閑古鳥もホトトギスも昔は一緒だった

2020年6月1日号 /

「閑古鳥」について

某新聞の特派員メモに、ある料理店に入って行くと「閑古鳥が鳴いていた」という言葉があった。日本語を始めたばかりの学習者なら誰もが「どうして料理店に鳥がいるのだろう」と不思議に思うに違いない。

さて、閑古鳥とはどんな鳥なのか。実は閑古鳥はの異名で、日本では、のほか、古来はホトトギスにも「郭公」の字を当てていた。そしてホトトギスにはまた多くの異名があり、杜鵑、時鳥、子規、杜宇、不如帰、蜀魂など、挙げ切れないほどである。

日本のこれらは中国の文学や歴史の伝統を汲んだものだが、中国では郭公とホトトギスを区別していなかったように思われる。

文化などに強く影響

郭公の言い伝えは史書にも登場するが、幼い頃に母から聞かされた話が印象に残っている。あるところに継母を持つ兄とその継母出自の弟がいた。継母は兄をこの世から消すことを目論み、兄弟に胡麻撒きの仕事を言い付ける。

二人にそれぞれ胡麻の種が入った袋を持たせ、芽が出なければ家には帰ることができないという条件を付けた。山へ向かう途中、弟は兄が持っている胡麻袋から美味しそうな匂いがすると交換をせがむ。いつも弟のわがままを聞く兄は譲ってあげるしかなかった。

やがて二人が畑に胡麻の種を撒くと、兄の畑では芽が出たが、弟の畑では一向に芽が出ない。実は、兄が継母からもらった種は火を通したもので、芽が出るはずもなかったのだ。結局、兄が家に戻り、弟は畑で飢え死にした。

それを知った継母はあまりのショックと、自業自得の自分に呆れ、自殺してしまう。そして郭公となり、我が子の帰りを願い、叫けび続ける。その鳴き声が「不如帰」や「布穀」と聞こえ、それがまた鳥の名前となった。〝布穀〟(簡体字は〝布谷〟)は「種蒔き」の意。郭公の鳴き声を聞いて、農民は種蒔きの時期を悟るのだという。

昔から農耕民族の暮しに大切にされてきただけでなく、文学にも多くの影響を与えている郭公。中国の李白の詩には「楊花落尽子規啼」というのがあり、日本の俳人正岡子規はホトトギス(子規)を俳号にした。

「閑古鳥」は日本語で、現代中国の通称名は〝杜鹃〟である。鳴き声にある寂しさを感じるのは中日共通だが、商売不振などの意味は日本特有である。この時期の閑古鳥を追い出すには、みんなで力を合わせるしかない。

(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)