水にまつわる話から
2月の初め頃まで、関東では長期にわたり降雨がなく、東京の水瓶であるダムの貯水率が著しく低下し、「節水」が呼びかけられた地域もあった。今回はこの話題をネタにお話しすることにしよう。
故郷の山西省は黄土高原に位置し、黄河流域でありながら、全体的に水資源の乏しい地域である。自分の育った村は平野にあり、村の外れを小さな川が流れていて、近くに水はあったが、生活のための井戸水はアルカリ性で、村人はほとんど黄ばんだ歯をしていた。
中学校は県城にあったので水道があり、水の心配はなかった。しかし、夏の収穫時期に、県下のとある丘陵地帯の村へ小麦の刈り入れの手伝いに行った時(当時、「農業を学べ」というスローガンの下、課外授業として、農山村へ行く)、初めて体験したことがあった。
数十世帯が暮らすその村には井戸が一ヶ所のみ、しかもその井戸は何十丈(1丈は3.3メートル)という深さだ。およそ百メートルを超えるだろう。水を汲むのには轆䡎を使う。これは一般に、成人男性の仕事であるらしい。私たち中学生が二人がかりで轆轤を回し、もう一人の生徒が釣瓶縄が重ならないように整理しながら、やっと一杯の水桶の水を汲み上げることができたほどだ。
村人の生活用水
轆䡎で水を汲み上げることは重労働で、大男のいない家では、よほどのことでなければ貯水池(〝水窖〟)の水を利用する。
1つの村には幾つもの貯水池がある。その貯水池の1つを案内してもらった。
黄土の崖に穴を開け、中を広く掘り、直径20~30メートルにもなろうか、大きな池を洞窟の中に作る。その池で夏から秋にかけて雨水を溜める。村人の話では、その年の雨水は飲めず、普通、2年以上沈殿させてからやっと飲み水として利用できるようになるという。したがって、普段、入浴どころか、顔を洗う水もバカにならない。家庭では、1つの洗面器の水で家族全員が顔を洗うことも、日常茶飯事だった。
今でも時々、大学生になって冬休みに田舎へ帰省し、母方の叔父(〝舅舅〟)の家を訪ねた時のことを思い出す。叔父の家のある村は、先ほどの村ほど高い丘陵部ではないが、井戸はやはり十数丈と、結構深い。そこで私を迎えた時、遠方より来たるお客を迎えるための儀式こと、〝洗尘〟(洗塵)だったかと思うが、叔父がわざわざエナメルの洗面器に水を用意してくれたことがあった。私が顔を洗った後、従兄弟たちが次々とその水で顔を洗ったので、我ながらびっくりしたのだった。
また、数年前、山西大学の教授になった中学校の同級生が日本を訪れた時、勤務校の熱海研修センターに案内したことがあった。その同級生は、温泉場で掛け流しの温泉を見て、この水はいつもこのまま流れっぱなしなのかと驚きを隠さなかった。
故郷の村は、今では水道が通るようになった。でも「節水」は、単なる辞書にある1つの単語・抽象的な言葉ではなく、そこに住む人々の骨身に沁みこんだDNAのようなものになっている。
国、地域、季節などによって、節水の仕方も色々あるだろうが、人間の生活で一番大事な水を大切に扱っていきたい。
(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)




