“前人栽树,后人乘凉”の話
中国の諺に〝前人栽树,后人乘凉〟というのがある。前の人が木を植えれば、後の人はその下で涼むことができるという意味である。農耕社会では、木は大切な家財であった。木を植えれば、それなりの家財ができる。したがって、たくさんの木があるということは、その家にはそれなりに富があるということになるのである。昔の家々は、よく木を植えたものだ。
けれども、実際には、文字通りの意味で使われるよりも、比喩的に使われるほうが、むしろ一般的である。要するに、先人が苦労をしたおかげで、後の人がその恩恵を被るということである。たとえば、親たちが苦労をして、家財を貯め、良い住宅を建てて、子供により良い教育や生活環境を提供するといったことは、何といっても、中国社会におけるこの〝前人栽树,后人乘凉〟の最も典型的な例である。
しかし、現代社会では、次世代の人に何が残せるのだろうか。中国の親たちは、そのことに頭を悩ませているようである。特に男の子を持つ家庭では、車はもちろんのこと、住宅も揃えないと、子供には結婚相手さえ見つからないらしい。これでは、後の人のために残せる木がないということになる。
日本の日常の例
諺はスケールの大きなことにしか使われないようだが、実際には、ささいなことについても言うことができる。
日本の温泉や銭湯などで、次のような光景を目にしたことがあった。共用の寝椅子や椅子がある。使った人が立つ際、バケツでお湯を汲んだ。何をするのかと思ったら、さっきまで座っていた椅子にお湯をかけたのだった。自分の利用した椅子を、次の人のためにきれいにするのだ。いきなり感心してしまった。
私的な場でも、公共の場でも、使った椅子を元に戻す、トイレで使ったスリッパを入るときと同じ方向に直しておく、などといったことは、日本の社会では当たり前に行われている。大学でも次のような光景を目にしたことがある。授業や試験の後、机の上に散らかっている消しゴムのクズを、学生たちがいつも丁寧に集め、ティッシュに包んで、外のゴミ箱に捨てるのだ。日本語には〝前人栽树,后人乘凉〟に似たような諺がないようだが、これらの例はすべて、先人の営みで後人の便宜を図るという点で、〝前人栽树,后人乘凉〟に通じるところがある。
SDGs(※)が叫ばれて久しいが、これも次世代の人、後世の人に何が残せるのか、ということだと言える。諺の意味は大なり小なりいかようにも解釈できるが、その真髄をより多くの人に知ってほしいと思う次第である。
※SDGsとは「Sustainable Development Goals」の略で、日本語では「持続可能な開発目標」と言い、国際社会共通の目標である。
(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)