し、中国本土での興行収入は2週間で5億円を突破した。
4月上旬、リウ・ジアイン監督に、本作に込めた思いや、本作に影響を与えた幼少期の記憶、さらに作品の象徴的な表現について語っていただいた。
―『来し方 行く末』は14年ぶりの新作ですが、作風が変化した理由を教えてください。
14年の間に生活の変化がありましたが、変わらないものもあります。例えば、私の頑固な性格。そういった根本的なことは変わりようがないと思います。
この映画の脚本は2020年に書きましたが、撮影を始める2022年までに起きた変化や興味に基づいて制作しました。その結果、作風に変化が生まれたと言えます。
今回は、本作の主人公である弔事の作家、ウェン・シャンのために、このスタイルでいこうと判断しました。このようなテーマとの出会いは、一期一会のものだと思っています。次回作以降も、その時に合った作風を選ぶのだと思います。
―監督は動物園や葬儀場によく通われているそうですが、本作に影響を与えた経験は?
具体的なエピソードは語れませんが、北京動物園には小さい頃によく遊びに行っていて、80年代の動物園の風景や匂いまで覚えています。葬儀場も、私にとっては特別な場所ではなく、幼い頃からなじみのある場所で、長年変わらない親しみのある空間でもあります。どちらも、いつも多くの人がいるという共通点がありますね。
―本作では、故人が登場せず、ウェン・シャンが書く弔辞もほとんど聞こえません。こうした演出の意図を教えてください。
ウェン・シャンは死者を直接知らず、死者の家族や友人との会話などを通じて、自らの想像力を働かせ、弔辞を作ります。ウェン・シャンがどのように弔辞を書くのかという過程が最も重要であり、弔辞そのものを詳しく描く必要はないと判断しました。
実は、脚本を書く準備段階では弔辞を用意していましたが、脚本には入れませんでした。大きな決断だったと思います。
ウェン・シャンは弔辞を書くために一生懸命、関係者と向き合い、話に耳を傾け、大きな努力を重ねます。そうして、死者の家族や友人との関係を作っていきます。そういった、弔辞を通じた人間関係の変化こそが重要だと思ったのです。
―「人間煙火」という言葉が、ウェン・シャンと葬儀屋の友人との会話で出てきます。この言葉の意味と意図を教えてください。
「人間煙火(人の世の煙と火)」という言葉は、脚本執筆中に自然に書いていた言葉で、その時は深い意味を考えていませんでした。ちょっとした言葉のすれ違いのジョークとしてシーンに取り入れた、というのもあります。また、ウェン・シャンと友人の性格の違いが現れた、とも言えます。
「人間煙火」は、中国では一般的な言葉ですが、年齢を重ねると身近に感じられるようになりました。神様が人間の世界を見下ろしているというような感覚が、次第に自分の中で強くなってきたのです。例えば、「煙火」を「地鉄(地下鉄)」に変えると、「人間地鉄」となり、神様が地下鉄に乗っている人たちを見下ろしているという俯瞰的な意味合いを持ち始めます。ですので、この人間の「生きる様」(=煙火)を上から見下ろしている大きな存在がいるという感覚に、非常に静かな広い意味合いを持たせているのがこの言葉なのではないかと、年を重ねたことで感じるようになりました。
本作を通して『日本と中国』読者の皆様の心に何か温かいものが残れば幸いです。ぜひ劇場でご覧ください。
(聞き手:ミモザフィルムズ)

リウ・ジアイン[劉伽茵]
1981年、中国・北京生まれ。現在、北京電影学院文学部で脚本制作の准教授でありながら、中国のインディペンデント映画界において独自の映画スタイルとテーマ性で知られる映画監督。1999 年に北京電影学院に入学後、2002年には自ら脚本・監督を務めた短編映画『火車』が北京大学学生映画祭の短編映画コンペティション部門最優秀監督賞を受賞し、監督デビューを果たす。長編デビュー作『牛皮』(05)では自ら脚本・監督・主演を務め、第55回ベルリン国際映画祭カリガリ映画賞と国際批評家連盟賞を受賞。今回取り上げた『来し方 行く末(原題:不虚此行)』(23、4月25日より全国順次公開中)は、カンヌ国際映画祭監督週間とロッテルダム国際映画祭Bright Future部門で上映された『牛皮2』(09)以来14年ぶりとなる新作。